【五島紀行14】最終日 20160131 旅の終わり

福見教会→高井旅教会→桐教会→山神神社→土井ノ浦教会

旅の五日目、遂に最終日。とうとう晴れの日に恵まれた!

最後の朝食を食べに食堂へ。すっかり馴染みになって、毎晩黒霧島を恵んでくれていたお客さんと一緒になる。「サッカー勝ったったいね」「逆転したみたいですね」と短く会話する。先に食べ終わったので、これでチェックアウトする旨を改めて告げる。この方のお陰で毎日おいしく楽しく飲む事ができた。昨日の夜は、1.8Lの黒霧島の紙パックに1/5ほど残った分を、まるで何でもない事のように全部私にくれた。丁重にお礼を述べて辞去する。毎晩、「姐さん、強かとやろ」と気さくに黒霧島を分けてくれた名前も分からない方だった。

荷物整理をし、身支度を整えてチェックアウトする。4泊もした部屋を離れるのはとっても名残惜しかった。部屋をぐるりと見渡して一階に降りる。初日と二日目は宿の焼酎をグラスで頼んでいたのでその分は当然加算されるだろうと思っていたら、宿泊料金ポッキリだった。何と良心的なんだろう。最後に宿を出る時、ざっくばらんで朗らかな女将さんが丁寧に膝をついて見送ってくれた。「昨日はほんとよか人ば当たったったい、良かったやろ」とAさんの話題を振られる。本当に素敵な出会いでした、ご飯おいしかったです、お世話になりました、とお礼を伝えて宿を出る。この宿の隣には武家のお屋敷がある。お向かいは古くからの宮大工さんのお宅。この辺り一帯はお殿様が治める集落だったらしい。これもAさん情報で、やはり島の中の便のいいところはキリスト教集落ではなかったのだ。

いよいよ教会巡りも残り四箇所。三日目、四日目に通ったルートを再び通る。三日目に写真を撮った中ノ浦教会の近くに差し掛かった時、海面を見てピンと来た。中ノ浦教会は通称水鏡の教会とも呼ばれていて、条件が揃うと海面に教会がはっきり映るとネットで見て知っていた。今朝は正に晴れていて風もなく海面が穏やかだ。これはもしかするともしかするぞ、と思いながら教会に近づく。教会が見えた瞬間、思わず「やった!」と声が出た。本当に海面に教会が映っている。奇跡のような一枚が撮れた。Aさんが昨日、「晴れていて、風がなくて、水面が静かで、特に午前中がいいんですよ。僕は水鏡撮るのに50回通いました」と言っていたのを思い出す。一昨日来た時は写真に雨粒が映り込むほどの雨で、昨日も雨だったしAさんでさえ50回通わなきゃ撮れないとあって完全に諦めていた。今回の旅何度目かわからない幸運に恵まれた事に感謝して写真を撮る。これは後でぜひAさんにも知らせたい。

福見教会、高井旅教会ともに、やはり海の目の前に建っていた。朝日が眩しく輝く時間帯。教会は美しく照らされていた。旅の三日目に教えてもらった山神神社は桐古里という桐教会のある集落に位置していた。予定になかったカクレキリシタン由来の場所にまた一つ行けると一昨日から緊張していた。同時に、回る予定の教会の目の前にある事に改めて感謝した。この立地のお陰で訪れる事ができる。

桐古里は、やはり携帯が完全に通じない、海の側の辺境僻地だった。教会を訪れ、次に神社を探す。その間にあまりの美しい海に惹かれて途中で車を停めてたくさんの写真を撮った。小さな個人の漁船と思しき船が何艘も停めてあった。浅瀬では魚がたくさん泳いでいるのが見える。あまりにも綺麗なコバルトブルーとエメラルドグリーンが重なり合う浅瀬で、うっとり眺めていた。すぐ近くに軽トラが停まっていて、「何かおるとね」と漁師さんらしき二人組に車の中から声をかけられる。小さな魚がたくさんいます、と答えると、そのうちの一人が「箱メガネば持って来ちょらんと見えんとやろ」と笑う。箱メガネは今の時期だと寒いかも、と返すと、あっはっは、と笑って去っていった。

