MMP1位(ビリ)獲った
熊本県球磨郡にある水上村で開催された、MMPこと水上マウンテンパーティーを走ってきました。豪雨や感染症の流行で延期を余儀なくされ、さらには練習中の怪我で昨年大会をDNSするなど、およそ2年間走りたくて走れなかった凄く思い入れのある大会。そしてレースとしての最長距離挑戦でもありました。せっかくなので詳細に振り返って大会の魅力を発信し、感謝の一言では言い表せない思いを書き残したいと思います。
MIZUKAMI MOUNTAIN PARTY
出走したのは64K 4000m+のロングコース。25K 2000m+のショートコースと39K 2000m+のミドルコースを合体させたレイアウトで、パンチの効いたアップダウンと走らされる系の林道をたたえる九州屈指の難コース。最高1100m地点からは九州脊梁の青々とした山を、急流球磨川の川沿いを走れば圧巻の青さを目にすることができる。
MMPはとにかくエイドが充実してる。今年はジビエの餃子、冷たいお蕎麦、冷やし坦々うどん、おにぎりやおいなり、凍らせたイチゴや炭酸の効いたフルーツポンチ、フルーツサンドなど、各ASでひと手間かかってて目にも心にも美味しいものを食べることが出来る。阿蘇の牧場で絞った新鮮な牛乳で作るソフトクリームが大会要項には載っていない「裏エイド」として置かれていたり、林道を延々登り切った先にお茶屋さんが冷たい緑茶と紅茶を用意してくださったりと、次のエイドはなんだろう?って気持ちで足を動かし続けることが出来た。
村民の方々からいただける応援もほんとうに熱い。「毎年これを楽しみにしてる」と旅館を営むおやじさんが私設エイドでかき氷をふるまってくれたり、マラソン大会と違って選手がいつ通過するかもわからないのに沿道で応援してくれるおじいちゃんおばあちゃんがあちらこちらに立っていたり。
全てを知っているわけではないけど、いま九州で一番推したいトレランのレースがMMPだ。
レースを完走して
ミドルクラス初挑戦ということもあって、時間内完走を目標にセットして挑戦し、それを達成できて本当に嬉しかった。エイドや応援に元気付けてもらい、また序盤から一緒だった仲間としゃべりながら励ましあいながら進むことができたおかげで、トレランでの初めての距離を楽しみ尽くした。
振り返るともっと早くレースを終えることが出来たと思うし、単独で進む強さも身につけたい。だけどそれは次回の課題。仲間と一緒だったこと、サポートしあってゴールできたこと。このことが何よりの財産になった。
中盤でタイムチャートから大きく外れたり、というかペース設定を大きく間違えていたり、パックを組んだ仲間が脱水症状を起こしたりとトラブルに遭いながら、動き続けてどうにかこうにか最終関門を最後尾で通過。コースマーシャルやキャストスタッフのこれまた顔なじみの友人たちも巻き込んでゴール会場に雪崩れ込んだ。トラブル続きの中盤で時間内完走を一度ならずあきらめていたから、今回のゴールはあまりにドラマチックできっと一生忘れない。
装備・行動食
夕方から雨の予報が出ていたので撥水性の良いNatty shorts(Milestone)をチョイスし、トップスは濡れても着心地が悪くならないDynamic Tank(Houdini)を合わせた。
シューズとソックスは鉄板のLONE PEAK 5とインナーファクト5本指。下り勾配が長くて急で腰が引けるシチュエーションもあったけど爪は今回も全員無事。足元の選択に不安がないのって凄く幸運なことなのかも。
補給食は「おいエナ」を中心に2500kcalを準備して、消費したのはそのうち2200kcal。MANABARとPOW BARを残してしまったのは登り区間なら食べられるだろうと思っていたのが見込み違いだったからで、林道で食べるとかもう少し工夫すればよかった。各エイドで100kcal程度いただくつもりだったけど、見た感じでは200kcal超は食べることが出来たような。だからプラマイゼロかな。ガツンと登る3か所に合わせてMag-onを入れた効果は、元気が出たような特に効果の体感はないような。わたしがガツンとではなくフニャンと登ったからだろう。たぶん。知らんけど。
MMP前週に走った30kmのトレランで脚の痙攣がひどかったので、水分と電解質の摂取には本当に気を付けた。おいエナ半量を溶かしたボトルとスポドリを水で2倍に割ったボトル、合わせて1リットルをAS区間ごとに飲み切って、ORSハイドレーションをタブレットのまま2時間おきに水で流し込んだ。レースの半分を超えたあたりで手指がしびれる症状が出ようとしていたけど、これも追いタブレットで電解質をチャージしてぎりぎりカバー。
手厚いエイドと薄曇りの気温25度というコンディションにも助けられて、装備と補給では大きく失敗することがなく、そのおかげで翌日のダメージもそんなにない。
すごくバッチリ準備できて実行できたようにここまで書いたけど、もっかい言う。ビリだった。
A3到着予定に大遅れ
A2アウトは予定から10分遅れ、ショートコースパートをおよそ5時間20分に収めた。タイムチャートを作って無理のないペースで進んでいることが実感できていたはずだったが、そこから11km先のA3到着はタイムチャートから1時間も遅れてしまった。600m上る林道区間で歩き倒さないように粘ったのに頑張りが足りなかった?同じだけ下るトレイルで全然リズムが整わなかった?大きく計算違いをしてレースを台無しにしてしまったか?とさえ思った。手指がしびれてしっかり走れなかったのもこの辺りでの出来事で、ジュンくんに撮ってもらった写真の後ろ姿も明らかにくたびれていた。
