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「慰霊の日」に思うこと

今日は6月23日。沖縄にとって、沖縄に住む一人の人間にとって、本来は日本全国の人にとって大切な日。75年前の今日、沖縄で地上戦が終結した。沖縄戦のことを語る戦争体験者は年々減ってきていて、私たちの世代が「生の声を聴ける」最後の世代だと言われている。戦争体験者の高齢化が進む中、未だに「誰にも体験を話せない」人が、体験者の4人に1人だそうだ。それは考えてみれば当然のことで、悲惨で過酷な体験をそう簡単に語ることはできないだろう。

私の地元の新聞には、慰霊の日に関わらず、ほぼ毎日、沖縄戦体験者の言葉が載っている。75年経った今でも傷は癒えることなく、苦しみが続いている。私は正直、その記事にきちんと向き合うことが出来なかった。向き合おうとしていなかった。悲惨なエピソードを聴くのが、すごく苦手で、想像すればするほどしんどかった。でも本当に一番しんどいのはその体験を実際にした本人だ。痛みを本当の意味で理解することは難しいのかもしれない。その人自身の痛みはその人にしか分からない。でも、「分け合う」ことは出来るんじゃないか、と最近思う。聞く側の姿勢が、体験者に「寄り添う」ものであれば、痛みの100分の1くらいは分け合えるのかもしれない。でも正直わからない。どうしたら、彼らの苦しみ、痛みを追体験し、私たちの次の世代に伝えていけばいいのか.....でも確かなのは、伝える義務が私たちにはあるということ。もう2度と同じ戦争を繰り返してはならないと強く思う。

戦争が繰り返される「構造」を理解することは、すごく意味のあること。なぜ戦争が起きるのか。そういう問いはすごく大切だと思う。今、日本がかつての「戦前」のような空気に包まれている、と危惧されている方がたくさんいる。私もそう思う。「戦前」を体験したことはないけれど、国家が国民の表現の自由を制限しつつあるこの流れは、まさに「戦前」そのものだと思うし危機感を感じる。

まだまだ学ぶべきことが沢山ある。目を背けたくなることもある。でも、きちんと事実を知ることで見えてくることはたくさんあるはず。私たちの子供の世代、100年、200年後も戦争の無い平和な日々が続いてほしい。そのために、75年経った今、語り続ける方々へのリスペクトと共に、自分が次の世代に出来ることは何か、語り継ぐとはどういうことなのかを考え続けたい。それは今を生きる私たち、戦を乗り越えて繋がってきた「命」である自分が、果たすべき大切なことだと思う。

正直、こういうトピックを語れる人がいない。仲間がいないと今感じている。仲間が欲しい。

私のおじいちゃんは89歳でちょうど戦争中に中学生くらいだったから、記憶は鮮明で、よく話を聞かせてくれる。でも全てを語るわけではない。誰にも言えない、思い出したくない辛い体験をしてきたんだろう、と想像する。こういうことを私の同世代の人はどれくらい知っているんだろう?平和教育がどんどん減ってきていると、地元紙の記事で読んだのを思い出した。私は小学校の時、「対馬丸」の劇を演じたことがある。「幸子」という名前の子どもを演じたと思う。一人生き残る役だった。

罪のない子供たちが大勢亡くなった「対馬丸」の悲劇は、ちゃんと今の子供たちにも伝わっているのだろうか?気になった。クラスメイトが、一緒に昨日まで遊んでいた友達が命を一瞬にして奪われる。想像してもし尽くせないほどの強いショック、喪失感、絶望だったのだろう。よく体験者の言葉で「自分だけ生き残ってしまった、申し訳ない」という罪悪感を抱えている言葉が出てくる。生き残っても地獄。75年の今も続いている。

どうしてもこの記事を書きたかった。書かずにはおれなかった。

どんどん沖縄戦のことが風化していく、忘れられていく。それを黙ってみている訳にはいかない。恐怖、不安。

「同じ過ちを二度と繰り返してはならない」

戦争で亡くなった方の御霊が安らかに眠れますように...


どうか、どうかこの想いが届きますように。


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