山神神社はすぐに見つかった。観光物産協会に見せてもらった地図のお陰だった。小さな集落の中で、更に細い道の奥まったところにこぢんまりと建っている。朝日のルポのままであるなら現役の神社のはずだった。Aさんは「力一杯開けないと扉が開かないんです」と言っていた。余程の事がなければこの扉が開く事はないのではないか。もしかしたらAさんは例大祭に参加した事があるのだろうか。頭子神社同様、狛犬も御賽銭箱もない、小さな小さな神社。まさか来られるとは思っていなかったところだった。自力では住所までは探し当てられなかった。これもご縁だなぁ、と感慨深くなる。

土井ノ浦教会に辿り着いて、遂に上五島全29箇所の教会を全て訪れた。高台に建つ土井ノ浦教会から海辺の集落を見下ろす。Aさんに教えてもらった様々な話、この島の歴史やキリシタンの歴史を思い出す。美しい景色だった。目に焼き付けようと、しばらく眺めていた。とても、離れがたかった。

レンタカーを返すまでにはまだ時間があった。レンタカー屋さんに行く途中には青砂ヶ浦教会を通る。二回とも雨の中を訪れていたので、晴れた中の姿を最後にもう一度見たくて立ち寄った。聖堂の中に入って、ため息が出た。太陽に照らされたステンドグラスから溢れる光が壁や椅子や床に落ちて、夢でも見ているみたいに美しい。こんなに美しいものは他にないんじゃないかと思うほど。5年前来た時もこんな風な光の入り方ではなかった。しばらくその光から目が離せなかった。写真に撮りたかったけれど、我慢した。一生覚えておこう、この光景を、生涯忘れないでおこうと思った。夢心地で眺めていると、突然鐘が鳴った。時計を見ると丁度12時。お昼を知らせる鐘だったのだ。外に出て、鳴り響く鐘を見上げる。そしてふと、地図で教会の真裏に修道院を見つけた事を思い出した。ついでなので寄ってみようと教会の裏の坂道を登る。登りきった先には、一見普通のアパートのような修道院と、その反対側にはルルドがあつらえてあった。青砂ヶ浦教会にもルルドがあったのは未確認だったのでとても嬉しかった。最後にマリア像にご挨拶して、出発。

もう少しだけ余裕があった。あとふたつ、心残りがあった。ひとつは、5年前に現地の方に案内された展望台を探し当てること。アタリを付けたマリンピア展望台は外れだったのでここが気になっていた。観光物産協会からもらった島の地図を見ると、それらしき場所がレンタカー屋さんの少し先だった。時間ギリギリでそこに向かう。途中、本当に偶然、曽根教会の側に墓地を発見した。太い道路から少し入り込んだ場所にあった。晴れていたからたまたま視界に入ってきた。雨や曇りだったら見つけられなかっただろう場所だった。何と実はこれがふたつめの心残りだった。かつて、紆余曲折を経て私の曽祖父がこの曽根教会の墓地に眠っていた時代があったのだ。5年前に五島を訪れたのも実はその事に関係していた。あの時来た墓地にもう一度行ってみたいと思いつつも、墓地というデリケートな場所なのでおおっぴらに問い合わせたりはせず自力で探したいと思っていた。旅の最後の最後にようやく探し当てた。もうこの墓地には血縁者はいないけれど、来られて良かった。金文字の墓石に造花があちこちに飾られた墓地は、やはり厳かな雰囲気でそこにあった。ここも、目に焼き付ける。

