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偽物寅次郎 ~寅次郎の名を盗んだ男~ 第1部 (作:鈴木公成)

『偽物寅次郎』 ~寅次郎の名を盗んだ男~ 第1部(作:鈴木公成)


●登場人物表

・僕(鈴井)
・樋口浩一(樋口寅次郎)
・江崎ひろ子(江崎リリー)
・伊勢谷


●柴又

♪音楽「男はつらいよ」

 東日本大震災から9年が経った。僕は元福島県民で、いわゆる震災被災者であり、原発事故避難者でもある。故郷には悲しい思い出もあり、もう戻らないと決めている。もっとも、もう戻る家もないんだけど。まあそんな訳で、僕はこの9年間、新しい故郷となる安住の地を求めて日本各地、色んな所に何箇所か住んでみたんだけど、どこもしっくり来る所は無かった。それでも僕は安住の地を求めた。日本のどこかに、僕がピッタリ当てはまる場所があるはずだと信じて。僕はもう、42才になる。独身。42才。9年前、震災が起きる前は32才。まだ若い。結婚だって出来る。まだ夢があった。それが、震災で人生がメチャクチャになってしまった。新しい土地で仕事についても、何か虚しい。何をする気も起きない。そして辞めてしまう。その繰り返しだった。そして気がつけば42才。42才、独身、職業不詳。まるでフーテンだ。フーテンの寅さん。そういえば、映画『男はつらいよ』の寅さんも、映画の中では40才ぐらいじゃなかったかなあ?僕は、『男はつらいよ』はテレビで何本か見た程度だったけど、ブサイクでいい加減な独身中年男の寅さんがマドンナに恋しては毎度振られてしまう。そういう映画だという事は知っていた。そして、監督の山田洋次監督が、インタビューで『寅さんは結局就職できず、女性にも振られ続け、最後は60才を過ぎて旅を辞め、故郷の柴又に落ち着き、小学校の用務員をやって余生を過ごす』。そういうストーリーの構想を持っていると答えているのを目にしたことがあった。

僕「寅さんか。男はつらいよ。フーテンの寅さん」

♪映画「私、生まれも育ちも葛飾柴又でございます。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎。人呼んで、フーテンの寅と発します!」

僕「ははは。フーテンの寅さんか。まるで今の僕みたいじゃないか。葛飾、柴又、行ってみようか!」

 思い立ったが吉日。僕は行動力だけはある。柴又へは一度観光で行ったことがある。だけど今回はそうじゃない。柴又に住んでやろうというのだ。42才。無職。仕事も長続きしない。まるでフーテン。僕にピッタリだ。そんな僕でも、この寅さんの街なら受け入れてくれるかもしれない。なんてったって人情の街だ。そしてあわよくば、僕が寅さんみたいなポジションになって、柴又の人気者になってやろう。そんな事を考えながら、僕は早速、柴又の物件を検索。手頃な部屋を見つけ、すぐに契約、引っ越し。こうして、震災後、何のやる気も起きず、フーテンになってしまった僕が、ついに輝ける場所を見つけたのだ。葛飾、柴又、映画『男はつらいよ』、寅さんの街。僕はこの街でやり直せる。そういう思いで、僕の柴又ライフが始まったのだ。

♪江戸川河川敷。車の音。川の音。遠くの電車の音。ランニングをする人の足音。少年野球の音。

僕「ははは!ホントに映画のまんまだ!江戸川の土手!三角帽子の取水塔!ランニングをする人々!草野球の少年!」

 柴又に引っ越した僕は、早速、柴又を散策した。柴又駅前の寅さんの銅像、帝釈天、寅さん記念館、そして、映画で何度も見たこの江戸川河川敷の風景。

僕「俺が居たんじゃお嫁にゃゆけぬ♪わかっちゃいるんだ妹よ♪」

 僕は、男はつらいよの主題歌を口ずさみながら、江戸川の土手を歩いたり、寝っ転がったり、景色を眺めたりして楽しんだ。

僕「奮闘努力のかいもなく♪今日も涙の♪今日も涙の日が落ちる♪日が落ちる♪」

僕「はあー。ホントに映画のまんま。僕は今、その場所に居るんだ。何だか映画を撮りたくなってきたなあ」

 僕は、映画が大好きで、若い頃は、近所のレンタルDVD屋の棚に並んでいるタイトルの殆どを見てしまったんじゃないかと思うぐらい、相当の本数を見ていた。そして、その映画好きが祟り、ある時、私財300万円を投じて、自主制作映画まで撮ってしまった事があるのだ。映画作りなんて全く初めて。脚本を書くのも初めて。そして出演者も街の素人ばかり。演技をかじった者も居たが、市民劇団レベルの人達だ。でも僕は熱意で200人もの人を掻き集め、撮影スタッフだけは東京からプロを呼び寄せ、そして何とか1本の映画を撮ったのだ。しかし結果は、鳴かず飛ばず。映画館で流してもらおうと持ち込んでみても、やはり素人が出演しているせいか、クオリティが低いと言って流してはもらえなかった。結局、劇場公開は諦めたが、今はネット社会だ。ネット配信をした所、こちらもヒットという訳には行かなかったが、それでも今でもちょこちょこ見られていて、時折届く感想には『感動しました!』『泣きました!』というものもあり、僕は自分の才能を疑ってはいなかった。そして、またいつか映画を撮りたい。そういう思いは常に持ち続けていたのだった。

僕「僕は今、映画の街に居るんだ。そうだ、もう一度映画を撮ろう。もう、プロのスタッフを雇えるお金はないけど、ノウハウは学んだ。後は手持ちのカメラで、出演者も素人でいい。撮ろう。まずは、せっかく柴又に居るんだ。この江戸川の土手で、男はつらいよのオープニングのパロディ動画を撮ってやろう。それがネットで評判になれば、山田洋次監督に会えるかもしれないぞ!よし!やろう!ネットで葛飾柴又の仲間集めだ!」

 僕はそう思い立ち、さっそく仲間集めを初めた。まずは葛飾区のSNSグループに投稿。しかし、応募は無かった。次に街のコミュニティFMラジオに出演し、仲間募集の告知をした。しかし、これも応募ゼロ。困った。それでも僕は諦めず、もう一度SNSに投稿してみた。今度はある程度、江戸川河川敷の風景動画を撮り、僕はある程度撮れるんだ、後は参加者だけなんだ。そう思ってもらえるような動画も投稿した。そうした所、ついに一通の連絡が来た。

伊勢谷「SNS見たんだけど、お前、柴又でまだ一人も友達居ないのか?俺は生まれも育ちも柴又でさ。何だかほっておけなくてさ。今度ウチでメシでも食うか?」

 そんな内容の連絡だった。伊勢谷さんという人からだった。僕は飛びついた!急いで返信した!

