友情を表す言葉から思うこと
漢検準1級を勉強していたら、「金蘭の契り」という言葉に出会いました。「深く理解し合い信じ合っている親友の交わり」のことを指すそうです。素敵な言葉ですね。類義語に「断金の交わり」や「刎頚の交わり」「管鮑の交わり」「水魚の交わり」がありました。
中国には、熱い友情にまつわる故事が日本よりも多い気がします。恋愛経験が乏しかった私は、学生時代は恋愛の物語が多い日本の古典よりも、男同士の熱い友情や任侠の話が多い中国の古典の方が好きでした。
そういうのもあって、信頼し合っている友情にとても憧れていて、そんな関係を結べる友達を作ることに憧れていました。
ありがたいことに、学生時代から長く付き合ってくれる、気心の知れた友達が何人かいます。結婚すると、女性の場合は交遊関係が変わるといわれていますが、結婚している友達も、そうでない友達とも未だに連絡を取ることができて、会う約束ができます。かなり貴重なことだと思っているので、このご縁を大切にしています。
彼女たちとどのように関係を保っていた考えてみましたが、付かず離れずの関係でいられたことが良かったのてはないかと思います。学生時代は、揉めたり上手く行かなかったりしたこともありましたが、やはり基本的にはお互い信頼しあっており、支え合えるような関係なのではないかと思います。
友達との友情は、人によって濃淡さまざまだと思いますが、「金蘭の契り」「金断の交わり」「刎頚の交わり」「管鮑の交わり」「水魚の交わり」はかなり絆の強い友情のようです。
「金蘭の契り」「金断の交わり」「刎頚の交わり」「管鮑の交わり」「水魚の交わり」は、それぞれエピソードがあります。
「金蘭の契り」は「二人心を合わせればその力は金をも断ち切り、心を一つにした二人の言葉は蘭のように馥郁(ふくいく)たる香りがする」という易経から来ている言葉のようです。「二人心を合わせればその力は金をも断ち切」るという内容は、「金断の交わり」にもある内容です。
「刎頚の交わり」「管鮑の交わり」は、有名なエピソードがそれぞれあります。
まず、「刎頚の交わり」は次の通りです。
「管鮑の交わり」は、次の通りです。
そして、「水魚の交わり」は、「三国志」の劉備が諸葛孔明と自分の親密さを表現するときに用いた言葉として有名です。水と魚のように切っても切れない親しい関係、ということですね。
ここまで読むと、友情を表す言葉はどれも一対一の関係を前提に語られていることがわかります。
その上で、二人の絆は金を断ち切ることができるだとか、首をはねられてもいいだとかいう話になっていると思います。
これが三人以上だと、友情は語りにくいのでしょうか…?やはり、「俺、お前」と呼び合うような関係が美談として語り継がれやすいのでしょうか?「爾汝之交(じじょのまじわり)(俺、お前と言い合うほど親密な関係という意味)」なんていう言葉も存在しますね。
西洋では、友情の言葉として有名なのが『三銃士』の「みんなは一人のために、一人はみんなのために」ではないでしょうか。学校現場では、クラスのスローガンなどによく使われます。これは、三人以上を対象によく使われる言葉だと思います。
「金蘭の契り」や「金断の交わり」は感情的なつながりよりも、同じ目標を達成するために築いた絆を表すように思えます。一方で、「刎頚の交わり」や「管鮑の交わり」は、故事から考えると感情的なつながりが強いように思えます。「みんなは一人のために、一人はみんなのために」という名言は、感情的なつながりや同じ目的を共有する時など両方の状況で使えそうです。「水魚の交わり」は、親密さを表現する言葉ですが、劉備と孔明の主従関係を考えると、同じ目標を共有する間柄でも使えそうです。整理するために、マトリックス表にまとめてみました。
「親友」
親密度が高いけれど、そこに利害関係ではなく感情的な結びつきが強いのは、「管鮑の交わり」や「刎頸の交わり」と表せそうです。
「刎頚の交わり」や「管鮑の交わり」の言葉を知ったのは、私が中学生か高校生の頃でしたが、この故事にいたく感動したことを覚えています。しかし、今考えると二つの故事はかなり自己犠牲的で、相手が薄情者だった場合は簡単に「都合の良い人」になってしまうと思います。そういった意味では、理想的な関係ではあるけれど、維持するのが難しいかもしれません。だから美談として伝わっているのかもしれませんが。
「仲間」
利害関係があり、親密な関係があるとすれば、職場や部活の仲間が近いかもしれません。そういう人たちは、協力することも多そうですから、「金断の交わり」や「金蘭の契り」が生まれそうです。部活を引退した後や職場を退職した後も、お互いが信頼し合える関係で、感情的な繋がりがあれば、「親友」として今後も繋がれる可能性が高いのではないでしょうか。しかし、特に親密な関係もなければ、「他人」になってしまうでしょう。
「同盟、都合のいい人」
左下は「お互いの親密度は低いが、利害は一致している関係」と考えると「同盟、都合のいい人」と考えました。適切な四字熟語は「呉越同舟」が近そうです。
案外、普段から仲良くしていたはずなのに、行事になると揉めるというのは、もしかしたら、普段から仲が良かったのではなく、「ただ寂しいから一緒にいた」という目的を共有するだけの関係なのかもしれません。寂しさを紛らわすという目的のために集まった仲間で、そこには信頼関係はまだありません。つまり、「同盟、都合のいい人」に分類されるのでしょう。この関係は職場や部活が同じであれば、「仲間」に昇格しそうですが、「刎頸の交わり」にランクアップするには少し遠い道のりです。
「他人」
また、右下は「信頼度が低く、利害関係もなくなってしまった関係」と考えると、「他人」と捉えました。私はここで、杜甫の「貧行交」を思い出しました。「貧行交」は、わかりやすくいうと「金の切れ目が縁の切れ目」ということなのですが、これも当てはまるのではないかと思いました。原文を載せておきます。
杜甫が若かった頃、長安に出て士官先を探していた時の詩だそうです。科挙も上手くいかず、求職のため貴人の家訪れたが門前払いされてしまった時にこの詩が生まれたと言われています。信頼していたのに、都合が悪くなったら手のひらを返したように態度が豹変してしまった人の薄情さを嘆く詩です。こういうこと、よくあるのではないでしょうか。
そう考えると、友情というのは移ろいやすく、儚いものなのかもしれません。成長するにつれて付き合う人も当然変わってくるでしょう。そう考えると、「管鮑の交わり」や「刎頚の交わり」はとても貴重だと思います。
個人的には、「みんなは一人のために、一人はみんなのために」の精神は大切にしますが、付かず離れずほどほどの距離感で付き合うのが細く長く友情を続けるには良いのではないかと感じています。
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