どうして日本人はウマシカだらけなのか? その3

愚の国日本の「教育」を素人ながら語るうえで、不可欠な点が一つある。
この国の「教育」は、子供を馴らすアイテムであること。
で、その、馴らすアイテムには、間違っても子供の側に立つ教師は不要。
子供を痛めつけて、いろんな意味で点数を稼ぐ、できるのなら、上に覚えのめでたい人物が最善。
このノートで再三ネタにしてきた3名が、最たるもの。
だから、元校内犯罪者なのに、「出世」する。
名簿外の人物だが、例えばヨシタケマサヒロ、という人物などは、校長先生様になり、
赴任先のガッコで、
「一本でも眉に髪がかかったら校則違反」
などという、恥ずかしいガッコに仕上げたみたいだ。
この点、小倉南高の当時の学生だったお人に伺いたいものだ。
<人間は工業製品ではないよ>

もっとも、上に上手く取り入る先生様が出世する仕組みは、今に始まった話ではない。
「君の可能性」にもそんなくだりがあった。
戦前から続く陋習みたいだ。
それでもって、やれ創造性のやれ生き生きした人間のやれ輪郭があるの、やれ夢の未来の希望のを語れる人間がガッコでできるわけがない。
海馬を鍛え、どこぞのねらーみたいに、滂沱な知識情報をマウント取りに使うのが関の山だ。
だから、日本人の大半は、海馬の良しあししか、問題にならない。
それと、やれ校長のやれ教頭のになっても、リスペクトされない。
少なくとも私は侮蔑する。

日本のガッコは、イディオットメーカーと言っていい。

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