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『患者よ、がんと闘うな』

闘う?何と闘う?


まずは、病気ってなんだろう?ということを
チャクラを介して私なりの理解を書いてみたいと思います。

日常で起きること・心で起きること・体に起きること。
これらはすべてチャクラからのメッセージです。

だから何が起きても、それは自分自身の魂が
チャクラというエネルギーのアクセスポイントを通じて
何かを訴えかけているだけ
なんですね。

どこの部位にどんな症状が出ているのか?
その症状に真摯に耳を傾けると
自分の魂の訴えと
思考が固まってた部分との葛藤が見えてきます。

なんらかの病気が発症したら
症状は『受け入れる』こと。
自分のこれまでの固定概念とは闘うこと。

この二つに尽きるな、と思うんですね。

1996年の古い本ですが、こんな本がありました。
がん患者さんに向けた本です。

わたしは治療法に関しては
本人が納得する治療法であれば
何をしてもいい、と思っています。

何をするかより、どうあるか。


何をするか?よりも
どうあるか?の方が大切。

患者自らが自分で考えることを放棄し
それまでの生き方を変えることなく
医師や治療家の言いなりになることを
魂が求めているだろうか、と。

それよりも、
自分で自分の生き方を振り返り
病気になった原因を顧みて
人生をやり直す。

これまで何度もいろいろな病気になってきている私ですが
そんなふうに症状と付き合ってきました。



わたしの若い頃、
有名なアナウンサーがいました。逸見政孝さんです。
逸見さんは胃がんでした。
公表される際に
治療に「闘いに行ってきます」とおっしゃられていて
昭和世代の方は記憶にある方も多いのではないでしょうか。
この際、年齢は48歳。
ちょうど私と同じような年齢の頃です。


リンク先のコラムを是非読んでいただきたいのは
逸見さんはとても真面目で仕事を大切にされていた方だった
ということがまずわかる。
そして2度目の手術後、主治医の治療方針に疑問を持たれた奥様が
別の病院での診察を頼んだ、とあります。
しかし逸見さんは
『主治医に失礼だ』と最初は頑なだった、とある。


つまり、逸見さんの性格的に
非常に真面目で言われたことに対して誠実に受け入れようとする方。
疑うことよりも、失礼をしてはいけない、と
自分主体よりも相手(医師)優先だった、ということがわかるのではないでしょうか。


真面目な人はとくに、こうして自分の意見をいうよりも
ちょっとおかしなことがあったとしても
飲み込んで受け入れてしまう、ということがあります。

飲み込んで受け入れる=第3チャクラ(胃のエリア)

自我、を司るのも第3チャクラですが
つまり、逸見さんの魂は
真面目一本ではなく
もっと自我を持って自我を出していい、
自我を出したい、と言ってたのかもしれません。

やるべきことをやるよりも
やりたいことを優先して
もっとワガママになっていい、と言っていたのかもしれません。


闘うべきは

わたしはいつも思うのです。
闘うべきは病気じゃない。
闘うべきは自分の固定概念
、と。

病気は自分のこれまでの生き方を
路線変更しようぜ!のサインです。
肉体は魂の乗り物。
魂が向かいたい方向と
思考が行こうとする方向が違うとき
魂は病気や怪我、何らかのトラブルという形で
方向転換を起こさせようとします。

病気に対して闘うのは
これまでの生き方を変えるつもりはないぞ!
っていう意思表示と同じ・・・・

そうではなく、魂は一体何を求めているんだろう?
どうして欲しいんだろう?
何を変えて欲しいんだろう?

そんなふうに自分へ問いかけてみて欲しいのです。

同時に病気になったからこそ見える
周囲の優しさがあるはず。。。

症状は辛いものだな、と思います。
その辛さと同じように
魂が泣いているんだな、と思うのです。

わたしは現場に立つ治療家・・・ではありませんが
病人にはまず自分に優しくしてあげて欲しい。
そして接する周囲も優しくしてあげて欲しい。
そんなふうに思います。


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