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素敵とは何ぞや

素敵、ステキ、すてき、ステッキ。
色んな素敵があると思うのですが、そもそも素敵って何なんでしょうね。
素敵と思うことや物はどのように自分の心とリンクしているんだろう。
そんなことを思いました。

そもそも「素敵」という言葉はなぜこの字が使われているのかということが気になったので調べてみました。漢字文化資料館というサイトに載っていましたのでリンクを載せておきます。

「すてき」は、江戸時代も後半になってから使われ始めたことばですが、その語源は、「すばらしい」の「す」に「的」がついたもの、という説が有力です。

~中省略~

となると「すてき」とは「す的」なのであって、「素敵」は当て字だ、ということになります。事実、「すばらしい」を「素晴らしい」と書くことから生じたのでしょうか、「すてき」を「素的」と書く書き表し方もあって、昔はこちらの方が「素敵」よりも優勢だったといいます。

漢字文化資料館

な、なるほど~と思いました。なんで「敵」がつくんだろうなと思っていたんですが当て字なら納得します。

「すばらしい」+「的」で『素的』と思うと、「的」はもしかして「まと」と読んで解釈してもいいのでは?と思いました。自分が感じ得る素晴らしいという感受性の的の中に矢を射るように刺さったものがもしかして『素的』になるのではないかと。それもそれで素的ですね。

話を戻しますが、素敵って多分自分にない素晴らしいものだったり魅力だったりこう自分の感性と合ういい人や物に出会ったときに感じるじゃないですか。それってなんだか不思議な気もしていて、こうその瞬間細い糸でつながったような感覚もあってそこで何かしらの縁のようなものも感じます。「自分はこれを求めてたんだよ!!」みたいな突然の叫びが出てきたりだとか、「あ、自分はこのために生きてたんだな」と思う瞬間があったりだとか。それってとても精神的なというか見えない自分の内側の何かが教えてくれているような気もして面白いなって思います。

そして大体素敵と思うものを感じたり目にするとその人の目がキラキラするじゃないですか。というかそういう感じに見えてくる。それってものすごいパワーで何かが内側から溢れだしちゃってるんだと思うんですよね。人の言動がわかりやすいってとき、大抵何かが溢れ出してしまっていると思っているので。

素敵だと感じるものに出会ったとき、その人の心の何かを動かすスイッチを押す働きをしてそれが溢れ出してしまう。素敵にはそんな作用があるんだろうなと思います。
そして素敵は生きていくには欠かせない要素で、定期的、不定期でもいいですが摂取しないと心が死んじゃいますよね。
摂取することで心を綺麗にしたり変化を持たせたりエネルギーをくれたりするので本当に大事だと思います。

なので素敵だと思う人、素敵だと思うこと、素敵だと思うもの等については本当に大事にしていきたいなと改めて思いました。
きっとそれが人生の糧にも道標にも癒しにもなってくれると思うので、できるだけたくさんの素敵を集めて生きていきたいですよね。

素敵って何ぞやってタイトルでしたがそんなに深堀できた気がしなくて少し申し訳ないです…。ですがここまで読んで下さった方、少しでも興味持ってくださった方、ありがとうございました。
今日も明日もよい一日でありますように。



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