左翼はトラウマだった②

もう30年以上前のことだが、あらかた覚えている。
人間、嫌な記憶ほど、鍋のおこげみたいに、こびりつくものなのか。
これまた、シリーズ化して、書いていきたく思う。
拙稿を見て、それでも共産党なり民青なり入りたい人は、
「こういう人が沢山いるよ」
という認識をお持ちいただきたい。
私の場合は、特に、民青のせいで、人生を狂わされ、破壊された。
正確には、民青にいた者たちのせい、か。
無神経で、非情で、冷酷・・・
ついでに粘着レベルで執念深い。
創価みたいに「カネカネカネ」じゃないところが、救いではあったが。

繰り言だけど、彼ら自身は、悪い意味で変わっていないから、
党員も赤旗も減り、議席もだだ減りなんだと思う。とはいっても、
左翼を断ち切ったところで、孤立無援な現況があるのみ。
それでも、12条党員ながら、
「去ってよかった」
とは思う。

共産党に選挙で票を入れるのは、「仕方なく」。
自公維+自称国民などは論外だし、
立民だって、足りになる議員は寡少。
ほかに選択肢になりえるのは、問題多々あるけど、せいぜいれいわ新選組。

そもそも、最初に足を入れた?民青だって、自身が進んで入ったわけではなかった。
共産党の地方議員と知り合いだった
母親が、押し付けてきた代物だった。

つづく

現在は無名の、いちネット作家に過ぎませんが、 書き続けるためにどうか ご支援をどうか よろしくお願いいたします。 a.kimitoki2023@gmail.com