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#1縁


私は"神様"とか"言霊"とかそういう類のものを純粋に信じてしまう人間です。


高校生の頃は、部活の顧問に「テニスの神様」の存在を説かれた。用具を大切にしたり、コートを綺麗に保ったりしていれば、試合のときの小さな1ポイントになるんだと。自分が打ったボールがネットに当たって跳ねたとき、インするか、アウトになるか。そういう実力とはまた違った最後の最後の運みたいなことを、テニスの神様が決めているんだと。要するに、日頃の行いをちゃんとしているものには良いことがあるということだ。

私も馬鹿みたいにそれを信じていたわけではない。
顧問の話に共感して、信じたいと思ったから信じていただけだ。
だから毎日テニスコートの外まで、落ちているボールがないか必死に探した。暗くなるとあの小さいテニスボールは案外見えないし、ボール自体は何百球とあるからコート周りの草むらに何個か落ちていたって問題はないのに。

中学生の頃は、初めての受験にあたって担任から「ドアを最後まで閉めなさい」ということを言われた。
受験会場のドアのことではない。いつも使うドアのことだ。これはつまり、「最後まで気を抜くな」という意味。

スライド式のドアを想像してみてほしい。
自分が閉めたと思っているドア、よく見ると何cmか開いていないだろうか?
担任はこれを、「ドアを最後まで閉められる人(=そこまで意識が及んでいる人)はきっと大丈夫だ」と表現していた。この話を覚えている同級生はどのくらいいるのだろう?多分誰も覚えていないんじゃないかな、、(笑)



と、ここまで前置きが長くなったが、
ここからは"縁"の話。

急だが失恋エピソードをぶっこませてください。

1か月前、大大大好きだった彼氏に振られた。
もう好きじゃないから別れたいと言われた。
私は別れたくなくて、別れたくないと素直に伝えたが
どうにもできなかった。

別れたいと言われて別れたくないと縋ったのは初めてだった。それくらい、好きな人だった。

そんな相手だったから、もちろん引きずった。
母にもバイト先の人にも、元気ないね?なんかあったの?と言われるくらいには分かりやすかったらしい。
恥ずかしいし何より申し訳ない(;;)

引きずりに引きずって、ある日こんな言葉と出会う。

縁とはこういうこと
あなたに必要のない縁は自然と切れていく
あなたから離れて行った人
それはあなたに必要なくなった証拠
「縁」とは自然に必要な時に結ばれ
必要なくなれば切れていく
無理に結んだり切る必要はなくて自然に任せる
必要な縁は必ずまた繋がるから

Instagramで流れてきた投稿の言葉。


この言葉を見て、
私は"縁"ってあるよなぁと思ったわけだ。
失恋の悲しい苦しい感情を
縁という言葉に委ねてみたら、なんか楽になった。

縁があって出会ったけど、自分に必要ないから切れただけ。別れたけど、別れたことも含めて私に必要な人だったんだと思えた。

私は結局、"縁"というものを信じるタイプの人間だった。


縁に別れた事実を委ねよう。
そして新たな縁が繋がるのを待とう。
繋がった縁は、せっかくなら大事にしたい。
大事にできる人でありたい。
恋人に限らずね。

だから私は、とりあえずこれからも一緒にいたい
大切な友達を夏休み遊びに誘った。
といっても、本当に数人なんだけれど。

いつも仲良くしてくれている友だちに
ありがとうと伝えたくなった。

一緒にいて優しい気持ちにさせてくれた彼にも
ありがとうと思っている。もう伝えられないけれど。

好きだった。幸せだった。
ずっと心がぽかぽかしてた。
でももうおしまいにする。過去には縋らない。

5年後も10年後も繋がっている縁はあるかな?

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