短編小説「ささやかな偏見」
仕事が終わり、向かったのはあるシーシャのお店だった。
シーシャ屋は私にとって喫茶店のようなものだった。
今まで行ったお店は一人客も多く、作業や読書をしながら悠々と過ごす空間だった。閑静な街に佇むお店は、ひとり客が作業や読書をしている場所も多いのだ。
シーシャと言うと呑んだくれた大学生の集団、マウントを取り合うサラリーマン、小洒落たカップルの場所と聞く事が多い。
確かに、そういうお店もある。そういう場は、独特の欲や匂いが漂う動物園のようだった。
例えるとキリンがシマウマに
「最近どれくらい人間に見られてる?私、今日で3万人達成だよ。シマくんは調子どう?」
「うーん、僕はまだ二万人くらいかな…でも最近は仲間と雄たけび祭っていうのを始めて、徐々に集まってきてるよ。ほら、楽しんで仕事したいじゃん?ヒヒーン」
という何十人もの会話が耳に入ってくる。
そんな具合だ。
良し悪し関係なく、私にとってただ合わない空間だった。そのため、いつも決まって個人経営店や閑静なエリアにあるチェーン店に通った。
その日は、最寄りから10分の場所に位置する『ヨシダーズ我流』というお店に向かう事にした。口コミでは4.5、あたりでは割と人気のあるお店のようだった。
店内画像には、小ぢんまりとした一人用席が数席、薄明るい落ち着いた空間に見えた。
ここなら静かに集中できそうだった。
今日の目的は転職活動だ。最寄りからの10分間、私の頭の中では履歴書、エージェント、求人応募の名詞でいっぱいだった。
とりあえず空間さえ整えば、集中はついて来る。
救いを求めるかのように私はそそくさと向かった。お店に到着し、どこか場所を間違えたような気持ちになった。
店前には『ヨシダーズ我流』と習字筆で書かれた看板が掲げられていた。
店内には一人席だけでなく、畳席、そして壁には和彫りの絵が数々飾られていた。かなりの我流のようだ。少し不安を感じながらも、お店に足を踏み入れた。
店主が眉を上げて出迎えた。唯一の客である奥にいたカップルは、私の頭から足までをなぞるように伺ってきた。
「お客さん、味はどうなさいます?ダブルアップルとかバニラとかかな?」
え、いやなぜだ。なぜその二択で伺う。
私は困惑した。
「柑橘系が好きなので、柑橘とスパイスを混ぜた味とか可能ですか?」
「カルダモンとダブルアップルとかかな?ちょっとキツめが多いから、きっとお客さん持ちこたえられないと思うよ」
アップルはいつから柑橘系なのか。何が持ちこたえられないのか。疑問が疑問を生んだ。店名には『我流』とあるだけ、ものすごい代物かもしれないと期待を胸に言われるがままオーダーした。
店内では、SuchmosやPunpee、鎮座dopenesなどのゆるい日本ラップが流れていた。
店主は60代でグレーのフードを被り、リズムに合わせて頭を小刻みに揺らしていた。奥に座るカップルも店主と同様、音に合わせて肩を揺らしながら歌詞を口ずさんでいた。
「最近トルコものは仕入れないんですか?」
カップルの彼が店主に聞いた。
「ああ、Dozajか、最近は難しいかな。でも君はNAKHLA好きでしょ?笑」
「まあ、そうですけどね。まあ最近はAzureとかいいす。ありますか?」
ビジネスマンが横文字を多用するシーシャ版があるのか、と思いながら話を聞いてみることにした。
「なあ、アリサAzure試してみなよ、絶対気にいる」
「うーんそうね。ジンバックもお代わりが欲しいな」
片丸出しの服を着た彼女は彼に微笑みながら答えた。
店主は何かを思い出したようにカウンター裏に戻るった。
程なくして私のシーシャが出てきた。
「はーいお待たせ」
ポンと置かれたシーシャの手元にはキティーちゃんの装飾が付いていた。この店で言うお子様セットなのかと言う疑いを捨て、思いっきり口に含んだ。
勢いよく肺に空気を入れ、店内にはブクブクブクと音が鳴り響いた。口を大きく広げ、煙をもくもくと吐いた。口から吹いた煙は真っ白な雲のように目前に広がり、残りの煙を鼻から出した。
味はリンゴジュースを水で薄めたようなものだった。
店内では、店主とカップルが話し声が広がった。
「Azureのカリフォルニアブルーにちょっとカルダモンを混ぜてみたよ 笑」
「いや、これしかないですね。なあ、いいだろうアリサ」
「そうね、ジンバックお代わりしていいかしら」
彼女はジンバックの方が好みのようだった。
その日私は、この店なりの我流に集中することになった。もちろん転職活動はせずに終わった。
きっともう戻らないがどこか新しい学びを得た気持ちで夜道を歩いた。
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