収入を捨てゆとりを得るまでの話

ゆとりのある生活をモットーとしている私ですが、自分にとってゆとりが大事と気づくまでには長い時間がかかりました。
私がいう「ゆとり」とは、時間や心のゆとりでお金のゆとりではありません。
私がこの「ゆとり」を大切にするようになったきっかけは新卒で入社した会社での激務です。

入社〜心身を壊すまで

大学院卒業ののち、大手ゼネコングループに内装の施工管理者として4年半勤めました。
入社1年目。当時は7時代〜早くて20時代まで働いていましたが、私が1番早く退社していました。その時に「ここでは何年経っても早く帰ることはできないんだここにいては寿命が縮まる!」と思い、仕事がひと段落する度に転職サイトを身漁っていました。しかし、激務なことに比例して収入も同世代の中ではかなり多かったので、高収入を捨てきれず転職に踏み切れずにいました。

そんな激務を続けることまる2年。心身が壊れ始めていることを自覚しました。
涙を流しながら出勤し、涙を流しながら退勤し、家でも明日仕事に行きたくないと涙を流していました。電車に乗ると喉が苦しくなる時があり、内科で自律神経を整える薬を処方され服用していました。当時は睡眠時間の確保が優先順位の1位であったため、朝ご飯は食べずに出勤、晩御飯も食べずに寝ていたため、体重もどんどん減ってしまいました。
会社にも相談し、1年ほどは現場仕事ではなく内勤で残業時間を減らして勤務することに。定時で帰宅した初夏の日。まだ空が明るくてウキウキしたことを今でも覚えています。半年で体重の減少も止まり、体調も戻ってきたので、約1年後に現場勤務へ復帰しました。

今の会社との運命的な出会い

現場仕事に復帰し、現場の方が好きだと感じる一方、やはり残業がセットでした。しかも、既に新入社員ではなくなっていたため自分の仕事に加え新入社員の指導も仕事になりました。そして、その新入社員の後輩が遅刻魔だったんですよね・・・。私は「新入社員だから誰よりも早く出勤!」タイプではなかったので、結構ギリギリに出勤していましたが(睡眠時間をできるだけ長くしたかった)、遅刻は絶対にしないと心に決めていたのもあり、その子が遅刻して来ることがどんどんストレスになってしまいました。そして上司も誰も注意しないから私が注意しないといけなく、ストレス増量。
この時に私には「時間と心のゆとり」が何よりも大事なのだとようやく気づきます。ゆとりがないことがストレスにつながり、そのストレスが体調不良にもつながる。薬の服用も再開して、薬を飲みながらしてここで働く意味はあるのか?と自問自答していました。

そんなある日instagramのおすすめに自分の心をくすぐる商品が出てきました。普段はそんなこと気にならないのに、その時どうしても誰がこの商品を作っているのかが気になりました。
ネットを駆使して調べまくり・・・その商品を作っている方を特定。そしてその方が工務店も経営していることを知ります。
ホームページを見るとその工務店は10人以下の小さな会社、今は採用活動もしていないらしい。以前転職サイトに掲載して社員を募集していた時の情報を見ると年収も半分になるだろう・・・でもこの会社なら絶対楽しく働ける!と直感で感じました。
直感を信じ、ダメもとでホームページから自身の職務経歴書を送り、無事に採用され、転職。この時は「この人と働きたい!」という思いで動いていたのでゆとりのことはすっかり忘れていました。また、「この人と働けるならなんでもやる!」と思っていたので、入社当時はどの職種につくかも不明でした。

無事に転職を果たし、再び現場管理職に就くことに。人数の少ない会社なので、以前とは打って変わって現場の対応は基本1人で行いました。
現場の対応を1人で行うようになり、現場管理でもゆとりを持てる生活を送れるようになりました。
(なぜ現場管理とゆとりを持つ生活を並行できるようになったかは長くなるので、ここでは割愛します。)

自分にとって大切なものがわかった

新卒から4年半激務を経験し、年収半分の同職種に転職し、自分にとっては

ゆとり>>>お金

であるということを学びました。

現在は育休中ですが、出産してもゆとり第一のマインドは変わらず。変えられず。
このゆとりをどのように捻出しているかを、これからこちらのnoteで紹介していければと思います!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?