【五島紀行7】二日目 20160128 教会巡り後半、夕食へ

猪ノ浦教会→焼崎教会→真手ノ浦教会→冷水教会→旧鯛ノ浦教会→佐野原教会→船隠教会

昼食のうどんをしっかりと堪能し、お茶を飲みながら一息つく。午前中のうちに六箇所を回ってしまっていた。本当なら今日は八箇所しか回らないつもりだったので残りは二箇所になる。でも午後はまだまだ時間があるのでルートを練り直す事にした。行程は、一日ごとにどこをどのように回るか細かく決めてあった。その行程表とiPhoneのGoogleマップとをかわりばんこに見つめながら、今日の追加先を考える。うどん屋さんのカウンターは平日の昼間のせいなのか私以外人はおらず、来たとしても皆団体客で彼らはお座敷に通されていた。お客さん達と店員さんとのやりとりを聞きながらルートの再検討を進める。明日回る事にしていた場所を四箇所、そして今回の旅では予定に入れていなかった冷水教会を追加してルートを組み直した。冷水教会を追加した事で、上五島の教会全29箇所全てを回れる事になった。これは嬉しい。天気が悪くてもこういういい事もあるものなんだ。午後からのやる気が満タンになった。店を出て、早速車に乗り込む。

朝からの天気の悪さは、お昼を過ぎてから益々強くなって、午後のある時点から傘を差しての一眼使用はあまりのやり辛さに諦めた。そして今日の午後回るところもかなり山あいのエリアで、更に悪条件が重なった。霧は出てるわ雨は強いわ道路は葉っぱだらけだわ。少し走ると山の上の方は霧に隠れて見えなくなっているところもある。場所によってはあの中を走るところもあるのかな、とわくわくが半分、ドキドキが半分の心境で車を進めた。

焼崎教会教区に入ると、携帯は当然通じないような山深いところに「焼崎教会まであと2.5km」の看板が立っていた。ここから先一体どれだけの人がこの道を通るんだろうと不思議に思うような道だった。車一台が通るのがやっとの幅で、両側には側溝。一歩間違えればすぐにでも脱輪しそうな道だった。万が一脱輪したとしても現場では携帯が不通だからすぐにはJAFも呼べない(そもそも中通島でJAFは稼働してるんだろうか←後から調べたらどうやら稼働していないらしい)。絶対脱輪しないぞ、と物凄く慎重に運転した。

ようやく辿り着いた先にはわずかに民家があって、そのうちのほとんどは廃屋だった。この集落の中の教会にどれだけ人が集まるのか、と思ったけれど、焼崎集落にはバスが通っていた。昨日の江袋教会に向かう高齢女性のように、焼崎教会にも通う人が恐らくいるのだ。こんなところまでこんな大変な思いをして…と、教会とバス停の時刻表とを見比べながら、ここに通ってこの教会を大切にし続けている人々の気持ちを思った。焼崎教会の目の前の道路は海に面していて、ガードレールの向こう側はどこまでも透明で浅瀬が続くエメラルドグリーンの海だった。

15時頃、新上五島町で一番新しい真手ノ浦教会を見た後、冷水教会を目指す。約30分の道のりで、若干南西の方角から一度島の中心部に戻り、再度北上するルートだった。冷水教会の手前の分岐点に、青砂ヶ浦教会方面と冷水教会方面を示す看板があった。ここは今朝青砂ヶ浦教会に行く時にも通ったところだ。青砂ヶ浦教会へは右、冷水教会へは左。朝とは反対にハンドルを切る。ここは奈摩郷という集落らしかった。所々にバス停が立っていた。

分岐を左に進んで程なくしてから、道路はやがて堤防へと繋がっていった。これは果たして公道なのか堤防なのか?先ほどから見かけているバス停がここにも続いているのでどうやら公道のようだ。焼崎教会の時も「こんなところをバスが走るのか」と思ったけれど、今度はまた違った意味で同じように思った。間もなく冷水教会が見えた。海沿いの堤防の道路から一本道を入ったところに建っている。道路からは階段を登るようになっていた。海を見下ろせるように作られているのだろう。ここは鉄川与助が棟梁になって初めて手がけた教会だと言われている。教会は木造建築の素朴な外観。誰もいない、静かな聖堂内に失礼する。ここもリブ・ヴォールトのこうもり天井だった。ステンドグラスは素朴な色と柄で、青砂ヶ浦教会や大曽教会ともまた違った印象を受けた。

宿には18時過ぎには帰ってきた。一息ついて、15分後には食堂の席に着く。今日の夕食は海老フライ3本、さんまの塩焼き、ヒラマサのお刺身。今日も豪華だ。そして二日続けてのヒラマサのお刺身にいささか驚く。もしかしたら五島では毎日お刺身なのかな、とある程度予想はしていたけれど、まさか本当に二日続けて出てくるとは。ひょっとすると明日も明後日もヒラマサなのかもしれない。昨日の昼間、五島はブリが有名なのだと知ったばかりだった。女将さんに訊くと「この辺りの人はヒラマサの方を好んで食べるけん。実はヒラマサの方が高級なんよ」と少し自慢げに教えてくれた。生ものは大好物なので内心嬉しかった。人によってはだめな人もいるのだろうな、と想像する。そして相席になった別の若いお客さんから、「明太子は好きですか?」と声をかけられる。どうも朝食の残りが彼に与えられたが量が多かったのでお裾分けという事らしかった。ありがたくふた切れ頂いてテーブルの中央に戻した。

これだけ美味しいお魚を頂いているので、どうしても飲みたくなった。昨日もらった焼酎、壱岐のボトルが昨日と同じ場所に置かれていた。女将さんに、遠慮しいしい「焼酎、飲みたいんですけど…。」と訊いてみる。女将さんは何でもない事のように「あぁ、いいよー好きなように飲んでもらってええけん。お湯は昨日と同じたいね。器はそこ。」と答えてくれた。ありがたくお湯割にして頂く事にした。

明太子を分けてくれた彼は早々に食事を終えて食堂を出て行った。そのまま一人で食事を続けていると、彼の同僚と思しき仕事で連泊している二人組から声をかけられた。女性の一人旅、まして観光目的でこの宿を使うのはよほど珍しいらしい。そして昨日も今日も壱岐を飲む私を見て、いける口だと踏んだらしかった。「一緒に飲みましょうよ」と、にこにこしながら焼酎を分けてくれた。彼らが結構なハイペースで飲んでいたのは黒霧島。さすが九州男児。

テレビを見ながらしばらく話し込む。長崎は五島だけじゃなく市内にもクリスチャンがかなりいて、集落ごとに仏教地域、神道地域、キリスト教地域、に分かれていると教えてくれた。5年前に泊まった宿の女将さんの話と同じだった。長崎生まれ長崎育ちの人達で、生粋の長崎の方言だった。自分では真似できないけれど、聞いていてわからないというほどではなかったので話が通じない事はなかった。長崎の言葉はアクセントが優しい気がした。耳に心地良かった。明日訪れる予定の場所、明後日訪れる予定の場所、それぞれ色々と情報をもらって、キリスト教の冠婚葬祭のマナーについてなんかも教えてくれた。彼らのうち一人は五島に単身赴任で通ってもう10年になるらしい。今回の単身赴任も正月休みを挟んで2ヶ月半だと言っていた。ここはそういう人達が集まる宿なんだと改めて知った。すっかり話に花が咲いて、時計は気付けば21時を回っていた。

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