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2月22日:ニワトリとの共存<バリ島が教えてくれた365個の幸せ>

バリ島の朝は、騒がしい。どこからともなく聞こえてくるのは、ニワトリの鳴き声だ。

そう、ニワトリたちは、人間と同じように自由にそこらじゅうを徘徊している。ひよこの大群を連れているお母さん鶏。やたら大きな声で泣くお父さん鶏。新婚ホヤホヤのカップル。種類も家族の形も、人間と同じくさまざまだ。

長男が無類のニワトリ好きな我が家。なんとかひよこを捕まえようと、おいかけたり罠を作ったり。でも、野生のニワトリを侮ることなかれ。結局お母さん鶏に怒られて、彼はいつも手ぶらで帰ってくる。

でも、もらったり拾ったりで、我が家にはいつもニワトリがいた。ウブド南部の田舎に住んでいたとき、4羽のニワトリを離し飼いしてた。

ところがコロナで数ヶ月家を開けたら、4羽ともいなくなった。おうちを管理してくれているスタッフに聞いたら、「あの子は美味しそうだったから、たぶん食べられたね」とのこと。観光業で成り立っているバリ島。コロナ禍でたくさんの人が収入のない生活を送っていたのだから、そりゃ食べられても文句は言えない。

長男も、バリ島に5年住んでようやく、二ワトリはペットじゃない。食料だと認識してきたようだ。

でも、もっと言えば、ここでは食べ物に所有権はないに近い。そこらじゅうに増えたニワトリがいて、ココナッツの木があって、パパイヤやバナナがなってて、川には魚がいる。ココナッツに登れる人が登る。ニワトリを捌ける人が捌く。魚を釣れる人が釣る。で、余ったら譲る。

さらに、少し前までここでは食べ物を保管したり、貯蔵しておく、という考えはなかったと思う。だって腐るもの。だから、お腹が減って、目の前においしそうなニワトリがいて、捌けたら、そりゃ食べるよね。

そしてそれは、コロナ禍でもバリの人が幸せそうだった理由にもつながると思う。仕事もお金もなくなったけど、生活している彼らには悲壮な感じは全くなかった。実家に戻れば家はあるし、仕事もある。みんな、観光客のいない静かなバリ島をちょっと懐かしそうに見ていた気がする。

食べ物が商品化される前は、どこもこんなシンプルな暮らしだったのかもしれない。


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バリ島に住んで5年の月日が経ちました。コロナ禍で観光経済が壊滅したり、過剰開発で環境が破壊されたりひどい渋滞が起こったり。そんな現状を目の当たりにしながらも、バリ島に暮らす人々は、いつも明るく笑顔で、とにかく幸せそう。

-悪いことは悪霊のせい
-人と神様と自然の調和が大切
-貯金はしない

なんでだろう?と探っているうちに、バリ島に根付く「トゥリ・ヒタ・カラナ」という哲学に辿り着きました。「神と人」「人と人」「人と自然」の調和を重視することで、人々は幸せに過ごし喜びを感じることができるという考え方です。

その哲学がしっかり根付いているバリ島の日常にこそ、幸せのヒントたちが落ちています。ここに住まわせてもらっている議事録もかねて、バリ島が教えてくれた365個の幸せを綴っていこうと思います。

main photo:dzulkifli lantana