知らないうちにデジタルに
【自分史の切片としてのカメラ機材 #5 】
気がついたらデジタルカメラの時代になっていた。
最初のデジタルカメラが商品化されてからすでに20年。慌てはしなかったが、必要に迫られて実用的ないわゆるコンデジを買った。デジタル一眼レフの存在感はまだ希薄だった。
いま手もとに残っている最も古いデジタル画像は、2002年のリコーCaplio RR30で撮ったもの。どんなカメラだったかすっかり忘れてしまったが、その頃のリコーは元気がよくて、意欲的な製品を次々に出していた。300万画素で5万円弱だったらしい。いまの感覚で高いのか安いのか、よくわからない。
2004年にパナソニックDMC-FX1というライカレンズ付きのコンデジで撮った写真が残っているから2年後には買い換えたことがわかる。このカメラのこともすっかり忘れていたのだが、ライカのレンズがついていたのが魅力だったのではないか。
フィルムカメラのボディは、新しい機種であっても原理はただの暗箱に過ぎない。レンズとフィルムの特性こそが写真の違いをつくり出す。と、いまはそう考えるのだが、その時代には、AEだAFだオートデートだという付加的な新技術に目がくらんでしまっていた。
ではデジタルカメラはどうか。撮像素子の解像度がどんどん上がり、素子の性能や画像処理技術も二次曲線を描くように進化して、出てくる画像の質に大きな違い生まれる。それが素人にもわかる。いまは落ち着いたが、新しいボディが発売されるたびに商品価値が明らかに高まっている、という時代が続いた。だから、デジタル機は何年かごとに新しい機種に切り替えた。手放したカメラを記録した写真はほとんど残っていない。それほど執着していなかったという証拠だろう。使い捨てならぬ「使い売り」である。
さてライカM6で使うべく購入した35mmと50mmのズミクロン。世の評価はすこぶる高いが、フィルムの現像をカメラ屋に出すのも面倒だし、それをスキャナーでデジタル化するのも時間と手間がかかる。このレンズをデジタルで使いたい。その目的で買ったのがリコーGXRというレンズをユニットごと交換するユニークなカメラ。購入したのは2010年あたりだったろうか。専用レンズのA16もとてもよかったが、ライカのMマウントレンズが装着できる MOUNT A12というユニットが別に用意されていた。これを使ってライカレンズで撮影するのは、ちょっとマニアックな気分にもなって楽しかった。酒田の土門拳記念館と鶴岡の藤沢周平記念館へ出かけたときもこのカメラと一緒だった。トップの写真は京都で撮ったもの。
しかし、欲望が満たされると次の欲望ががふくらむ。GXRのAPS-Cではなく、ライカ本来のライカ判サイズのセンサーで使ってこそライカのレンズのよさがわかるのではないか。世の中の人たちも同じことを考えていたらしい。
フルサイズのセンサーを持つソニーのα7が発売されたのは2013年。これにサードパーティのアダプターをつければライカのレンズが使える。そういうことがわかって、GXRからα7に乗り換えた。
古いレンズとともにエグザクタ、M42、SRなどのアダプターを次々に買い入れた。結局、ソニーEマウントの専用レンズは一本も買わなかった。α7はオールドレンズ専用機となって、もうすぐ冬眠の時期を迎えそうだ。
α7がオールドレンズ専用機となってしまった理由はほかにもある。α7の発売のすぐ翌年にその改良版で手ブレ補正などが搭載されたα7Ⅱが発売されたのだ。この大改良からα7 シリーズは大きく発展して行くのだが、初代無印のα7は取り残されてしまい、応用範囲も狭められてしまった。
同様な経験をほかの機種でもしている。ニコンD300。購入して1年後の2009年にD300sという改良版が発売されてしまった。ニコンD600を買ったら、翌年の2013年に改良版のD610が発売されてしまった。その後も初物買いをして「痛い目」に合わされ続けた。
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