遅れてるくせに冷やしうどんを2杯いただき凍りイチゴを両手にとってA3をアウト。ここから先はWSを挟んで22km先にA4が設置されていて、制限時間までの残り時間は5時間を切っている。ペースを頭の中で手早く計算して、厳しい展開になってきていることをパックの仲間に伝えた。
それでも、ここまで一緒に進んできたメンバーはみんな元気。似てるのか似てないのか分からないトレラン仲間の物真似を挟みながら、田んぼに引く用水を分けてもらって頭からかぶりながら進む。だけど、全コース中3つ目のガツンとした上りの最中に一人が脱水症状を起こした。スキンヘッドのケイスケくん、(それまでぐっしょり濡れていた)ショートパンツが乾いたと大喜びしていたのがついさっきの話で、それが汗をかけなくなった身体のサインだったことを見逃してしまっていた。おれも同じ経験あるのにごめん。
水分と電解質をこまめに意識的に摂ってもらって回復を待ちつつ、休みを挟みながら少しずつ前に進んでも上り区間が終わらない。次のエイドまでは15km近く残っている。なかなか追いついてこない一人を待ちながら、次の制限時間に間に合わなくてもこのメンバーで最後まで行きたいです、行きましょうと話をした。時間の余裕もう無いの?とクミさんから不安の色が見えた。その手前の区間で既に予定より大きく遅れていたエラーから別のトラブルへと視線を誘導したような気持ちになってしまい、胸が痛かった。
降臨
A3からの700mUPを三分の二ほど消化したところにあるウォーターステーションで、自分にもしんどい時間帯がきた。登りがずっと続いて背中が丸まってしまって呼吸が浅い。腹筋が痛い。思わずザックを脱いで舗装路で仰向けになり腸をほぐす。動けずに居たところ、モリケンさんがフラスクの水を汲んできてくれた。さっきからずっとパックを引いてくれていて、ケイスケくんの体調を気遣い、下りが苦手なクミさんに声をかけ続けてくれている。めちゃめちゃ頼もしかったけど迷惑だけはかけちゃいけないと思ってどうにか立ち上がる。
この場所で1時間ほど休んでいたら復活してきたという(おれやケイスケくんのように弱った生き物を見たからだろうな~)ホシノさんを巻き込んで再出発。ここでは時計は見ることができなかった。
A4まで残り10km、70分というところでモリケンさんが豹変した。
「この1時間がんばるよ!ここで勝負するよ!」
「自分のペースで!でも少しだけ走るよ!」
「いけるよいけるよ!できる!できる!」
モリ岡修造だった。SNSの中でしか存在しないと思っていた生き物が目の前に現れた。
修造はこちらの返事を聞かず、日めくりカレンダーを次々とめくるように熱い言葉を吐いて進んでいく。どうにかして返事らしい返事を絞り出していくうちにだんだんと呼吸が整い苦しさが軽くなってきた。ほかのメンバーの声は聞こえてこないけど付いてきてるんだから大丈夫って事だろう。とにかく修造の背中だけを追いかけ続け、次のウォーターステーションに到着。A4まで残り5km、制限時間まで残り1時間。
「いけるいける!ここからはずっと下りだよ!ロードだよ!」
鹿ネットに沿った大きな下りで、ところどころロープもあったよ。
逆転・勝ち確
A4関門に到着したのは制限時間5分前だった。
「エイドステーションに到着したらまずチェックを受けて、それからゆっくりエイド食を楽しんでからゴールに向かおうね」と話していたんだけど、スタッフがそれを許してくれなかった。いっつも仲良くしてくれてるのにケチだねーとグータッチ代わりの軽口をたたいてお素麺をかきこみ、きゅうりの一本漬けやフルーツサンドに後ろ髪を引かれながら1分前に計測マットを跨いだ。ゴールまでは6km残っているが、時間は90分ある。勝った。
脳内の小久保裕紀がバットをくるりと投げた。広島の新井も好きだ。
コースマーシャルがついてくれて、さらに最後方からスイーパーも追いついてきて、10人ほどのちょっとした小集団になった。みんなリラックスして、ゴールで待ってくれてるみんなに叱られるのがヤだからくらいの意識の低さでなるべく歩き倒さないで進む。会場が田んぼの向こうに見えて、たくさんの友だちの顔、仲良くしてくださる村の職員さんの顔が見える。明るいうちに帰ってこれてよかった。ああーこれは泣くやつやなあと、恥をさらす覚悟をきめた。
エチオピア練、またはパシュート部隊
どうにか最終関門を時間内にまたぐことができたのは、パックのメンバーが順に引っ張り合う「エチオピア練」を道中に取り入れたこともすごい効いてたと思う。おかげでダラダラと続く林道やダムの脇を歩き倒すことなく進むことができたし、仲間と引っ張り合うことがメンタルをずっと支え続けてくれたし。
残念ながらその後、ランニングカルチャー感のあるエチオピアの名前は定着せずに「パシュート!パシュート部隊!」「高木姉妹のやつ」としてすでにSNSで発信され認知され始めたようです。
大切なのはみんなで一緒に旅した思い出やね。
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