なぜ宗教(宗教家)は弾圧されるのか?
【0.はじめに】
2022年7月8日の「安倍元首相銃撃事件」に端を発する「旧統一教会問題」には様々な論点があり、現時点(2022年11月3日)でも状況は整理しきれていません。
論点の一つに「国(政治および行政)と宗教の関わり」があります。
日本をはじめ多くの民主主義国は「信教の自由」および「政教分離の原則」を採用し、政治および行政は宗教と距離を保ってきました。
日本は第二次世界大戦前には「国家神道」を事実上の国教と定め、仏教やキリスト教の一部を弾圧してきました。
その反省から、戦後の宗教行政は各宗教団体(宗教法人)の「自主性」を極力尊重し、行政の裁量を除く方針で行われてきました。
しかし1995年の「地下鉄サリン事件」をはじめとする一連の「オウム真理教」が引き起こした事件を機会に国が宗教団体を管理する方向性となり、今回の「旧統一教会問題」でさらなる管理強化に舵を切ったと感じます。
これは世論の後押しを受けてのことですが、大きな歴史の転換点になるかもしれません。
そこで今現在自分なりに感じたこと、調べたこと、考えたことを記録に残すこととしました。
今後の「国と宗教の関わり」がどうなるのかわかりませんが、今から10年後ぐらいにまた記事を読み返してみたいですね・・・。
【1.あなたは神(仏)を信じますか?】
現在『あなたは「仏」の存在を信じますか?』と問われたら、多くの人が『はい』と答えるような気がします。
そうでなければ、多くの人が仏式の「お葬式」や「○○回忌法要」など行わないでしょう。
やっぱり「仏」と伝えられるような存在がいて、故人や遺族を良い方向に導いてくれると信じられているから行われるのだと感じます。
では『あなたは仏教徒ですか?仏教徒であるならそれを証明してください』と問われたら、多くの人が困惑すると思います。
1)「仏教」の場合
そもそも「仏教徒」とは何か?
言葉の定義としては「仏教の信者」「仏弟子」ということですね。
しかし何をもってして「仏教の信者」であることを証明すればよいのか?
頭を抱えてしまいますね。
『ウチは○○寺の檀家だ』と言ってみても、それは江戸時代の「檀家制度」の名残であり、個人の信仰とは関係のないものです。
仏教の目的は「この世のありとあらゆる苦しみや悲しみ(四苦八苦)」から逃れることにあります。
そのための方法論は大きく分けて2つ。
①の考え方を「小乗(上座部)仏教」
②の考え方を「大乗仏教」と呼びます。
①の考えの人は「仏弟子」
②の考えの人は「信者(信徒)」というイメージですね。
もちろん大乗仏教でも「僧侶」として従事している人は仏弟子と言ってもよいと思います。
小乗仏教の信者であることの証明はわりと容易だと感じます。
「出家」して「お寺」等で修行していることが証明できればOKだからです。
大乗仏教でも僧侶として従事し、僧籍のある人は証明が可能ですね。
しかし大乗仏教で「僧侶でない人」の場合は困ってしまいます。
「仏を信じているか」はどうかは「内心」の話なので証明しようがありません。
仏教でも宗派によっては「入信の儀式」があるので、それを受けていれば証明が可能ですが「必須」ではありません。
2)「ユダヤ教」「イスラム教」の場合
他の宗教ではどうでしょうか?
例えば「ユダヤ教」や「イスラム教」は血統主義が残り、親が信者なら子も信者というケースが多いですね。
それに伝統的な「戒律」が色濃く残っていて、その戒律を守ることで信者であることを証明できるかもしれません。
(「割礼」や「食物規定(ハラール)」など)
しかし民主主義国で暮す現代の若者は、血統主義や戒律には縛られたくないようです。
ユダヤ教やイスラム教でも、信者かどうかは結局「内心」の問題になりそうですね。
3)「キリスト教」の場合
では世界最大の宗教である「キリスト教」ではどうか?
