知的障害のある兄について①
私の兄弟は
姉
兄
姉(一歳未満で死)
私
兄は多分15歳くらい上。
数字に弱くてギリギリ家族の誕生日は覚えられましたが西暦までは全く。。
何個上かくらい覚えとけよっと毎回思うんですが本当に興味なさすぎて覚えられないんかな?笑
*ここでちょっと注意事項
日によって投稿の口調変わります。きっと。
ご了承ください。でも毎回同じ人が書いてます。
多重人格ではないのでご安心ください。
覚えられないの話をしちゃうと一つ大きな大きな問題がありまして、多分10歳くらいは上の?従兄弟の姉妹がどっちがどっちの名前か何年経っても覚えられない。双子じゃないしそれぞれの顔は浮かぶのですが名前をリンクさせられない。数年に一度のタイミングで呼ばなくてはいけない為
その度に。。笑
もう次回会う時ははっきり言うべきだなと。
『きっと死ぬまで覚えられません。ごめんなさい』
さーてさーて
話を戻しまーす!!
兄について
兄の存在を認識したのは多分小学3年生くらいの時です。
え?認識したってどういうこと?
それまでほぼ関わった記憶が無いからです。
姉もそうです。私が専門学校に通うようになってからの19歳くらいからしか姉を意識していませんでした。姉はなんの障害もありません。
私は保育園からとにかくいじめられ体質で6人グループの中にいるものの1人カースト最下位でした。
小学校では2年生ごろからいじめはスタートし、6年生までカースト最下位
小学生の頃はクラスが変わるごとに変動しながらも私はカースト最下位を保持し、最下位に何人かいましたがその最下位メンバーからもいじめを受けるというダメさでした。
まぁこのことは後日細かく。笑😆
なぜこの頃になり兄の存在を意識したのか、それは兄の存在をクラスメイトに知られたら、もう人生終わると思っていたからです。『頭のおかしいお兄ちゃんがいるだって〜だからこいつもおかしいんだな』そう言われるに違いない。そう思い、兄弟は姉だけ。という風に嘘をつくようなりました。
やめてと言ってるのに悪ふざけで家についてくるクラスメイトもいました。
その時は全く気がついていなかったのですが、うちの実家は戸建てだった為、『賃貸マンションに住んでんの?ダサ!🤭』とでも言えるようなカースト上位までとは言わなくても中間層などまぁかなりの割合で全然いたと思うので(今現在低賃金の夫婦なので賃貸です。今現在もこれからの将来も私は戸建てを買う気はありません。今はバカにしてません。)
バカにする事は出来ただろうに、全く考えが及ばなかったんです。自分がどれだけ恵まれた生活をしていたのか学生時代には気がつかなかったですね。。
と、に、か、く
家に着いて来られて中に入りたいとか言われたらどうしようピンポン押して兄が出てきちゃったらどうしようと思っていたのですが、
クラスメイトが表札を確認して家を見た瞬間帰って行ったことを当時は理解できていなかった。
安堵感しかなかったんです😆笑
うちは貧乏だし私自身なんの取り柄もないし変な兄はいるしいじめられてばっかりの人生生きてる意味あんのかな。
何度も死にたいなーと思っていました。
まぁそんなところですね。
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