僕「お誘いありがとうございます!ぜひ伺います!」

 僕は嬉しくなった。さすが人情の街だなあと思った。地元の人と何か接点ができれば、そこから縁が広がって行くに違いない。僕はそう信じて、約束の日に伊勢谷さんの家に向かった。

僕「こんばんわ」

 僕が呼び鈴を押して、様子を伺うように挨拶をすると、玄関のドアが開き、伊勢谷さんが現れた。

伊勢谷「おう、来たか。どうぞどうぞ。何にもないけどな。ははは」

 伊勢谷さんはそう言って僕を中へ案内してくれた。中へ入ると、大型テレビに大型スピーカーのステレオ、壁一面にビッシリ詰まったレコードとCD、他にはロードバイクやらサーフボード、ロボットの模型や変な木彫りの人形の様なものもあった。多趣味というか、何というか。ちょっと変わった人かもしれない。僕は直感でそう思った。

僕「伊勢谷さん、多趣味ですね。大型テレビに、ステレオに、レコードに、ロードバイク、サーフボード、あ、このロボット知ってます」
伊勢谷「ん?そうか?まあ、独身で、稼いだ金は全部自分の為に使えるからな。ははは。好きにやってるよ」

 伊勢谷さんはそう言って笑った。

伊勢谷「所で、あんたは?」
僕「あ、僕も独身です」
伊勢谷「そうかそうか、まあそんな気がしてたよ。今日はもう一人来るんだけど、その人も独身だから。ははは。まあゆっくりしてよ」

 伊勢谷さんはそう言いながら、途中だった料理の準備に戻った。

♪料理の音

伊勢谷「へー。福島からねえ。大変だったね」

 伊勢谷さんは料理をしながら、僕に色々訪ねた。

僕「はい。家はもう全壊しちゃって、帰る家もなくて。各地を点々としたんですけど、40を過ぎて、ある時突然、寅さんの事思い出しちゃって。フーテンの寅さん。今の僕はまるっきりフーテンだなと思って。だから、もしかしたら柴又なら僕を受け入れてくれるんじゃないかなと思って」
伊勢谷「ははは。なるほどな。まあ俺は、生まれも育ちも柴又だから、それこそ、男はつらいよの撮影現場なんかも見たことあるしね」
僕「へー!そうなんですね!」
伊勢谷「うん。まあ、シリーズは1996年に渥美清さんが亡くなっちゃって、実質終わったんだけど。ただ、たまに居るんだよ。あんたみたいにさ、映画のイメージでさ、葛飾柴又は人情の街だって思って、移り住んで来ちゃう人がさ」
僕「へー、やっぱり居るんだ。そういう人」
伊勢谷「うん。俺もやっぱり、生まれも育ちも柴又だから、そういう人ほっとけなくてさ、声かけてメシに誘ったりするんだけどさ。まあ大体しばらくするとみんなどっか行っちゃうよね。やっぱり、映画と現実は違うって思うんじゃない?」
僕「はあ、やっぱりそうですか」
伊勢谷「うん。ただ、今日これから来る人は、移り住んできて残った、数少ない一人。面白い人なんだよ。きっと気に入るよ。そろそろ来ると思うんだけど」

 そう言って、伊勢谷さんが時計に目をやると、ちょうどインターホンが鳴った。

伊勢谷「お、来たかな?はーい」

 伊勢谷さんが玄関へ向かう。「どうもこんばんは」「おー上がって上がって」そんな声が聞こえる。そして伊勢谷さんの後ろについて、一人の男性が顔を見せた。

伊勢谷「こちら、樋口寅次郎さん。寅さんのモノマネやってる芸人さんなんだ」

 そう言って伊勢谷さんは樋口さんを僕に紹介した。樋口さんは、年齢は60才ぐらい?丸顔で、見た目は全く寅さんとは似ても似つかなかった。でも、モノマネ芸をされるんだと思うと、僕の顔は綻んだ。

僕「はじめまして、鈴井と申します」
樋口「おー、はじめまして、樋口です。何?寅さんが好きで柴又に来たの?ははは」

 僕のことはすでに、伊勢谷さんから樋口さんに伝わっていたようだ。

僕「はい、何か、寅さんが自分の境遇と重なっちゃって。あと、映画も好きなので」
樋口「へー、そう。何か映画も撮るんだって?すごいね?後でゆっくり聞かせてもらおうか」
僕「はい。よろしくお願いします」
伊勢谷「ははは。じゃあ二人共掛けて、ゆっくりしてよ。もうすぐメシ出来るから」
僕「はい。ははは」

 こうして、寅さん好きの3人による、柴又の夜の晩餐は始まった。

♪夕食を並べる音

伊勢谷「はい、出来た分から食べてて。まだ後から出てくるから」
僕「ありがとうございます。いただきます」
樋口「うん。うまいね。」
樋口モノマネ博「兄さん、美味しいですね。」
樋口モノマネ寅「お前ね、何当たり前の事、言ってんだ。さくらの作ったメシだぞ。そもそもウチのさくらはお前にはもったいなすぎる嫁だぞ?お前が店の前をウロウロして、ウチのさくらと一緒になりたいって泣くもんだから俺がしょうがなくだな」
樋口モノマネ博「ちょっ、ちょっと兄さん止めてくださいよ」
樋口モノマネさくら「そうよお兄ちゃん、恥ずかしいじゃない」
樋口モノマネ寅「ん、そうか?まあ良いってことよ。結構毛だらけ猫灰だらけ、ケツの回りはクソだらけってな。さあ、どんどん食った食った」
樋口モノマネ博「ちょっと兄さん、そんな事言われたら食べられませんよ」
樋口モノマネさくら「そうよお兄ちゃんったらもう」
僕「はははははは」

