手離したいと思っている〜着物
ことの始まり
現在40代の私の成人式は20数年前になります。
大学生になった頃から母は私に成人式の着物を作ると言って譲りませんでした。
正直、私はその日一日のために着物に何十万もかける意味がわからなかったし
実家から離れた大学に通っていたため、成人式も帰省するかわかりませんでした。
でも母は私が着ようと着まいと親の役目だから作る、と言って聞きませんでした。
当時かなり険悪な仲だったと思います。
そして成人式が近づくに連れ
「着物できたよ」「いつ帰ってくる?」など
外堀を埋められ、同級生たちに会いたいのも手伝って成人式展の参加を
決めました。
前日に初めて見た振り袖は、華やかというより落ち着いた色合いで私の性格を見越して母が選んだのだなと思いました。
成人式以降
「着て!」と言われたら着たくないし
何も言われなければ言われないで着たくなるという
天邪鬼な性格も手伝って、自分の結婚式では白無垢での神前式を
行い、その後、母が成人式の振り袖の袖を切り訪問着に作り直してくれて
それを着て三回ほど結婚式へ参列もしました。
私の変化に母が一番驚いていましたし、楽しんでいたと思います。
出産を経て
妊娠中はお宮参りや七五三も作り直してもらった訪問着を着ようと思っていました。
しかし出産してみるとお宮参りの時は胸が張って痛いし、まだ残暑厳しい暑さで、着物を着るのが現実的じゃなかったのと、七五三の時は2人目もいたので
着物を着て動き回る子どもたちを世話するなんて不可能だと思い諦めました。
やはり一番のネックは着物を自分で着られないことでした。
子どもの入学式などチャンスはあっても着付けてもらわないと着られないというのはハードルが上がります。
この辺りで着物を手離し欲しい方に譲ろうという考えに変わっていきました。
気になるのは
それでも母の思いのある着物を手離すのは抵抗があり
なかなか言い出せませんでした。
実家から離れて暮らしているので黙って手離そうかとも考えましたが
母が手離してほしくないというなら、母に持っていてもらおうと思いました。
話すきっかけ
母に話そうと思ってから1年ぐらいは言い出せなかったです。
実家に帰ったときくらい穏やかに過ごしたいのに着物の処分を巡って
母と険悪になるのは避けたかったのです。
そして今年に入り祖母がなくなりました。
その時に母が
「着物も整理しよう」と言ったのです。
チャンスだと思い私は自分の考えを伝えました。
「自分で着物を着ることができないし、持っていても手入れするのも大変だから
手離そうと思う。」
母はすんなりと
「そうだね、いいよ」
と言いました。
思えば母も祖母に誂えてもらった数々の着物に対して同じような重荷を感じていたのかもしれないと思いました。
6年前の祖父の葬儀の際は着物の喪服を着ていたのに
今回は洋装の喪服でした。
「もうね、洋装にしたの」
と式が始まる前に言っていたのも印象的でした。
もし母が亡くなるまで着物を持ち続けていたら私は着物自体を嫌いになっていたかもしれないと感じます。
そうなる前に、祖母の死というきっかけではあったけれど
母と着物の話ができたことはお互いにとって良かったと思います。
今も手元に着物があるのですが折を見て手離す予定です。
幸い着たくなったらレンタルで素敵な着物も着られます。
いい時代だなと思います。