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【中編】広島湾岸TR完走記

A4ーA7(キャンプ場74.8km)

・区間距離 28.2km(2013m+)
・区間タイム 8h23m
・通過タイム 19h30m(計画 18h57m)
・★備前坊山、福王寺、★螺山

ここからナイトパート、中盤戦。トイレに行っている間に居なくなっていたさわさんを何となく追いかけるつもりでエイドアウトし、ちょっとした(いや、けっこうしっかりしたw)トレイルを挟んで安佐北区に下りる。54号線沿いを走り、松江まで148kmの表示。ここをまっすぐ行けば島根鳥取のSRCのみんなが居るのかと、SRCから参加しているモンゴさんとけんちゃんは今どの辺を走ってるかなあと想像する。
次の備前坊山は50km過ぎてレース折り返し地点の山場だと位置づけていた。林道メインで700mアップ、やたら急な傾斜、だんだん暗くなっていく時間帯、間違いなく我慢比べにn
睡魔に負けた。

登山口ではまだ明るかったのに

睡魔(一度目)

直登の単調さにとにかく集中できない。不調ではないはずなのに体がどんよりと鉛のように重たい。それほど速くもないの談笑しながら登ってくる二人組の選手にさくっと追い抜かれたあたりで、ああ、わたしいま眠いんだなとと認識した。さっさとヘッデンを点けてラムネでも齧れば良かったんだろうけどそれさえも億劫でのろのろと、ヒールロックするかどうか悩むレベルの勾配を登り続けていたんだけどどうにも堪らなくなってしまい、ちょっとだけ意識を失うことにした。
すぐに誰かから声がかかり、はっと目が醒める。先に行ったはずのさわさんが後方から追い付いてきたんだった。話し相手がいるというのは本当にありがたくて、かといってずっと喋ってるわけではないのに何となく心強かったり居心地や距離感が心地良かったりして、頭は冴えてくるし足もぐんぐん前に進む。ウルトラトレイルの距離でペーサーがつくというのはこういうことかもな。

備前坊はピークを踏まず、すこし下ってA5中倉峠に到着。時刻は20時少し前で、もうアームカバーだけでは寒くてソフトシェルを羽織った。
中倉峠では、大山をはじめ山陰地方で登山ガイドなどの活動をされているhitoyamaさんがエイドリーダーをされているとのことで彼と出会うことを楽しみにしていた。わたしと入れ替わりでエイドアウトしようかといった雰囲気のモンゴさんを見つけ、お願いして繋いでもらってhitoyamaさんにまずご挨拶。「ここまで来れば完走したようなもんでしょ」と激励をいただく。また前日受付で差し入れをいただいたボランティアのヨーコさんも持ち場がここ。コースの最深部であり唯一電波の入りも悪いという中倉峠に、SNSを通じて知り合った方がいる心強さといったら。

今度は山陰で遊んでください!

シューズを脱いで足指をほぐしてやり、ゆかりおにぎりを一ついただいてから中倉峠を出る。エイドアウトは20時、ここまで13時間50分。タイムテーブルとの誤差は1分もない。56km3900m+を消化して『レースタイムの約半分』と言われた地点で、28hを目標にしていたわたしにとって望外ともいえる展開だ。

石がゴロゴロした厄介な林道を挟んでロードに出て、次のエイドのA6南原研修所まではたった7kmほどしかない。ここでもさわさんはしっかりとした足取りで走るので、わたしもそれにうまいこと乗せてもらい、下りのロードを無理なく転がっていく。
新作のオリンパス6を買うかどうか迷って、結局は履きなれたローンピーク5を選んだ。ロードの多さが不安ではあったけど総合してなんとなく走れてしまった。もちろんこれがもっと速いペースになったら話は変わるのかもしれないけど、当面の間わたしは「どんなレースもローンピークで完走するマン」で居たい。なんかそういうのが恰好いい気がする。

