【五島紀行9】三日目 20160129 教会巡り中盤、アクシデント

中ノ浦教会→若松大浦教会→浜串教会→希望の聖母像

矢堅目の塩本舗を出て車に戻る。雨の調子は相変わらずで、フロントガラスを叩く雨粒は大きいままだった。雨音を聞きながら行程表を取り出す。ここからの流れを改めて確認したかった。時間はちょうどお昼時。今日の昼食は、頭ヶ島教会からマリンピア展望台に移動する間に買っておいたパン。明日の野崎島への渡航に向けて、明日の分の朝食昼食と一緒に買っておいたものだ。中通島に2軒しかない、島の会社が経営する24時間営業ではないコンビニ。変な時間に行ったせいでおにぎりもサンドイッチも全くなく、袋入りのパンとお弁当が辛うじて売られていた。それらの中から適当に選んだものだった。今日のお昼は移動しながらのパンだ。

北上してきたルートを再度南下する。来た道を逆に走ると、新たな発見も色々とあるものだ。走る先々で見覚えのある風景が少しずつ増えていく。徐々に島に馴染んでいくのが実感できて、その事が嬉しかった。どんどん南に進み、中ノ浦教会へ向かう。真手ノ浦教会を過ぎた辺りから海岸線をひた走る。そして南下するに従って携帯の電波が微弱になっていく。旅も三日目なので、携帯が不通になるのには既に慣れっこになっていた。集落が続いていても圏外になるのも珍しくない。もうあまり驚かなくなっていた。しばらく走るうちに道路が大きく湾曲したところに出た。曲がり切った先に白い建物が見える。中ノ浦教会だった。大雨の中、少し離れたところからでも真っ白な建物はすぐに教会だと分かった。教会の駐車場に車を停めて敷地の中に入る。上五島の教会はこれまで回ったところにはほぼルルドが構えてあった。ここにも美しいルルドを見つける。そして聖堂内はこれまでのどの教会よりもはっきりとした椿のモチーフがあしらわれていた。白い壁に真っ赤な椿の花。やはりここは椿の島なのだと改めて思う。島の人達にこんな風にして椿の花は大切にされてきたんだ。中ノ浦教会はさほど古い建物ではないけれど、脈々と受け継がれる島の歴史をここでも感じたような気がした。

中ノ浦教会から車で3分のはずの若松大浦教会は10分以上周辺をぐるぐる回っても見つけられなかった。Googleマップで示された道路の右側に教会があるはずなのに、道路の右側はガードレールが敷かれていて降りられないようになっている。仕方がないので同じ場所を下から見上げるポイントに戻っては上を見、何も見つけられずにさっきと同じところにまた戻って、というのを数回繰り返した。ここまで来て、29箇所中1箇所は諦める事になるのか、という考えが一瞬頭をかすめる。そんな事にはしたくない。絶対に見つけてみせる、という強い思いで何度目かのトライ。下から見上げる地点に再度戻って家々を眺めると、その中の一軒に十字架が冠されているのを見つけた。あれだ!あの建物に違いない。一見するととても教会には見えないけれど、確信を得て建物に近づく。Googleマップで示されたのより一本下の道路に若松大浦教会を示す看板が出ていた。良かった。ほっとしながら駐車場に入り、聖堂へ。

若松大浦教会は、今日まで回った中で一番年季が入っているという表現がぴったりくるような外観をしていた。これこそ日本の教会、和風の教会という風合いの古びた木造の建物。入り口には「ミサ 土曜日夕方6時から」と書かれた小さなホワイトボードが置かれていた。ミサは明日なのか。やっぱりここも現役の教会なんだ。そうっと聖堂の中に入る。町の観光物産協会のHPに書かれていた通り、祭壇の聖母像は他の教会と違って独特の顔立ちをしていた。親しみやすい、優しい顔のマリア像。このマリア像があるだけで聖堂内の雰囲気も柔らかく優しく感じられる気がした。こぢんまりとした聖堂の中で、私の気持ちも穏やかにほぐされていくような感覚を覚えた。

中通島を南下して、若松島から最西端の有福島を目指す。若松地区はどこを走ってもほとんど海岸線で、長時間のドライブになったけれどとても気持ちが良かった。途中、新上五島町立若松中学校の側を通る。中学校のグラウンドは連日の雨で海のように水が溜まっていた。水はけが相当悪いのだ。そして若松地区は南の島らしくシュロの木がたくさん植えられていた。中通島とはそれほど離れていないのに雰囲気はだいぶ違う。こちらはよりのびのびした感じだ。景色を楽しみながらのドライブになった。

しばらく走った頃、突如として電話が鳴った。知らない番号だった。市外局番にも見覚えがない。どこからだろう。出るかどうか少しためらった。が、予感めいたものを感じてすぐに車を路肩に停め、電話に出る。相手先はおぢかアイランドツーリズムだった。電話の相手は慎重に言葉を選びながら要件を伝えてくれた。私が調べていたところではここ数日はずっと悪天候だったが、明日はどうにか天気は回復する見込みだと出ていた。しかし海はずっと荒れ続けていたようで、今日も非常に波が高いらしい。既に今日のこの時点で明日の欠航が決まったと告げられた。小値賀島への船も、小値賀島から野崎島への船も、出ない。「どうしようもないですね」と言うと、相手も「そうですね」と残念そうに答えてくれた。天気ばかりは仕方がない。誰の責任でもない。どうしようもできない。連絡をくれた事にお礼を言って電話を切る。すぐに九州商船にも電話をかけた。こちらからの連絡でキャンセルになるものと思っていたら、システム上欠航と同時に船はキャンセルになっていたらしい。短いやりとりの後に通話を終えた。

電話を切って、ふうっと大きく息をつく。幾つか決めた旅のコンセプトのうち、一つが消えた。野崎島への思いは正直言ってとても大きかった。鉄川与助が手がけた初めての赤煉瓦の教会。わずか17戸の信者が慎ましやかな生活の中からお金を出し合って建てたという旧野首教会もこの目で見たかった。先日のテレビである俳優が訪れていた。信者達は一日3食のところを2食に削るなどして、本当に苦労してお金を出し合ってこの教会を建てたのだと何かで読んだ。思いが詰まった教会も、日本のサバンナと呼ばれる野生の鹿が自由に駆け回る草原も、ぜひとも見たかった。心から見たかった。少しの時間、車の中でぼうっとしていた。そうか、行けないのか…。目の前までは来ているのに。けれど不思議な事に悲しさも悔しさも無念さもなかった。全く悲観する気持ちはなかった。ただ穏やかに、「行けないのか」と受け止めている自分がいた。その事に少し戸惑った。驚くほど動揺していない。だってどうしようもないのだもの、とどこかで達観するような気持ちだった。この旅に来てから少しずつ自分の中の何かが変わりつつあるのを感じていた。とにかく明日は時間ができたのだ、明日の事は夕方宿に帰ってからでも、何なら明日になってからでもどうとでもなる、と短い時間で完全に吹っ切れた。今日は今日を楽しもう。まだまだ先は長い。ハザードランプを消してサイドミラーを確認する。後ろからの車は、ない。気持ちを新たに、次の目的地に向けてアクセルを踏んだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?