 急に始まった樋口さんのモノマネ芝居に、僕は声を出して笑ってしまった。

僕「はははははは」
樋口「こういうの好き?じゃあ」
樋口モノマネ寅「四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水。 粋な姐ちゃん立ちしょんべん、ってなどうだ」
僕「あははははは」

 樋口さんの寅さん芸がツボに入ってしまった僕は、もう何を聞いてもおかしくて大笑いしてしまった。それに気を良くしたのか、どんどん寅さんネタを放り込んでくる樋口さん。僕は本当に可笑しくて可笑しくて、夕食を食べる暇も無いほどだった。

僕「あははははは」
樋口「とまあ、こんな具合にね。元は浅草の演芸場でモノマネ芸をやってたんだけどさ。渥美さんが亡くなちゃって、それで俺も柴又で何かやらなきゃいけないような気がして、それから柴又の駅前から帝釈天の参道をね、寅さんの格好をして歩いたらね、『あー寅さんだ』って泣き出すお婆ちゃんまでいてね。それでこれは続けなきゃいけないなと思ってね。それから20年、ずっとここでボランティアでやってるんだよ」
僕「へー、そうなんですね」
伊勢谷「樋口さんは街の人気者だよ。ははは」
樋口「いやいや、ははは。しかし、続けてみるもんだね。ついには帝釈天の御前様に『寅次郎』の名前を貰ってね、山田洋次監督にも公認されちゃったんだよ。ははは」
僕「えー?!そうなんですか?!樋口さんって凄い方なんですね!」
樋口「いやいや、まいったな。ははは」

 僕は驚いた。帝釈天の御前様に『寅次郎』の名前を貰い、そして、あの、山田洋次監督とも面識があるのだ。いや、面識がある所ではない、公認まで頂いているのだ。本当にすごい。僕は、柴又に来てそうそう、良い人たちに出会えて本当に良かったなと思った。

 それから夕飯を終えて、伊勢谷さんが録画していた、山田洋次監督の映画制作ドキュメンタリーのような番組を見て。僕たちは寅さん話に花を咲かせた。そして宴もたけなわの頃合いも過ぎ、そろそろお開きかという空気が流れた時、伊勢谷さんが言った。

伊勢谷「そういえば、鈴井くん、映画も撮るんでしょ?SNSで何か言ってなかった?江戸川の土手で何か撮りたいとか何とか」

 伊勢谷さんにそう言われて、僕は急に思い出した。僕の柴又デビューとなる作品だ。男はつらいよのオープニングのパロディ動画を撮って、ネットにアップする。これが上手く行けば、柴又で仲間も出来るかもしれないし、人気者になれるかもしれない。最高のデビューだ。そして動画が評判になれば、山田監督にだって会えるかもしれない。奇しくも、年に1度の寅さんサミットの開催が近い。それに合わせて公開すれば、みんなの注目を得られるまたとないチャンスだ。そんな僕の下心を含んだ企画だった。

僕「あ、はい!今、世の中がコロナで落ち込んでるじゃないですか?だから、そういう雰囲気を吹き飛ばしたくて。葛飾、柴又の人たちは負けてないぞっていう所を、動画に撮って発信したいんです。寅さんサミットも近いから、寅さんのオープニングっぽいパロディ動画を街のみんなで撮って、サミットに合わせて公開できればって思って」

 僕の話を聞いた樋口さんは笑顔で乗ってきた。

樋口「おー、いいねえ。Youtubeっていうの?今、そういう動画ってすぐ広まるんでしょ?いいねえ」

 樋口さんはもうお年のようで、ネットの事は詳しくなさそうだった。でもやはり芸人なのだろう、売れるチャンスのようなものを感じ取ったのか、かなり乗り気なようだった。それを感じた僕は、すかさず提案した。

僕「あの、樋口さん、動画に出て頂けませんか?樋口さんが寅さん役をやって頂ければ、他にも人が集まってくると思いますし」

 樋口さんは、その言葉を待っていたかのように笑顔で答えた。

樋口「おー、全然大丈夫だよ。柴又を盛り上げるための動画。良いじゃないの。やろうやろう。樋口寅次郎の晴れ舞台だ。ははは」
僕「ありがとうございます!じゃあ後日、撮影日程を調整してお知らせしますね。よろしくお願いします」
樋口モノマネ寅「はいよ。わかったよ。ははは」
僕「あはははは」

 樋口さんの承諾に気を良くした僕は、伊勢谷さんにも声をかけた。

僕「あ、伊勢谷さんもどうですか?樋口寅さんと絡むコミカルな演技とか」
伊勢谷「ん?俺か?まあ、人が足りなかったら、そん時は声かけてよ。ははは」

 伊勢谷さんは出演にはそれほど前向きではなさそうだった。でも動画の中心となる、樋口さんの出演を取り付けた僕は、これで盤石だと満足した。

僕「わかりました。じゃあまた連絡します。今日はごちそうさまでした。失礼します」
伊勢谷「おう、またな」
樋口モノマネ寅「ほいよ、達者でな。ははは」
僕「あはははは」

 樋口さんは最後まで僕を笑わせてくれた。帰路につく僕。最高の夜だった。柴又に来て、まだ誰も知り合いの居なかった僕。それが、寅さんが縁で、素晴らしい人達に出会えた。動画もきっと上手くいくだろう。僕はこの街で上手くやっていける。そう確信した夜だった。

それから僕は、動画制作に向けて企画を詰め始めた。当初はコロナ禍でも頑張っている葛飾、柴又の市民をメインで描きたかったのだけど、応募者が居なければどうしようもない。結果、樋口さんを寅さん役に見立て、もう一人、芸人仲間の女性が寅さんの恋人のリリー役をいつもやっているという事で、出演者はその2人で撮る事にした。映画「男はつらいよ」のオープニング、約2分ほどの動画だ。江戸川の土手、そこに佇む寅さん、人々との絡み、そして寅さんに会いに来たリリー、そして2人で並んで歩いていく。そんな他愛のない内容だ。でも、今年はコロナで寅さんサミットも人が集まれなくなってしまった。きっと動画を見て喜ぶ人が居るに違いない。僕はそう思っていた。