A6のエイドからはお湯が用意してあって、ここではお味噌汁と天むすをいただいた。迷わず天むすをお味噌汁に投入し、ほぐしながらいただく。塩気が美味い。うまいのだけどあまり口に入っていかない。胃腸トラブルか?薬を飲んでおくか?だけどとくに胸のつかえや胃のムカムカは感じない。肋骨周りに指を差し込んでみると、まるで入っていかない。ということは疲れた体が硬直しているんだろうなあたりをつけた。ロードをずっと走っているとこうなることが多い。ザックを下ろして背中をストレッチし、肋骨に沿って指を差し込んで腸をマッサージする。息を深く吐いて新鮮な空気を身体中にまわしてやる。なんとなく復活する。大丈夫、問題なさそうだ。天むすのしっぽも食べた。

夜間パートには必ずお湯もあった。
ホスピタリティが手厚くて嬉しい!

次のA7柳瀬キャンプ場にはドロップバッグがデポしてあって、しかしそこまでの11.7kmの道のりには福王寺への300mアップと螺山への400mアップが中盤戦のボスといった風情で待ち構えている。ここまで4000mほどの累積標高に達していたけれど、登るのはそれほど嫌じゃない。背振月例会で積んだ練習量のおかげに違いない。良いペースでさわさんを引っ張る。すると下りの小セクションでは後方のさわさんがうずうずしている様子で「走っていい?」と聞くので前に出てもらう。調子がよさそうに走ってくれるのでそれについていく。何人かをパスする。少しペースがあがり、とうとう登りまで走っていく。まじか。

聞けば、手前のA6でカフェインを入れたと答えるさわさん。ここにきてフィーバータイムが始まったんだった。だんだんと離れていく背中から「だいじょうぶー?」と呼ばれる。わたしは大丈夫だけどおまえのそのペースは大丈夫じゃねーよwと悪態をつきたい気持ちに駆られ、しかし追いかけるから問題ない、好きなペースで言ってほしいと大声で答えた。調子よく進める人の邪魔をしたくなかった。そして独りになり、この福王寺への上りでレース中2度目の眠気に襲われた。

睡魔(二度目)

一度目はドーピングなしで覚醒できたが、今回はさわさんも前に行ってしまったし薬なしでの復活は無理そうだ。時刻はまだ24時にもなっていないのにカフェインを入れて最後まで身体がもつだろうか。せめてA7キャンプ場までは素面で行きたい。同じように眠そうな選手が何人も地面に落ちているのを横目に一歩一歩がどんどん重くなっていき、福王子の手水舎で顔を洗うことだけを目標によろよろと進んだ。山頂の山寺はレースへの配慮なのか照明が灯してあって、その明るさのおかげですこし目が覚める。手水舎で顔を洗わせていただいた。人の手が入った場所に安心感を覚えてしまうわたしは本当の意味でのアウトドアパーソンにはなれないなあはははなどと自虐しながら手を合わせて福王寺を後にし、明るいところから出るとすぐにまた睡魔が襲ってきた。もう逃げきれない。お寺から出てすぐのところでわたしはスマホのアラームを5分後にセットし、しばらく地蔵のふりをした。

限界まで引っ張った後の休憩は短時間でよく効くもので、その時に投入したカフェイン500mgのタブレットも手伝って、段々と意識がはっきりとしてきた。お寺から下りた先は亀山という住宅地で、ライトの明かりを控えめにしても眠気がぶり返してきそうな気配はない。信号を渡り、往来の多い通りに立つ警備員の方にお礼を言う。このころになると、大会によって配置された警備員さんに「お世話になります。何時まですか?」と尋ねるのが趣味のようになってきた。

思いの外サクッと螺山
深夜ますます窪むわたしの瞼

「知っている」というのは大変心強いもので、急登だと分かっていればわたしは「10分で100mアップ」というのをあまり根拠のない物差しに使うことができる。福王寺に続く螺山もちょうど40分ほどで登りきった。「知っている」と断言できるのは広島湾岸トレイルランのCDである小田さんの手によるコース解説記事のおかげに他ならなくて、わたしは何度も何度も読んでいたし、前後する選手も「この分岐、noteに載ってましたよね」てな感じで多くの人があの情報量豊富な記事に触れていた。山の強弱だけでなく、エイドの地名や山の名前を憶えて親しみを覚えることができたし、わたしにとって「途中で辞めるわけにはいかない理由」にさえなったこのコース解説はもはや「完走バイブル」と呼んで差支えない。

