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中判フィルムカメラたちは奇妙な縁でやってきた

【自分史の切片としてのカメラ機材 #4
41歳で転職した。米国系の企業から中小企業的な古めかしさを残した日本の会社へ。戸惑うことが多かった。
入社して間もなくのある日、社屋裏のバックヤードを通り抜けようとしたら、カゴの中にカメラや交換レンズがゴチャゴチャと放り込まれているのを見つけた。こんなカメラを使うのは自分が所属している広報部以外に考えられない。部下の一人に「あれは何だい?」と問いただしたら、「へい、もう使いませんし減価償却も済んで除却しましたから、処分するんです」としらっと答えた。会計上は何の問題もないし税務上も正しい処理と言える。しかし、カメラとしての価値は別に存在するはずだ。そのとき感じた違和感はいまも忘れられない。
簿外資産ではなく廃棄処分品なら、廃棄業者が来る前に救出しなくては。少し後ろめたい気もしたが、すぐにバックヤードへ引き返した。それがいま持っているゼンザブロニカS2である。交換レンズが3本。接写リングもあった。おまけにセコニックの露出計スタジオデラックスまであった。宝箱を見つけたようなものだ。

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ゼンザブロニカには以前から関心があった。当時はレンズシャッターよりフォーカルプレーンシャッターの方が上等だと信じていたから、ハッセルブラッドよりもブロニカが評価されるべきだと考えていた。「ボロニカ」などという悪口は耳に入っていなかった。そこにS2が舞い込んで来たのだ。
ところが、ちょうどその時は仕事に必死になって写真撮影への興味が薄くなっていた時期に当たる。その数年後にブロニカ専門の修理業者でオーバーホールはしたものの、ほとんど使う機会はなかった。
ゼンザブロニカのデザインは大好きだ。とくにロゴ回りのデザインはメカニカルな端正さがあってよいと思う。いまも防湿キャビネットに静かに収まっているブロニカを見ると、少し心が動く。

ある日、ヨドバシカメラのPR紙に掲載されていた街角の写真に惹きつけられた。ローライフレックスで撮影。こういう写真が撮りたい。ローライなら必ずこういう写真が撮れるというわけではない。それは理解しているのだが、ここはどうしてもローライフレックスを手に入れなければならないという動機が生まれた。
カメラ店やネットを渉猟したが2.8Fは割高。レンズが大きいだけに重いことも知ってプラナー付きローライフレックス3.5Fをターゲットにして、ヤフオクで落札した。2019年のことだ。

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最初に撮影に向かったのは千葉県の佐原。思ったような写真は撮れなかったが、プラナーの発色や抜けのよさは確認できた。
悔しい思いもした。撮影の帰りに代々木上原で途中下車して、蕎麦屋へ立ち寄った。その店は本来バーなのだが、昼の時間帯だけ蕎麦屋をやっているという変わった店だった。ご主人の立ち居振る舞いが気に入った。客は他にいない。諸々の話をした後で、カウンター越しに撮らせてもらうことにした。失敗写真が2枚撮れた。内蔵露出計を使ったにもかかわらずTri-Xを現像してみたらかなりのアンダーになってしまった。二眼レフの欠点の一つである視差にも意識が向かなかったので構図が下に大きくずれた。慣れないとそういうことになる。
それにしても、このカメラは精密機械そのものだ。しかもそれぞれのメカニズムがキッチリつくられていて、創意工夫にあふれている。
観光地などで撮影していて、見知らぬ人から声をかけられる頻度が高いのもローライフレックスだ。二眼レフが珍しいというほかに、懐かしいという反応が少なくない。オヤジが持ってましたとか、遠くを見るような表情をする人とかいろいろだ。強烈な存在感がこの二眼レフにはあるようだ。

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若いときはスタジオでの撮影現場に立ち会う機会が多かった。当時のコマーシャルフォトの主流は大判の4×5。商品をセットし、カメラマンが構図を定めると、それを確認するのがクライアントサイドであるこちらの仕事。撮影助手が距離を測ってピントを合わせ、カメラマンがシャッターを切る。ポラロイドで再確認してから、本番の撮影になる。
経費を節減するときや小さめの角版で使う写真は中判の6×6で撮る。そこに必ず登場するのがハッセルブラッド500C/Mだ。最高のカメラとの評価が高かった。同じ中判でもマミヤやブロニカやローライでは許されない。それが当時のグラフィックの世界だった。ハッセルは別格だ。それを所有することなど考えたこともなかった。
ところがである。懇意にしている写真家から、ハッセルを売りたいというカメラマンがいるという話が舞い込んだ。レンズは3本、接写リングや蛇腹フードもあるという。プロが使い込んだ個体とはいえ、あのハッセルが・・・という提示価格だったので、ローライフレックスを買った直後にもかかわらず、即座に「買った!」と告げた。
使い方にさまざまな「お約束」があって、決して使いやすいカメラではない。どこまでもプロ仕様のカメラであることを、使ってみて理解した。しかしハッセルである。これが「所有の喜び」というものなのか。

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そんなとき予想もしなかった一台が手もとにやってきた。初期型のペンタックス67。こいつとは40年ぶりの再会なのだ。
工業デザイナーだった義兄がモデル(モデルさんではなくて粘土などでつくった試作品)などを撮影する目的に使っていたもの。若いときにそれをちょいと借り出して撮影したりした。その1枚が一番上のカバー写真。
とっくの昔に処分してしまったものと思っていた。それがいまも物入れの中にあるという。ありがたく譲り受けることにした。持ち帰ってフィルムを入れてみたがシャッターが切れない。このカメラは空シャッターが切れない仕組みなので、フィルムを入れてみるまで機械の作動を確認できない。
壊れたままならただのジャンク。使えてこそのクラシックカメラ。手に入れたからには使えるようにするのが義務というものだ。そう考えてペンタックス専門の修理屋さんでオーバーホールしてもらうことにした。モルトプレーンがモロモロで、内部の傷みも激しかったという。30年以上眠っていればそうなるだろう。TTL測光機能にはもともと問題なく、レンズもほぼクリア。これで撮影できる。
重い。実に重い。左手側に木製ハンドルが装着でき、ピント合わせや絞りのセットは右手側。そこが35mmカメラやデジタル機と異なるところ。少々まごつく。ピントは被写体が暗いと合わせにくいが、明るければ問題ない。ミラーショックは、過去の記憶に残るドシャン!よりは軽く感じる。オーバーホールの効果かもしれない。
このカメラのよいところはアイレベルで撮れること。そのためのペンタプリズムが重さの要因なのだが、これはトレードオフの関係だろう。もう一つの特長は文字通り6×7であること(正確には5.5×7)。6×6のスクエアも楽しいが、慣れているのは横長サイズだ。ファインダーを覗いて違和感がない。
このペンタックス67がやって来る2、3年前のこと。偶然40年前にこのカメラで撮影したネガを数枚押入の奥から発見した。運河のようなものが写っている。小さな神社を写した1枚もあった。神社の名前が読み取れる。商店名が読み取れるネガもある。それらを手がかりにGoogle Mapで検索をかけ、ストリートビューで確認したら、千葉県の浦安にある神社がそっくりだった。さっそく浦安に出かけて現認した。商店はほとんどなくなったり現代風に改装されていたが、撮影地点をほぼ確認することができた。残念ながら上のカバー写真の履物店だけは場所を特定することができなかった。

#3へもどる #5へつづく

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