 動画の方向性が決まり、後は撮影日の日程調整や打ち合わせ。最初は僕から樋口さんに連絡する事が多かったのだが、

樋口「もしもし、樋口です。撮影の件だけどね、うん、リリーはどんな服が良いの?うん、うん。あ、そう、わかった。俺はいつもの寅さんの格好でね。はい了解」

 なんて、乗り気になってきたのか、樋口さんの方から連絡してくる事が多くなってきた。そして、

樋口「もしもし、寅さんだよ。寅ちゃん。へへへ。元気かい?それでさ、撮影の件だけどさ」

 なーんて、自分の事を寅さんなんて名乗って電話をかけてくるようになって。僕たちの関係もかなり打ち解けてフランクになって来た。樋口さんがあんまり自分の事を「寅さんだよ」なんて言うもんだから、僕も何だか樋口さんが本物の寅さんのように思えてきた。本当に良い人に出会えた。この出会いを台無しにしないためにも、良い動画を撮らなければ。そう思い、僕は映画のオープニングシーンを何度も見返し、構図の構想を固めていった。

●撮影の日

 撮影当日!晴天!これ以上無いほどの雲ひとつ無い真っ青な空!撮影には完璧なコンディションだった。僕は意気揚々と待ち合わせ場所の喫茶店に向かった。喫茶店の名前は「菜花」。江戸川の土手沿いにある、映画「男はつらいよ」にもほんのチラッと出てくる場所で、コアなファンはここにもやってくるらしい。僕は先にお店に入り、女将さんと話をしていると、

樋口「おはよう。いやーいい天気でよかったね。ははは」

 寅さんの格好に身を包んだ、樋口寅さんが現れた。年齢はもう60代後半と言っていたが、やはり人前に出る仕事。背筋もピンとしてるし、絵になるなと思った。

僕「おはようございます!いやー完璧ですね。お天気も最高で。今日はよろしくお願いします!」
樋口「はいはい。リリーももうすぐ来るからね。あなたのお望み通り、ハイカラな赤系で決めてくるそうだから。ははは」
僕「そうなんですね!ありがとうございます!」

 僕は、打ち合わせで、リリーの格好はどんなのが良いかと聞かれ、

僕「やっぱり、ハイビスカスの花のイメージじゃないですかね?赤いワンピースに、花飾りなんかつけて。赤いハイヒールなんかも良いんじゃないですか?ははは」

 なんて答えていた。リリーといえば、男はつらいよでは重要な位置を占めるキャラクターだ。歌手志望で上京して来たものの、中々大成はせず、場末の酒場で歌い、全国各地を旅している。気は強いが、弱い部分も持ち、弱者をいたわる心も持っている。いわば、女版寅さんと言ったところだ。そんな、似た者同士の2人が惹かれ合って、くっついたり離れたり。観客の大部分が、もうこの2人がくっつくしか無いだろう。そう望みつつも、渥美清さんの死去で、最後までは描かれなかった二人の関係。僕は、今回の動画で、2人が仲良く歩いて去っていく所を描き、2人が一緒になったかのように思わせる絵を撮りたかった。そんな訳で、僕は今回のリリーさんのビジュアルにも期待していたのだが、

樋口「おう、来た来た。いよう、おはようリリー。ははは」
江崎「みなさん、おはようございます。すみません、時間、大丈夫かしら?」

 目の前に現れたのは、樋口さんと一緒に男はつらいよのキャラクターモノマネをしている、リリー役の江崎ひろ子さんだった。長年モノマネをしているせいか、立ち居振る舞いや喋り方まで、何だか、リリー、浅丘ルリ子に似ている気がして、僕は思わず顔をほころばせてしまった。

 僕「リリーさん、おはようございます。今日はよろしくお願いします!」

 僕に気づいた江崎さんが僕の元へやってくる。

江崎「あら、監督さん、今日はよろしくおねがいします。そうそう、早速衣装のチェックしてもらいたいんだけど、こんな感じで良かったかしら?」

 そう言って、リリーさんはコートを脱いだ、そこには。南国の花が絵描かれた、真っ赤なワンピース!まさに僕のイメージ通りだった!

僕「完璧です!リリーさん!まさにイメージ通りです!」

 僕は本当にそう思った。本当に映画のリリーさんのようだった。

江崎「あら、よかったわ。でも待ってもうちょっとあるのよ」

 そう言って、リリーさんは小道具も用意し始めた。髪のサイドには大きな南国の花飾りを付け、足には、これまた花の柄が入った真っ赤なハイヒール。そして、首元にはアクセントのパールのネックレス。まさに完璧。100点の衣装だった。

僕「すごい!江崎さん!完璧です!もう本物のリリーみたい!」

 そう言われて江崎さんも上機嫌のようだった。

江崎「あらそう、ありがとう。でもいつもこんな感じよ、リリーをやる時は。このぐらいで良ければ、お安い御用だわ」

 江崎さんはそんな風に僕に言った。本当に普段のセリフまでリリーさんみたいで、僕の顔はますます綻んだ。

 さて、役者は揃った。喫茶店「菜花」で一服したあと、僕たちはロケ場所に向かった。本当に菜花から歩いてすぐ、江戸川の土手だ。撮影の構図はもう決めてあった。後はその通りに演技してもらって、僕が撮るだけだった。江戸川の土手に座り、江戸川を眺める寅さん、人々と絡むも、失敗しちゃう寅さん、そしてやれやれ、という表情の寅さん。取水塔、矢切の渡しと風景を移した後、真っ赤なハイヒールを履いて歩いてくる女性の足元のアップ。ん?誰か来たかなと寅さんが振り向くと、そこには、あのリリーが!感動の対面。しかし、照れ隠しをする寅さん。そんな寅さんに「私、あんたと一緒になったげるわ」と告げるリリー。その言葉を本気と捉えた寅さんは、リリーと一緒に仲良く歩いて去っていく。そんな内容の動画だった。

