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11年前も短期の派遣社員だった

今から11年前。私は新卒で入った会社を辞めて、次の仕事を見つけるまでの間、短期派遣で不動産会社の事務をしていた。

渋谷駅から5分ぐらいの場所。坂の途中の会社。
斜めの場所にちゃんと建ってるな。さすが不動産の会社だなって、なんか子供みたいなこと考えながらいつも通ってた。

11年前も金曜日だった。
今日は父の誕生日でもあるからすごく覚えている。帰宅したらご飯食べに行こうと約束していたから。

お昼過ぎ。お客様と電話をしていた時、急に周りが騒ぎ始めたことに気がついた。
お客様と私、しばらく気がつかなかったけど、なんか普段と違うと気がつき始める。

「揺れてません、、、?」
「そ、そうですね、、、一旦切りますか」

その電話を切ってから揺れが一層大きくなった。
あんだけたくさん鳴ってた電話がパタって鳴らなくなった。

免震構造の建物は大きく揺れる。
急遽机の下にみんなで避難する。
隣の派遣さん号泣。私は不安だし、心配だったけど、隣の先輩の号泣すること姿を見てなぜか私がしっかりしなきゃって思った。

別に何も出来ることないけど。

しばらくして想像以上のことが起こったことに気がつく。

電車は壊滅的。帰れないかもしれないと知る。
会社に泊まっていいよ。と言われるも、会社に泊まろうとする派遣さんが誰もいない。
短期の派遣が図々しくとまるなんて出来ない。
なぜかそんな思いが頭をよぎる。

両親たは夕方あたりに連絡が取れた。大丈夫そう。ただ、両親の実家は東北だ。心配になる。

でも、私は今どうするかで頭がいっぱいだった。
割と歩いて1時間くらいだから歩いて帰る、車で迎えにきてくれたから乗り合いで帰る人続々。私一番遠いから無理。

ひとまず、夕飯は遅くまで残ってたメンバーで一緒に食べる。コンビニのものはほとんど無くなってたから、居酒屋へ。

居酒屋でもガス止まってしまってあたたかいものが出来ないらしい。でも今日入ってた宴会がキャンセルになって、お刺身のつくりが残ってるからとサービスで頂く。

ご飯を食べてとりあえず会社に戻って、さて、もう帰れないからこれは1人泊まるしかないと決めた11時。

副都心線が動くかもの一報。
私は決めた。深夜になってもいいから帰ろう。

渋谷駅。電車の再開を待つ人でいっぱいだった。

みんな静かに待つ。

遠くからおじさんの叫ぶ声が聞こえる。

「地下鉄頑張れー!頑張れー!」

みんな帰れない不安な中、おじさんの叫ぶ声はみんなの願いを代弁していた。

「(動いて、、、!!!)」

そして、運転再開のアナウンスが。
渋谷駅中に拍手が鳴り響く。

私もありがとうと感謝しながら拍手を送った。

そこからは不思議と自宅まで帰れた。
深夜2時の帰宅。母が起きていてくれた。

父の誕生日祝いは翌日に変更。

未だに忘れられないし、自分の中のワンシーンとして、未だに思い出す光景。

忘れないし忘れたくない。

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