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アラフィフおひとりさま 批判的になったときの取り扱い

幸せになる脳を育てる
カウンセラー・コーチの宮田です。

目の前の夕日がキレイだったので足を止め、美しい景色に少しhappyになりました。

ヘッダーの写真がその景色で、重い雲と朱色に染まった夕焼けが美しくて、でも美しいと感じるものは人それぞれなので他人も同じように感じるかは別ですね。

よく言われるように100人いたら100通りの考え方や受け止め方があります。
美の基準とか、モノの良し悪しとか、行いも、そうやって考えたら色々な考え方や受け取り方があるって言われなくても分かっているし、そりゃそうだってね。

ただ年を重ねてくると積み上げてきたものも増えててくるので「えっ、なんで?」「それっておかしくない?」って、自分の価値観で判断してしまいがち。

本当は絶対的な正解とか善とか悪とかなくて、場所や時代、前提条件が変わると今まで良かったことでも逆になったりして、当てはまらないんですよね。

そのことに気づかずに、良かれと思ってやったことが余計なお世話だったり、失礼なことをしてしまったり、、、

「あー、失敗した」「恥ずかしい」ってことを無意識にやってしまうこともあります。

客観的になって気づくことができればいいのですが、つい感情的に反応してしまい、あなたのために良かれとやってるのに、ってムッとしてしまうことも。

まあまあこの「あなたのために、良かれ」って曲者で、悪いことをしているつもりがないから余計に気付きにくいんですわ。

SNSでも批判的な意見やあなたは間違ってるとか、ちょっと過剰なのではと思う様なことも見かけますが、当人は悪意をもってやってるのではなく、良かれと思って正義感からなのかもしれないですよね。

スタートは良いことをやってると思ってて、それって結局気持ちよくて、だんだんやめられなくって思正義中毒みたいになっちゃうのかもね。

まわりに注意されたりして、気づければ良いのだけど、私は間違ったことしてないって、思ってたら人の意見なんて耳に届かないし。

だから私は周りの声を聞く様にしてます。自分の考えや意見は言ってもいいし、他人と違う考え方でもいい。

どっちが正しいとかなんてのも、その人の世界の中では正しくて、違う人の世界では間違っていることだったりするから。

「あーらだからコレは場違いだったんだ」って「気づかず失礼いたしました」ってことなんじゃないかな。

生きていれば、誰かと関われば、イラッとしたり、モヤっとしたり、嬉しい、楽しいことも色々あります。

モヤモヤをそのままにして様子を見ててもいいし、他人と話すことですっきりする事もある。

書くことで自分の中を整理できたりもするので、人様が読んでもよく分からない事もあるのではと、ここまで読んでくださって、本当に有り難いです。

今までは自分のリアルなノートに書いて整理してましたが、このnoteは自分のためにと、もしかしたら同じ様な誰かのヒントや癒しになったり、勇気を与えられることが少しでもあったら嬉しいです。


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