僕「はいヨーイ、スタート!」

 2人とも、売れては居ないが、長年芸能関係の仕事をして来たという事で、撮影はスムースに進んだ。

僕「はい!オッケー!以上で終了です。ありがとうございました」

 撮影は滞りなく終わった。

樋口「いやあ、あんな演技で良かったかねえ」
江崎「なかなか良かったわよ、寅さん」
僕「いやほんと、良かったですよ樋口さん。あでも、やっぱりリリーさんも良かったです。本物みたいで。リリーさんが来てくれて良かった」
江崎「あらホント?ありがとう?」
樋口「いやホントにこのリリーは上手なんだよ。苦労人だからね。また使ってやってよ監督」
江崎「よろしくおねがいします」
僕「はい、ははは」

 どうやら樋口寅さんは、江崎リリーさんに気があるみたいだった。まだ会ったばかりで2人の関係はよくわからないけれど、僕はまた顔が綻んでしまった。

 その後、菜花で昼食を取り、僕たちは解散した。

僕「それじゃあ今日はありがとうございました!動画できたら送りますね!お疲れさまでした!」
樋口「ほいよ、期待してるよ。お疲れさん」
江崎「おつかれさまでした」

 こうして、和気あいあいとした撮影は終わった。後は僕がカッコよく編集で仕上げるだけだ。

僕「よーし!頑張るぞ!」

 僕はそう意気込んで、家路についた。

●動画完成。そしてある事件

 ♪カチ、カチ(マウスの音)♪チャーチャララララララララー(男はつらいよイントロ)♪カチ、カチ♪俺が居たんじゃお嫁にゃ行けぬ~♪カチ、カチ♪わかっちゃいるんだ妹よ~♪

僕「ははは。樋口さんも江崎さんもいい表情。役者だなあ」

 家についた僕は、早速動画編集に取り掛かった。動画の時間はわずか2分。既存の音源に合わせて今日撮った動画を継ぎ接ぎするだけ。それほど難しい作業ではなかった。しかし、細部にこだわると、時間に際限はない。できれば音楽の区切りの良い所で、歌詞にあった絵を出したい。そして使う絵も、何テイク目が一番良いか。これも悩みどころだった。編集は、撮影が終わり、昼食を取った後、午後から始まった。それから数時間。段々と日も暮れてきた頃。

 ♪カチ、カチ♪チャーラーラー(男はつらいよラスト)♪カチ、カチ♪チャーラーラー、ヒャーラリラリラー♪

僕「よし!できたー!これで完成!いやー本物の男はつらいよのオープニングみたい。これは評判になるぞ」

 編集開始から数時間。ついに、映画「男はつらいよ」のオープニングパロディオマージュ動画が完成した。動画の出来は、自己採点で95点ぐらい。構図は、1作目、2作目のシーンから何点かをかなり似せて撮った。そして、そうでありながらも、現在の葛飾柴又の風景。過去の作品では、寅さんが山本亭越しに遠くを眺めているシーンがあるのだが、現在は、その先に東京スカイツリーが見えた。この絵こそが本当に現在を表していると思った。これは本当に男はつらいよの新作なのではないか?と思えるほどだった。

僕「よーし。後は一晩寝かせて、樋口さんに確認をもらったら、寅さんサミットの日に公開だ!」

 創作物というものは、完成したと思っても、時間を置いてみると、また粗が見えてくるものだ。動画もしかり。僕は作品に最終OKを出すにあたり、一晩寝かせる事にした。内心はこれで完璧だと思ってたけど。でも急ぐことはない。時間を置いてみてみる。これが大事。僕はそう思い。ルンルン気分でその日を終えた。

 ♪鳥のさえずり♪朝の音

 翌日。僕は昨日の晩から続くルンルン気分で気持ちよく目覚めた。まだ寝ぼけてはいるが気分はいい。僕はそんな気分のまま朝食を用意し、平らげた。そしてテレビを眺めながら、コーヒーを一服。もう少しして落ち着いたら、もう一度動画を見直そう。そう僕の自信作の寅さんオマージュ動画。きっと評判になる動画だ。ぼくがそんなルンルン気分で朝を過ごしていると、電話がかかってきた。

 ♪プルルルル

 スマホの画面には「樋口寅次郎」と表示されていた。

僕「ははは。樋口さんからかけてきたか。はいはい。良い感じでできましたよー」

 僕はそう思いながら電話に出た。
 
 ♪ピ

僕「あ、もしもし、おはようござい…」

 僕がいつもどおり、電話にでようとするや否や、樋口さんがすごい剣幕で僕にまくし立ててきた。

樋口「おいお前!俺をなめてるのか!ギャラを払えこのやろう!」

 僕は一体何が起こっているのかわからなかった。ギャラ?いやこれは柴又を盛り上げる市民参加の企画のはず。それよりも樋口さん、こんな喋り方をするのか?僕には全く理解できなかった。あの優しかった樋口寅さんが今、信じられない汚い言葉を僕に浴びせている。僕は理解が追いつかなかった。しかし、樋口さんは続けた。

樋口「お前おれを舐めてるのか!昨日もお前の言う通り何回もやり直して芝居してやっただろ!おれを舐めてるのか!俺は柴又で20年以上やってるって言っただろ!帝釈天の御前様から『寅次郎』の名前も貰って!山田監督から公認貰うほどなんだぞ!その辺の奴とは違うんだ!最初に言わなかった俺も悪いけどよ!こういう時はギャラを払うのが当たり前なんだよ!」
僕「はい、すみません」

 樋口さんのすごい剣幕に圧倒された僕は、平謝りする他なかった。

僕「そうか、この方は芸人、芸能人か。昼食代だけで良いかと思ったけど、1万円ぐらい払わなきゃだめだったのかなあ」

 僕はそんな事を考えながら。とにかく平謝りを続けた。

僕「すみません、すみませんでした。謝礼の件、考えてみます」

 僕はそう答えた。しかし、樋口さんの怒りは収まらなかった。

樋口「当たり前だよ!それからな!お前!映画監督じゃないな!何なんだ?!動画も大丈夫なんだろうな?!」

 樋口さんは僕にそんな事を言ってきた。映画監督か?と言われれば、そうは言いづらい部分もあった。人生でたった1本だけ、プロを雇って映画を撮っただけだ。そういう意味では、今は自分は映画監督とは呼べないと思った。あえて呼ぶなら、駆け出しの映像作家と言った所か。しかし、この事は樋口さんにも説明して了解を得たはずだ。それを今になってこんな風に言われるなんて。僕はすこしカチンと来た。しかし、今は謝り続けるしか無いと思った。

