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四十の手習い(ペン字はじめました。)

自分の書く字が雑で嫌だ。という気持ちが日増しに増している。漢字の崩し方は独特で粗暴だし、名前だってやっつけで書いてしまってるし、「を」と「ε(イプシロン)」は最早見分けがつかなくなった。

「きれいな字を書くんですね!」なんてほめていただけることもあるんだけど、きっと認知バイアスが掛かっているんだろう。軽く触れておくと、それは書き方の宿題が出されると自宅に軟禁されて、母親に一日つきっきり指導を受けて書かされた小学生の頃の経験によって得た技量によるものであって、だけどそんなことはどうだっていい。

どうせ暇なんだしペン字をかじってみることにした。コロナ禍のやり過ごし方という手段について、ガンプラかジグソーパズルどっち?なんてやりとりを友だちと交わしたこともあった。ガンプラを組みながら三たび延期になった映画を待つのも悪くないけど、暇だからこそ目についたにちがいない手元の難題に面白がって取り組む、というのも大人っぽくていいと思った。

さて、本屋に並ぶものの中でも「しっかり書かせてくれる」感じが気に入って選んだのは『日本一きれいな字が書けて教養も身につく美文字お稽古ノート』。宣伝文にはこうあった。

 日本一美しいお手本をなぞりながら、百人一首、源氏物語、枕草子の雅な和歌や名文で大和言葉や歌にまつわる用語の教養も身につく。「脳内文字」がリセットされ、無理なく美文字が書けるようになります。 

らしい。序文を読んで基本メソッドに触れ、まずは「いろはうた」で平仮名の練習をはじめる。お手本をなぞり、美しいとされるバランスを意識しながら、ぎこちない曲線を枠線の中へとおそるおそる落としていく。「む」が堅苦しい。「わ」や「れ」や「ね」は一貫して苦手だけど、自分の名前に入ってる「な」や「ゆ」は見れないこともない。「さ」では逆三角形の輪郭を意識して、「す」は大きくのばしたい気持ちを抑える。

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#むむむ

そうこうしているとベクトルが自らの内側に向かってくるのが分かる。おかげさまで、ただ字が雑になってしまっていることが嫌なんじゃなくて、年を重ねるにつれ丁寧に書くことをサボっているうちに本当に丁寧に書けなくなってきて、さらにきれいな字の書き方も忘れてしまっていることが嫌なんだろうということが分かった。
四十になっても手習いはやってみるもんだ。いや、むしろこの歳だからそういうマインドになれるのかも。こうやって内省できただけで目的の半分は達成できているような気がするけれど、嫌だと思う気持ちが取り除かれるまでは調子に乗らずに一冊まるまるお世話になりたい所存。

出版社が「主婦の友社」だということに気づいたのは買ったあとだった。平日の午後、夕飯の支度をはじめる前のほんのすきま時間を活用して手習いをする主婦の方々に並んで座り、ひらがなに悪戦苦闘する髭、、、の画が思い浮かぶ。

こういうナワバリ荒らしのようなものはすごく気にしてしまう性分で、せめてセルフレジで精算していてよかったな、と安心したんだった。



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