レースの累積標高はこのあたりでちょうど5000mに達していて、わたしはここまでを練習を通じて同じく「知ってた」ことになる。知ってた量を登ってみた疲労感はどうだろうか。昼間の暑さで体力が消耗した感じ、ロードの下りが多くて腸脛靭帯にすこし来ている感じは予想していたものとあまり変わらない。滑りやすいトレイルの下りが下手くそで、ちょっと踏ん張ってしまったのか四頭筋に疲労感がある。もう少し斜面に身体を預けて膝を抜いて走ったほうが良さそうだな、でも大体のところは大丈夫そうだな。

そんな調子で、完走への期待感を抱きながらA7柳瀬キャンプ場への下りを走っていった。コース全体を通じてトレイルの下りはどこも急だったけど、螺山登山口に向かう下りは部分的に崩れているところがあって足元の明かりがすごく重要になる。わたしはウェストライトを主役にしてヘッドライトとハンドライトを補助的に組み合わせて持ち込んでいた。要所要所でバカ明るく前方を照らしてくれる安物のハンドライトは大当たりだったのだけど、ここで印象的だったのは立哨のボランティアスタッフさんがトレイル上に置いていてくださったガスランタンだった。細く切れた巻き道に立てかけるように置かれたそのランタンがあたりを温かく照らしてくれて、心も一緒に暖めてもらったような気持ちになりました。この場を借りてありがとうございます。

ガスの音さえ心をあたためてくれた

A7柳瀬キャンプ場では30分の滞在を予定していたのだけど、結局45分ほど居た計算になる。時刻は25時を回っていて、焚火の周りで選手が暖を取っているのが横目に見えるけど、その意味を考えないよう脳の手前で遮る。ウルトラトレイルの類でエイドステーションに置いてある焚火、あれにあたる選手の大半はレースを辞めるとわたしは半ば強迫的に信じ込んでいる。この先の権現山エイドで風が吹いて気温が下がっているそうで、タイツなどの保温着を携帯しているかどうか、臨時(と担当の方が仰っていた)の必携品チェックを受ける。大会のオペレーションが活きていると感じられることがかえって心強かった。

ドロップバッグを受け取って腰を下ろし、着替えはトップスだけにして、ライトのバッテリーを念のために交換し、後半戦用の補給食をザックに詰めた。エイドの補給食やおいエナを摂れているし、胃腸の不調も感じないんだけど、そのほかは当初の補給計画から崩れてきていていくつか食べ残しがウエストベルトに残っていた。ここから先、無理に詰め込むことは考えずに身体の欲しがるタイミングでの補給を心がけることにした。持ってきていたマッサージガンで腸脛靭帯の張りを緩める。疲労はあるけど痛みはない。この先も大丈夫だ。マッサージガンはこのA7で再び追いついたモンゴさんにも貸してあげて、恍惚の表情を撮らせてもらったw

モンゴさんはいつもフォトジェニックだw

福王寺で先に行ってもらったさわさんとも、このA7で再会できた。もう全身着替えが終わっていて、見るからに充実した表情のさわさんに対してこちらはまだエイド食のうどんを食べていない。「キロ4で追うからw」と冗談を飛ばし、先に出発してもらった。

ドロップバッグの中にはその時の体調によって食べたいものが選べるように準備してあって、気分はレトルトのおかゆだった。まずエイドでおうどんをいただき、二口か三口で間食し、あまったお出汁におかゆを投入、それも腹に収める。卵がゆの塩気が美味い。おかゆを補給食に使うようになったのは大好きな土井陵選手の真似で、同じことをしていると思うだけでも気分が上がる。気力も充実したところでモンゴさんと一緒にA7を出発しようとしたところ、鬼ケ城山で別れた山村くんと行き違った。序盤戦で苦しんだ彼がまだレースを辞めていなかったことに心が震えた。

後編に続きます!


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