僕「はあ、まあ、今は、映像作家ですかね。すみません。動画の方は後日、お見せしたいと思ってます。すみません」

 僕はこれはちょっとおかしいなと思いつつも、平謝りを続けた。そうするしか無かった。しかし、樋口さんの怒りは収まらず、ついにはこんな事を僕に言ってきた。

樋口「当たり前だよ!それからな!あんた!政治活動もやってんのか!?脱原発とか!?芸能人がそんな奴と関わったら一発で終わりだからな!政治に利用するんじゃないだろうな!?大丈夫なんだろうな!?」

 樋口さんのこの言葉を聴いて、僕は樋口さんに対する信頼を、一気に失った。確かに僕は、脱原発の政治活動に参加したことがある。SNSでそういう主張を発信したこともあった。しかしそれは、元福島県民として、原発事故被災者として、当たり前の行動だと思う。人類の大きな過ちだと思った。だからこそ、二度とこういう事故を起こさない為にも、被災者がメッセージを発信し続けなければならない。そう思ってやったことだ。それを、この男は否定してきた。「そんなやつと関わったら、芸能人は一発で終わりだ!」。これは、原発事故被災者の気持ちを一切考えない、ただ一点、芸人としての地位だけを考える、自己保身だけの言葉であった。僕はこの言葉で樋口という男が許せなくなった。もう終わりだと思った。しかし、動画はもう完成しているのだ。コロナでサミットに来れないファン達の為にも、これだけは公開しなければならない。そういう思いもあった。だから僕は、憤りを抑えて、謝り続けた。

僕「すみません、以前そういう事をやっていた事もありましたが、今はやっていません。動画も大丈夫です。すみません」

 謝り続ける僕。少しは気が済んだのか、最後に樋口さんはこういった。

樋口「そんなら良いけどさ!とにかく!今後も俺と付き合いたかったらちゃんとギャラ払え!じゃあな!」

 樋口さんはそう言って電話を切った。僕の胸には、怒りと、憤りと、失望とが入り交ざった感情が浮かんでいた。そして同時に、あの優しかった樋口寅さんがこんな事を言うのか?誰かに何かを吹き込まれたのか?そんな不可解な思いが浮かんでいた。もともとこういう人なのか、何なのか。とにかくこの日はもう、僕の心はメチャクチャに壊されてしまい、何もできなくなってしまった。ただ一つ。動画の最終チェックだけはしなければと思って見直した。昨日まで最高の作品が出来たと喜んでいた動画。それがもう、樋口さんの顔が映っているだけで嫌な動画になってしまった。そういう嫌な思いを抱えながらも僕は最終チェックを終えた。何も手直しする所はなかった。後は樋口さんに最終確認を貰うだけだったが、あんな事を言われた後だ。こちらからはとても連絡する気にはなれなかった。

 そうして時間が過ぎてゆき、夜。樋口さんから電話が掛かってきた。朝のような凄い剣幕ではなくなっていたが、言葉からは僕に対する不信感が現れていた。

樋口「もしもし、樋口だけど。動画の方は大丈夫なの?!」

 そう言われて僕は一言だけ答えた。

僕「あ、できました。リンクを送るので確認お願いします」

 そういって僕は電話を切り、樋口さんに動画のリンクを送った。

 数分後、樋口さんから電話があったが、僕は出れなかった。するとすぐに代わりのショートメールが来た。「動画見たよ。良い出来だね!今度メシでもどう?」。僕は信じられなかった。朝、僕にあんな暴言を吐いたのに、動画を見せたらケロッと機嫌を良くして、メシでも行こうだって!?何言ってるんだコイツ!?そんな事出来るわけ無いだろう!僕は樋口さんの暴言を受けてから、感情が困惑、失望から、今や怒りに変わっていた。こいつはクズだ。紛れもないクズだと。テレビにも出れない、似てもいない低レベルの芸なのに、偉そうにふんぞり返ってギャラを要求する。その上、人の経歴まで侮辱する。コイツは断じて僕が愛してやまない「寅さん」ではない。似ても似つかない3流、4流、いや5流のクズ芸人だ!こんな奴が「寅さん」を名乗るなんて絶対に許せない!

 こうして僕は、樋口さんに対する信頼を一切失ってしまい。連絡は一切取らないようにした。ただ、動画だけは公開しなければならない。そう思い、寅さんサミットの日に動画が公開されるよう設定し、僕はモヤモヤとした感情を抱えながら日々を過ごしていった。

●寅さんサミット

 ついに寅さんサミット開催の日が来た。例年は、日本全国、映画「男はつらいよ」のロケ地になった縁のある地域が集まり、名産品等を販売するブースを出典。メインステージは山田洋次監督や出演者が集まりトークショー繰り広げ、それを目当てに全国各地から寅さん好きがやって来る。そういうイベントが開催されていたが、今年はコロナの影響で、そういったイベントは行われず、帝釈天参道のお店で買い物をするとスタンプがもらえ、一定数集めると景品がもらえるというスタンプラリーが開催されるだけであった。例年に比べると本当に寂しい。ファンもさぞかし残念だろうと思った。だからこそ、僕は、葛飾、柴又の人が参加して、今の柴又の風景を映した動画をファンの人たちに見せたかったのだ。樋口さんとはトラブルもあったが、この動画だけは公開しなければならない。僕にはそういう思いがあった、そしてついに、サミットの開催時間に合わせ、動画も公開された。公式サイトでは山田監督のメッセージ動画等も公開されていたが、僕の動画は非公式だ。SNSで独自に宣伝するしかない。そこで僕は、葛飾区や、寅さん関連のSNSで宣伝した。

