愛する人の幸せは願わない

今日だってあなたを思いながら 歌うたいは唄うよ
ずっと言えなかった言葉がある 短いから聞いておくれ
「愛してる」

出典:斉藤和義『歌うたいのバラッド』

「愛する」という言葉の意味について、考え出したのは、この歌に出逢ってからだったと思う。
この「愛してる」をどう言う風に歌えばいいのか、高校生の私にはわからなかった。それまでは順調に歌えるのに、このフレーズに差し掛かるたび、足元が宙に浮いているような気持ちになった。

友愛、家族愛、恋愛、、さまざまな愛について日々考えを巡らせては、歌うたいのバラッドを口ずさみながら通学路を辿った。
好きな人への感情それ自体が愛だと思ったこともあったし、ぶつかり合いながら相手の全てを受け入れることを愛だと思ったこともあった。

そんな中、初めての恋人ができた。毎晩電話をしていた中で不意に「愛してる」と言われ、嬉しさとむず痒さと、それから先の疑問が湧き上がってきてしまった私は、「愛してるの?それってどういう感情なの?どこでそう思ったの?」と問い詰めてしまった。(今思い返すと本当にかわいそうなことをした)


今、私の隣には、なつくんが居てくれている。

未だに「愛する」という言葉の意味は捕らえ切れていない。
それでも、その曖昧な言葉は、自然に口を衝くようになった。

「好きだよ。」「愛してるよ。」
恋人に伝えるにはあまりにも陳腐な言葉だろう。
だけど、眠い時に「眠い」というように、そのままの感情を零してしまう。
私にはそれが心地いい。

私たちの関係でいえば、日々の小さな諍いはあまりなくて、でもきっと言葉にするほどでもない小さな不満は、私の中にも彼の中にも生まれている。
私の知らない彼がまだあることを私は知っているし、私も彼に気を遣うことはある。

これは、高校生の私が考えていた「恋人」とはかなり違う関係性だけれど、私は胸を張ってこの関係を恋人だと言える。
それは付き合おうと約束をしたからではない。
二人で永く一緒にいるために、お互いが最善を尽くそうとしているからだ。

そんなことを考えていると、頭の中に『折り合い』のサビが流れる。

愛してるよ君を
探してるよいつも
他人のようで違う
2人の折り合いを

出典:Gen Hoshino『折り合い』

何でも言うのが恋人でもなければ、何でも尽くすのが恋人でもない。
私は私、あなたはあなた。
他人だった二人が、一緒に生きていくために「折り合い」を探す。
そんなことは、「愛する」の意味がわからなくたって、できる。


愛についてあれこれ考えるうちに、はたと思い出した。
愛する人のために、必死に働いていた人の強さを。
私は彼にただ幸せになってほしいと思った。
だけど、彼は愛する人を幸せでいさせようとしていた。

誰かの幸せを願うのは、けして無責任ではないけれど、
「自分は幸せにできない」という諦めではあるだろう。

だから私は、愛する人の幸せは願わない。
そして、幸せにしようと思うことこそが愛なのだと今は思う。


(まり)

今日のデザートはりんごでした。そろそろ旬です。

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