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新しい家族のかたち 子育て

幸せになる脳を育てる人
カウンセラー・コーチ宮田です。

先日オンラインでしか会ったことのない友人が山口に来たので、おすすめスポットを巡りドライブしながら楽しく色んな話ができました。

リアルでは初対面なんだけど、そんな感じはしなくて(私の性格的なところも多少ありますが)家族の様な、いや家族以上な感じで遠慮なくアレコレと話し、安心して何でも話しても大丈夫な関係なので、とても気づきの多い時間になりました。

お互いオープンマインドになれる安心安全な場所ってすごく重要で、その要素のひとつとして、同じ言語を持っていることはあると思う。

日本語で同じ単語を使っていてもそこから受け取る意味は人それぞれ違い、そういう意味では、、、そんなつもりでは、、、ってことになったり。
受け取る言葉の意味の違いが面倒なことを引き起こしたりするので、話をしても探り探りになったり、配慮して本音を話せなかったりってことありませんか。

その人の背景、文化や環境、立場、その時々で同じ言葉が違う意味になったり、大人になるとその場の空気を察して話すことが大事にされたり、悪気なく良かれと思って発した言葉もそんな風に言わなくてもとか、言葉って難しいなって感じる事も。

だから今回は同じ心理学、脳や認知の仕組みを学んでいて理解している、共通言語を話す人というのは大きい。
そうでなくても固定観念に縛られずに、良い悪いと決めつけず物事をフラットに考えられる人だとかなり安心して本音トークができるかな。

この話で終わってしまいそうなので、このぐらいにして今回は子育ての話です。


子育ての終わりは自分で決める?

私には成人した息子が二人いて、子どもたちが2歳と5歳の時に離婚をし、私の元で育ちましたが、今はそれぞれが家をでて自立して生活したときに、これですっかり子育ては終わったなと感じました。

これは人により違うので、成人したらとか、自分のお金で生活できるようになったらとか、結婚したらとか、あるかな。

また何歳になっても子どもは子ども、ずっと心配で、何かとお世話をやいてしまうお母さんもいらっしゃったりして、正解はないと思います。

自分が好きでお世話してる分にはかまわないと思いますが、不満なのに愚痴を言いながら習慣的にやっているなら、happyにならないのでもうそろそろやめても良いんじゃないかな。

人の脳はネガティブなこと、心配ごとの方により反応しやすいだけだったりするので、自分が考えてるよりも大丈夫で、もし何かあったとしても何とかなるもの。
何とかする力が備わってて、その力が育ってくれてないと後々困るんですよね。

だからあらかじめ子育ての終わり、ここまでです。って決めておくのも良いかもしれませんね。



どんな境遇に置かれても「幸せになれる子に」

上皇后 美智子様のお言葉が私の子育ての指針

「幸せな子」を育てるのではなく、どんな境遇に置かれても「幸せになれる子」を育てたい

美智子上皇后殿下


子どもたちのために私がしてあげられることはそう多くなくて、問題や困難なことがない環境を用意してあげることはできないから、失敗したり困ったことがあるのが前提で、子どもの求める理想の母親像があったとしても、たぶん私には無理。

がっつり子育てする時って結構短くて、10歳ぐらいまでは時間があればちょっとドライブしたり、公園や川や海に遊びに出かけたり、スキーやキャンプなども一緒になって楽しむ、遊んでもらってる感覚でした。

小学校の高学年になると友達優先したり部活とかで一緒に出かけることも無くなりますからね。思春期もくるし。

私は女系家族で育ったので、男の子があまり分からないので、第二成長期、思春期、反抗期と母親との関係が大きく変わる時には、食事や洗濯などの家事やお弁当を作ったりはしましたけど、もう高校生になってからはほぼ教えてあげられることもないので、子どもたちの相談事はお父さんにしてたみたいです。
この頃は何か物申せばケンカになるので、、、

就職の時も私には事後報告で、保護者のサインをするだけだったような(笑)

思春期は兄弟ゲンカで流血したり、学校から電話があると母は内心ドキドキでしたが平気な顔をして舐められない様に頑張ってみたり。

そこそこ問題も起こったりはしてましたけど、困った時はお父さんに相談して、お母さんが言っても聞かないだろうから、男同士で話をしてくれたりしてかなり助かりました。

離婚はしていても、子どもの親だから子どものことに関しては相談したり、協力してもらえる関係になる努力は大切かなとおもいます。

この良好な関係も心理学を学んだお陰なんですけどね。

息子とドライブ

現在はおひとりさま暮らしなので、同じ県内に住んでいる長男がたまに安否確認がてら「可愛い息子が来たよ〜」とドライブや食事に誘ってくれたりして、思春期の頃とは別人ですね。

次男は兵庫県に住んでいて、結婚し子どもも生まれましたが、少し遠いのでなかなか会うことがない。だから孫の成長は写真共有アプリで見て知る感じ。

写真だけでなく、動画もこまめにアップしてくれるので、歯が生えたとか、ハイハイや歩き出した様子などを私の母や叔母なども成長を楽しく見ています。

逆に近くに住んでいるとここまでまめに様子を知ることはないのかもと思ったりして、便利なアプリがありがたいですね。


子育ての終わりはいつでしょう?



少し前なら結婚して家庭を持ち家を建てて一人前みたいなところもあったでしょうけど、これからは半分がおひとりさまの時代になるとか、結婚しても3割が離婚するとか、家を持つことに価値を感じない人も増えてます。

成人してもずっと家から出ずに親と暮らす人、結婚は望まない人もいます。

私の母も、結婚していない孫が心配な様子ですが時代の変化をみて直接本人には言わない感じで、私に聞いてきます。

そう聞かれても本人次第なので私には分からないと答えるだけなんですけどね。

自分の価値観では他人の幸せははかれない

何がその人にとっての幸せかなんて分からないのが正直なところ。

無責任なのかもしれませんけど、私の出来ることは大してないので、「自分のやりたいことをやって、本人が幸せになってもらえればいい。
何を選んでもいいけど、後から人のせいにするのだけはやめてね。」
子どもたちには言ってました。

結果この親は頼りにならないから自分でするしかないと思ったかもしれないなと。

この先まだまだ長いですから何があるか、どう変わるのかは分からないので、「幸せになれる人になってね」そう願うしかないとある意味、開き直ってますよね。

私の子育てはどうだったか?子どもたちの感想を聞いてみたい気もするけど、本心を言うともう限らない。

本音を言ってくれたとしても、人は自分の取りたいようにしか受け取らないので、結局は自分の思いたいように、好きなように考えてるんですよね。

それなら、自分も他人も幸せになるように考えた方が良くないかなって、楽天的に思ってしまう。

たまに子育てを後悔している方とか、申し訳なく思っている人もいますが、人生の途中の今の段階では正解かどうかなんてわからなくて、どんな困難なことがあってもあの時のお陰で今があると言う人もいますから、そう言える人になれたらいいな。

これまでの価値基準を一旦やめて、自分にとってどうかを大切にしてみる。

最後は自分はどう在りたいかだと思うので、幸せかどうかは自分の内側で感じることなんですね。

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