僕「祝!寅さんサミット開幕!今年はコロナでみんなが集まれませんが、有志で動画を作成しました!ぜひご覧ください!」

 そう書き込んだ。すると、早速反応が帰ってきた。「わー!本物みたいですね!」「今の柴又の風景が見れて良かったです!」「来年こそみんなで集まりたいですね!」。僕が期待した通りの反応だった。

僕「よーし、このまま行けば、山田監督の目にも届くかも!?」

 僕はそんな風に思った。しかし、時間の経過とともに、動画再生数はみるみる失速。たった500再生ぐらいでもう伸びなくなってしまった。その程度の再生数では僕の存在が話題になるはずは無かった。代わりにチヤホヤされたのは、樋口さんだった。この地で20年も活動しているのだ、寅さん好き界隈にも顔が広いのだろう。次々と今回の動画の主役になった樋口寅さんに対する称賛のコメントが僕のSNSのタイムラインにも流れて来た。樋口さんのコメントも流れてくる。僕の事には言及せず、「ついに本物の寅さんになっちゃったよ。まいったな。へへへ」、そんな自惚れたコメントを返しているのが目に入ってきた。そういった光景を見にした僕は、ついに我慢ができなくなった。

僕「違う!違うんだ!この男はそんな称賛を得る人間じゃないんだ!ただ金欲しさに柴又に来た卑しい3流芸人なんだ!表向きは寅さんだなんてニコニコしてるけど、裏では金を要求したり!暴言を吐いたりするクズ野郎なんだ!」

 僕はこの事実を暴露せずにはいられない激しい衝動に駆られた。

僕「そうだ、こいつは寅さんじゃない。この事実をみんなに伝えるんだ」

 僕はそういう思いで、樋口の全てを暴露するブログを書き始めた。

●ブログ

 僕はブログを書き始めた。冒頭には、僕が「男はつらいよ」が好きで柴又にやって来たこと、柴又を盛り上げる為に動画を撮ろうと思ったこと、樋口と知り合い動画を撮ったこと、その後、金銭を要求され、経歴を侮辱するような暴言を吐かれた事を書いた。しかし、これでは弱いと思い、僕は樋口について徹底的に調べた。まずは、僕がどうにもしっくり来ていなかった「帝釈天の御前様に『寅次郎』の名をもらった」「山田洋次監督に公認をもらった」という点について調べ始めた。本当に映画に何の縁もない、ただの3流モノマネ芸人にそこまでするだろうか?そう思い調べた所、両者から回答があった。帝釈天「昔の事なので『寅次郎』の名前を上げたかは調べられません。個人的には彼は知っています。『寅次郎』の名前で活動するなとは言ってるんですが。ボランティアで活動してるとか聞いていますが、金銭を要求したりというのが本当なら出入り禁止にします」。松竹「樋口さんのボランティア活動に対して山田監督が『ありがとう、今後もよろしくね』とは仰ったそうですが、それ以上のことは伺っておりません」。そんな回答だった。

僕「こいつ、詐欺師じゃないか」

 僕はそう思った。100%が嘘という訳ではないのかもしれない。しかし、映画とは何の縁もないのに寅さんの格好をして柴又に入り込み、そうして帝釈天や山田監督に近づき、接点ができれば今度はそれをネタにまた色んな所に入り込んでいく。調べてみると、役所のイベントにも入り込み、1日寅さん消防所長なんて役までやっていた。更に雑誌のインタビューでは、商店街が寄付を集めて建てた駅前の寅さん像についても、まるで自分が中心になって寄付を集めたような言い回しをしていた。僕はますますこの樋口という男が許せなくなった。映画とは何の縁もないのに寅さんの格好で柴又に潜り込み、言葉巧みに権力者に擦り寄り、いつの間にか地域の寅さんの座に就いてしまったのだ。本人はボランティアだと言っているが、そんなのは大嘘だ。ただ自分が売れたいのだ。ただ自分が寅さんと呼ばれチヤホヤされたいだけの男なのだ。こいつの本性は僕が知っている。僕に吐いた暴言の数々。本物の寅さんならあんな酷いこと言うはずがない!コイツは偽物だ!全部借物、嘘物、偽物の、偽物寅次郎だ!僕はそんな憤りとともに、しかし言葉は冷静に、事実を並べ、樋口を批判する内容を書いた。そして、一人だけが『寅次郎』を名乗って威張るような事のない、柴又の新しいルール作りを提案し、ブログの公開ボタンを押した。

 ブログを公開した所、ある程度の反応があった。僕を気の毒に思う内容、樋口を批判する内容の反応が返ってきた。しかし、アクセス数は500程度。大した話題にはなっていないようだった。しかし暫くすると、ブログの事が樋口の耳にも届いたのだろう、樋口から1通のショートメールが届いた。そこには。

樋口「傷つけてしまい申し訳ない。今はただ反省の日々を送っております」

 と書かれていた。一応は謝罪のメールだ。しかし、その後の一言が僕の怒りに火を注いだ。「今はただ反省の日々を送っております」。これは、寅さんの有名なセリフだ。どうしようもない男なのに、後日こんな手紙を送ってくる。そこに観客は呆れ笑いをしつつも愛着を感じてしまうのだ。しかし、今、僕と樋口との間に起こっている問題は、笑い話ではない。現実の問題なのだ。その深刻さを理解せず、こんなふざけたメールを送ってくる。ここでも僕の大好きな寅さんをこんな風に利用してくるのだ。僕の怒りは頂点に達した。直接みんなの前で真実を暴露し、この男をメチャクチャにしてやらなければ気がすまない。僕はそう思った。

●柴又駅前

 月に数回、決まった日に、樋口は寅さんの格好をして柴又駅前でパフォーマンスをしているという話だった。僕は意を決し、その日を狙って柴又駅前に行った。すると、樋口は相変わらず寅さんの格好をして、観光客に愛想を振りまいていた。ブログの批判など全く効いていないのかと、僕はますます腹が立ち、ついに声を上げた!

