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不思議なお話①

ここで、少し不思議なお話を書いてみようと思います。

信じて頂けなくても大丈夫ですからね。
この科学の時代に、そんなこと・・・と思われる方もいらっしゃると思いますが
とりあえず、かいてみますね。

私の実家は「天理教」という信仰をしておりました。
それは代々祖母からのものだったのではないかなと思います。
和歌山県は奈良県の近くですので、信者さんも多いのでしょうかね。
私の村のほとんどの人たちが天理教というような感じでした。

ですので、私も小さい頃から
病気をしたり熱を出したりすると
他で言えば「まじない」のような感じで
天理教でいうところの「おさずけ」を祖母がしてくれました。
祝詞のような言葉を言いながら痛いところをさすってくれたり撫ででくれるものです。

そうすると、不思議と熱が下がったり
呼吸が楽になって寝られるようになったのを覚えています。

以前、長女が生まれた後くらいから
主人が狭心症のような症状でお仕事に行けなくなったということを書きました。

医者に行ってもどこも悪いところもなく、困り果てていました。

仕事にも行けなくなってしまい
家で寝ていることがほとんどになっていきました。

ある時、私はふと主人の実家の仏さんのことが気にかかりました。
何故なのかはわかりません。

「お父さん、太屋家の仏さんはどうなってるの?」と尋ねましたが
「そんなもん、知らん」と。
「太屋家の宗派はなんなの?」と尋ねましたが
「そんなもん、知らん」と。
大阪の義母にも尋ねましたが
「わからんわ。そんな・・・仏ほっとけ言うやない?」との答えでした。

お墓はあるものの
義母が「そのうちそのうち・・」というだけで
仏さんを誰も祀っていないのです。

主人に
「宗教は違うけど、一度、天理教できちんと祀らない?」と提案しました。

主人は反対するかもしれないと思いましたが
案外すんなり「そうしてくれ」と言いました。

本来なら、その先祖代々の宗教を変えて
他宗教に祀るというのは
祖先にとっても失礼・・・というか申し訳ないことなのですが
誰も「知らない」「わからない」というので
申し訳なく思いながらも、実家に相談して、天理教を祀ることに決めました。

次第に主人の方が
天理にお参りに行くことをとても楽しみにするようになり

気づくと主人の体調は回復していき
「心臓が苦しい」と言わなくなっていったのです。

とはいえ、急に人間が変わるということはなく
自分第一主義は一生貫き通しましたがね。

天理教を祀ったことと
主人の体調が回復したことが
必ず関係あるかといえばそうではないかもしれません。
ただ偶然に治る時期だったということかもしれないとも思います。

ただ、殺伐とした不安と苛立ちの生活の中に
信仰を迎えたことが
何より私の心の拠り所になったことは間違いなかったと思います。

  キミちゃんより


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