展望台までの道は、最後にまたこれか、という山道だった。しかも今日は二度も車とすれ違った。どうにかお互い譲り合いながらやり過ごす。道が途切れたところに待っていたのは、登山並みに険しくて一目で長いとわかる階段だった。数段登って、これは頂上まで登ったら時間オーバーだ、と諦める。レンタカーを返す時間がもう目前だった。さっきの九十九折りの山道を再度下ってお店まで走ってちょうど、というところ。仕方がないので諦めた。階段の登り口に建っている看板に頂上の写真があって、それを見るとどうもここのような感じだったけれど、仕方がなかった(後日談。実際にはここの展望台ではなく、三日目に立ち寄った矢硬目の塩本舗の目の前が探していた場所だった)。高台からの綺麗な景色はたくさん見たからもう十分だ、と納得して車に戻り、山道を下る。下りはスムーズで、レンタカー屋さんには約束の時間より少し前に到着した。

返却手続きを済ませる。5日間の走行距離は570kmだった。港まで送ってもらう道すがら、割と走った方ですかとお店の人に訊いてみる。「そうですね、走られた方です。でも過去にお一組、2日間で350km走られたお客様がいらっしゃいました」という返事。聞けばその人達もほぼ全箇所教会巡りにチャレンジした人達だったらしい。うーん強者。

港までの帰り道に送ってくれたレンタカー屋さんの店員さんは割と話好きな人のようで、色々話してくれた。「僕ら自身が運転してお客様をあちこちご案内する事はできないですけど、こうやって車で実際に回られて「いいところだった」って言って頂けると、この島もまだまだ捨てたもんじゃないなと思いますね」と嬉しそうに言う。いいところだらけですよ、いっぱいいいところがありましたよ、なんて話しながら港に着いた。時間はちょうど昼食どき。お昼は?と訊かれ、ターミナルの中でうどんを食べるつもりだと話す。店員さんはしみじみと「おいしいうどん食べて、旅を締め括って下さいね」と言葉を残して戻っていった。この店員さんも、いい人だった。

船が出るまであと1時間ちょっと。うどんを食べるなら余裕の時間だった。うどん屋さんに行くと、扉の鍵は開いているけど誰もいない。看板も店内に仕舞われている。これはまさか、と顔をひくつかせつつ隣の売店に「お隣とここは別ですか?」と当たってみる。「隣は今日は定休日です」という返事。て、定休日!何というオチだろう!思わず笑ってしまった。しょうがないので手持ちのパンを食べて船を待つ。そうか、定休日か。まぁそんな事もあるさ。レンタカー屋さんも日曜定休って事は知らなかったんだなぁ、とおかしかった。パンと一緒に、昨日の別れ際にAさんが手土産に持たせてくれたかんころ餅のかけらをかじる。少し固くなったかんころ餅は、それでも優しい味をそのまま残していた。

出港の30分前に窓口が開いた。行きに買っておいた回数券の残りの一枚を差し出す。今回は迷わず絨毯席にした。来た時に乗ってきたのと同じ船が港に入ってくる。14:20着、14:25発なので慌しく乗り込む。まっすぐ絨毯席に向かい、寝場所を確保してさっさと横になる。今回は絨毯席にはお仲間が三人いた。椅子席のお客さんも来た時よりは多かったのでみんな日曜日に観光を終えて帰るのかな、なんて思いながら眠りについた。

帰りの飛行機の中で、5日間の事を振り返る。Facebookに何を書こうかな、なんて考えながら写真を見返す。訪れた場所、その時々で感じたこと、出会った人々、飲み食いしたもの、あらゆる事を思い出した。ふと暗い窓の外に目をやると、涙が出そうになった。大手コンビニチェーンもコーヒーショップもない、自宅から8時間以上かかる離島。8時間あったら外国だって行けちゃう。そんな場所に私は行ったんだ。そこに5日間もいたんだ。そしてもう二度と経験できないかもしれないような時間を過ごしてきたんだ。この5日間は間違いなく私の人生の宝になると思った。Facebookで、感激の旅、とコメントをもらったけれど、本当にその通りだった。感激の旅。それ以外言いようがない。絶対に忘れられない。クリスチャンではないけれど、神様に感謝した。

明日、Aさんに、お礼のメールを出そう。無事に帰って来られた事にも感謝。明日はもう一日休みを取ってあるから、何も気にせず、泥のように眠ろう。そうしよう。

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