離郷してから35年

もっとも、育地であった筑豊の恥部には、今もたまに出入りしているが。
拙著「凍てついた時、封じこめた時」
でも離郷には、触れた。
<小説はそもそも与太話なのだが、うつつをベースに書くのは普通?>

その筑豊の恥部で、中学生のいじめ自殺が発生。
いじめといっても、蹴る殴るばかりじゃない、言葉の暴力、というのもある。
相手の心身を傷つける行為がいじめに該当する。
ま、筑豊の恥部では、そのような行いを学生時代にやっていた者が教頭だったりする。
今月1日の写真投稿を参考にしていただきたい。

関係ないけど、高名な?教育者である蔭山英男さんは、筑豊の恥部のガッコを、何やらほめちぎっていた。

今も残念なのは、筑豊の恥部で関わった、心ない者たちのせいで、行きたかった道に行けず、誰でも名乗れる、ネット作家を称するのが精いっぱいだったこと。
このノートで、ツボイという人物について散々言及したが、人の人生を破壊しても、何とも思わないものは、筑豊の恥部ならではか?
彼女のような人物にいうだけ無駄だけど、一つのうそが、人の人生を壊すことがある。
壊す側の者はさぞ気分爽快だろうがね。

私には、恨みつらみしかない筑豊の恥部こと田川。
今はショッピングモールに成り代わった紡績会社に、単身赴任という形で出向き、離郷した。
それでもって、この35年で、田川はどう変わったかというと、
後藤寺のバスセンターが廃止されて、幽霊屋敷と化した。
商店街は、シャッター通りと化し、おまけに田川市郡の小中高は思いっきり減った。
ついでに白いカラスも減ったw
増えたものは悪評だけ。
何なら、金融機関の支店というか店舗も減ったのだが、
量販店は、なぜか健在。

それでも、よその地域よりは、インフラは充実?している。
田川伊田駅なんて、駅舎自体は、人口4万の田舎町にはもったいないくらい。
多分、正月に被災した能登半島よりは、はるかにインフラは充実していて、
夜も街灯ピカピカだし、舗装道路だってキレイ。
セブンイレブンが田舎にしてはバカ多い。
車を持ってる人は、へたに福岡市に住むくらいなら、肝が据わってる人限定で、移住をおすすめ?できる。

それが筑豊の恥部、田川。

いじめ自殺については思うところがあるので、別記事で。



現在は無名の、いちネット作家に過ぎませんが、 書き続けるためにどうか ご支援をどうか よろしくお願いいたします。 a.kimitoki2023@gmail.com