「だわ」「のよ」?
この「だわ」「のよ」という文字から、何を想像するだろうか。ネットである記事を読んでいて、ふと気になったので少しまとめてみる。
小説を読んでいて、あるいは新聞か雑誌か・・・何かの記事を読んでいて、これらを目にすることがたまにある。小説だと、多くの場合、「戦前とか?ちょっと昔の上流階級とおもわれる上品な女性の話し言葉」として。ただ、この場合は、「~ですわ」「~ですのよ」となっているかもしれない。小説以外の文章だと、「外国人女性のインタビュー記事」で多く目にするように思う。では、いわゆる「一般人女性」がこれらの言葉づかいをすることはあるだろうか。それも、話し言葉として?
私自身は、いわゆる「大阪弁」を聞いて話して育った「関西人」である。NHKのニュース番組に仕込まれたのか、いわゆる「標準語」イントネーションも問題なく使えているらしい。らしいというのは、自分ではわからないから。関西圏以外の出身の人と会話する時は、無意識のうちに「標準語」イントネーションで話しているらしい。何年も前になるけれど、ある時なんて、同業者が集まる懇親会で初対面の人と話していてお互いに大阪出身なのにそうと気づかずに話していた、なんてこともあった・・・。もちろん、そういった機会には敬語である。間違っても、同世代と思しき相手であっても、タメ口ではない。ところで、「大阪弁でしゃべってよ」と言われても、それがなかなかできない。難しいのだ。私が思うに、会話って、相手がいて初めて成り立つもの。だから、「大阪弁で話す相手」がいなければ、自分の口からそれを発することは私にとっては難しい。テレビに出てくる芸人さんたちすごいなって思っている。セリフとして話しているのかな。
まあ、このような言語環境で生きてきた私が、冒頭の「だわ」「のよ」のような言葉づかいをすることって、ないこともないけれど、よほど親しい友人同士の間柄、くらいのものではないかな。ちなみに私は女子中高出身である。その前は公立小学校に通っていた。その当時から読書好きで、『秘密の花園』や『小公女』なんて大好きだった。その主人公の真似して「素敵ね!」「~だわ!」なんて言ってみようものなら、「ナニぶりっ子してんだ、きもい」なんてからかわれた挙句に笑いのネタにされた。この当時のことについては吐き出したいことが山ほどあるけれど、それはそれ。また今度ということで。
さて、冒頭の話題に戻すことにする。「だわ」「のよ」というのが出てくる文脈が、たとえば友人同士での会話とかならまだわかる。でも、初対面の人にはそのような話し方しないし、ましてや記者にインタビューされているなんて場合には敬語で話すはず。
さて、なぜ違和感をぬぐえなかったのかというと、国を代表するような公的な立場にある外国人女性へのインタビュー記事で、その方の言葉が「だわ」「のよ」となっていたから。その女性本人が日本語でそんな話し方をしたのだろうか?であるならば問題はない。けれど、日本語以外の言語でインタビューがなされて、女性だからというそれだけの理由で「だわ」「のよ」と訳してしまうのはあまりにも・・・なんというか・・・固定観念というか、時代錯誤というか、変だと思った。
男性の場合だとどうだろう、と考えてみた。高齢の男性なら「~なんじゃよ」とか、若い男性なら「~だぜ」などなど、本当にこんな話し方しているのかなと思ってしまうようなインタビュー記事や吹替をけっこう見たり聞いたりするように思う。日本語でのインタビューでそんな話し方をしている人は思いつかないのに、外国人が、女性だから男性だからって理由で「だわ」「のよ」「じゃよ」「だぜ」と言ったことにされている?やっぱりなんか変だと思う。私が気にしすぎなのかな。
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