僕「みなさん!この人は寅さんではありません!見てください!顔だって、声だって、全く似ていない!ただのコスプレおじさんです!帝釈天から寅次郎の名を貰ったというのも!山田監督から公認を貰ったという話も!全部眉唾です!映画とは何の縁も無いのに!寅さんの格好をして柴又に入り込んで!関係者に取り入って!でもそれは!この人の力じゃないんです!全部!寅さんのおかげなんです!それをこの人は!よそからやって来て!人気だけ横取りして!全部自分のものにして!ボランティアなんて嘘っぱちだ!ただ自分がチヤホヤされたいだけなんだ!皆さん!この人は偽物です!寅さんの偽物です!虎の威をかる狐です!」

 僕は感情のままに、胸につかえていた憤りをすべて吐き出した。

樋口「…」

 その場の時が止まり、空気が凍りついた。樋口も何も言葉が出ず、身動きもできず、ただ立ち尽くしていた。回りにいた人たちもあっけにとられていた。同時に、何かが壊れたような空気が流れた。この人は本物じゃない。そんな事は当たり前だ。でも、そうであれば、自分たちが寅さんと呼んでいたこの人は、一体何者なんだ?周囲の人達の間にも懐疑心が生まれ始めたその刹那、リリーの格好をした江崎さんが声を上げた!

江崎「ハイハイ!みなさんそうですよ!私達は偽物、嘘物、モノマネの一座でございますよ!でも見てください!本物に似せようと一生懸命努力してるのよ!見て!このカツラだってリリーさんそっくりでしょ?衣装だってこだわってるのよ?ね?そしてほら!この寅さんだって!顔は全然似てないわよ?でもそれを言っちゃあおしめえよってね?この寅さんの衣装だって!同じの5着も持ってるんだから!ね?ほらあんた!それを言っちゃあおしめえよってのはあんたのセリフでしょ?いつもの口上見せてやってよ!ほら!」

 機転を利かせて何とかその場を盛り返そうとする江崎さんを見て、樋口も我に返り、何とか芝居を初めた。

樋口「おおっと、そうそう、それを言っちゃあおしめえよってね。我々はモノマネの一座でございます。寅さんは50作品それぞれ5回以上は見ております!その寅さんの啖呵売の口上をご披露いたしましょう!さあよってらっしゃい見てらっしゃい!物の始まりが1ならば、国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島、と来たあ!」

 我を取り戻した樋口が寅さんのモノマネを初めた。周囲の人々も、去っていく人も居たが、また新たによってくる人も居て、場は持ち直したようだ。僕は、とんでもない事をしでかしてしまった気がして、ただ地面を見つめていた。そこへリリーさんの格好をした江崎さんが寄ってくる。

江崎「監督さん、ちょっと向こうで話しましょうか?」

 そういって江崎さんは僕の背中に手を回し、人気のない所へ連れて行ってくれた。

江崎「監督さん。先日は撮影ありがとうございました。動画も見ました。ホントによく撮って頂いて。知り合いからは本物のリリーみたいだって褒められて。私、撮ってもらって本当によかったと思ってます。本当にありがとうございました。」

 江崎さんはまず、僕の動画を褒めてくれた。僕は下を向いて、ただ頷いた。

江崎「はあ。それでね、樋口さんの事なんだけど」

 江崎さんはやや困ったような表情を浮かべ、話を続けた。

江崎「監督さんのブログ見ました。そして、さっきの話。監督さんの気持ちも分かるのよ。寅さんが好きで、せっかく柴又に引っ越してきて、あんな素敵な動画まで撮ってくださったのに、樋口さんが酷い事言っちゃったみたいで。あの記事を読む限りは樋口さんが悪いわね。最低だと思うわ。でもね、監督さん、樋口さんは性根から悪い人って訳でもないと思うのよ。芸人さんはクセのある人が多いから、たまたま強い言葉が出ちゃったのかなって」

 江崎さんが樋口さんをフォローする。僕は頷き、黙って聞いていた。

江崎「それから、偽物っていう話ね。これも監督さんの言い分は分かるわよ。人のネタでおまんま食べてんだから、まあ言わば、泥棒猫みたいなものよ。さっき、上手いこと言ってたわね。虎の威を借る狐、だっけ?ふふ。まさにその通り。でもね監督さん。そういう商売の人も居るのよ。それはわかって頂戴?」

 僕は、何も言えず、ただ聞いていた。

江崎「監督さん、純粋なのよ。私達は汚い。でも私達も生きるのに必死だし、そういう人達と共存していくって事も大事だと思うの。もともと下町ってそういう所でしょ?最近の言葉だと、多様性っていうのかしら?お互い許し合うっていうのかな?もちろん、樋口寅さんも調子良すぎる所があるから、そこは私の方から言っておくわ。軽々しく帝釈天や山田監督の名前を出すなって。寅次郎って名乗るのも止めさせた方がいいわね。モノマネ芸人の樋口ね。これでどうかしら?ね?」
僕「はい…」

 江崎さんの提案に、僕はそう答えるのがやっとだった。

江崎「ふふ、よかった。また今度、お昼でもご一緒しましょう。それじゃあ。また何か撮る時は声かけてくださいね」

 そう言って去っていく江崎さんに、僕は軽く会釈を返した。僕はもう何も出来ず、ただトボトボと家路についた。

●終章

 あれから暫くの時間が経った。あの事件以来、僕は樋口とは会っていない。連絡も取っていない。あれからどうなったのだろう?相変わらず寅さんの格好をして、柴又駅前でモノマネを披露しているのだろうか?それとも、僕が書いたブログの内容が広まり、活動しづらくなってしまっただろうか?現状はわからない。あえて見ないようにしているのかもしれない。僕はそう思った。リリー江崎さんの言ったことも分かる。でも、僕にはやっぱり偽物が許せないという気持ちがあるのも確かだった。僕が純粋すぎるのか?もっと寛容さを持って許すべきなのか?答えはわからない。ただ一つ確実なのは。僕はもう少しこの街で、柴又で、人々と共に生きていかなければならないという事だ。

寅さん「満男、困ったことがあったらな、風に向かって俺の名前を呼べ。叔父さんどっからでも飛んできてやるから」

 不意に、寅さんのそんなセリフが聞こえた気がした。


【第1部 完】


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