キリスト教には「洗礼」というはっきりとした入信の儀式があり、洗礼を受けていなければ信者とは言えません。
そして洗礼を受ければ必ずと言っていいぐらい教会に記録が残ります。
特にキリスト教が盛んな国では「幼児洗礼」が普通に行われるので、教会が発行する「洗礼証明書」は公的な効力を持ち、役所が発行する「出生証明書」以上に信頼される場合もあります。
また教会で結婚式を挙げる際に、配偶者が信者であり一緒に洗礼を受けるケースもあります。
この場合でも教会に記録が残ります。
したがってキリスト教の信者であることを証明するためには、教会が発行する「洗礼証明書」を提出すればよいことになりそうです。
しかし「洗礼を受けた=信仰がある」とも限りません。
幼児洗礼や配偶者のお願いで洗礼だけ受けて、その後数十年間教会に通っていないケースも多々あるからです。
キリスト教徒(カトリック、プロテスタント)の「基本信条」の一つに「使徒信条」というものがあります。
これはキリスト教の「正統的な教理を規定する信条」でキリスト教徒なら多くの人が知っている「行動規範」のようなものですね。
内容は以下の通りです。
キリスト教の信仰を持つ多くの人は、この「使徒信条」を実践しています。
「信者=信仰を持つ人」と規定するなら、「洗礼だけ受けてその後教会に行かない人」を信者と呼べるかは微妙な問題になります。
キリスト教でも、信者かどうかは結局「内心」の問題になりそうです・・・。
4)信者の証明は一筋縄ではいかない
ここまで見てきた通り「○○教の信者であること」を証明するのは一筋縄ではいきません。
そして「○○教の信者でないこと」の証明はそれ以上に困難です。
他人に『○○教の信者か?』と聞く人は、このような微妙な問題を認識した上で聞いているのでしょうか?
非常に疑問に感じます。
結局「○○教の信者」であるかないかは「本人に語ってもらう」のが一番よいということになります。
そして歴史上「語りたくない人に語ってもらう」ために用いられたポピュラーな方法があります。
それが「拷問」です。
日本でも江戸時代にキリシタン(キリスト教徒)と目された人に凄惨な拷問が加えられました。
現在の日本では、日本国憲法36条によって拷問は「絶対に」禁止されています。
したがって『オマエは○○教の信者か?』と聞くこと、あるいは『オマエは○○教の信者だ!』と断定することは、証明のしようがない「無意味な行為」と言えるでしょう。
【2.宗教は保護されているッッッ!!】
現在日本では「宗教法人制度」が整備されていて、宗教法人法上の要件を満たした「宗教団体」は法人格を与えられ、「宗教法人」として活動することが可能です。
宗教法人になれば、財産や団体組織の管理が容易になり長期間の活動が行えるようになります。
また「固定資産税」や「法人税」が免除されるという税制上の優遇措置も受けられます。
(但し「収益事業」には課税される)
『そう、我々はそろそろハッキリと言うべきなのですッッ!』
『宗教は保護されているッッッ!!』
『ヤロウ・・・タブー中のタブーに触れやがった』
まあ、上記は半分冗談ですが「宗教は国家権力によって保護されている」のは事実ですね。
宗教が保護されているのはそれなりの理由があります。
1)宗教活動は「公益性」が高い
私は「人は弱くて矛盾した存在」だと思っています。
だからこそ思想、信条、信仰などの「信じるもの」がないと生きていくのもままならないと感じます。
そして宗教とは「生きる意味」や「死んだらどうなる」を考える「哲学」でもあります。
したがって宗教は人が生きていく上で欠かせないものだと言えます。
そのため宗教の「教義をひろめ」「儀式行事を行い」「信者を教化育成する」宗教活動は公益性が高く、保護に値するものだという認識です。
2)思想・信条(良心)の自由を守るため
日本を含む民主主義国では、個人の「思想・信条(良心)の自由」が保障されています。
思想とは「考え方」「世界観」「哲学」などの総称ですね。
信条とは、先に触れた「使徒信条」のように、もともとは宗教用語で教義の基本を要約した行動規範のことです。
それが転じて現在では「堅く信じ守っている考え」という意味になっています。
これら個人の思想・信条に大きな影響を与えるのが宗教です。
したがって思想・信条の自由を守るためには、同時に「信教の自由」も守られなければならないと言えます。
今のところ全ての人を救える思想も宗教も存在しません。
それ故に一見理解できないような宗教でも広く保護する必要があると思います。
3)政教分離を守るため
もし全ての宗教法人に「固定資産税」や「法人税」を課税したらどうなるか?
おそらく信者の少ない中小の宗教法人は解散するか活動を大幅に縮小することになるでしょう。
お寺や神社は広い境内を持つので固定資産税が高いのに、献金は少ないので固定資産税を払えないと思われます。
そうなるとひたすら土地を切り売りして、ただ固定資産税を払うために活動せざるおえなくなります。
こうなると宗教活動には力が入りませんね。
そうして中小の宗教法人が潰れれば、その分「大手」が力を増します。
力を増した大手は多額の納税をしているため、「税金の使い道」について今まで以上に政治に口を出し、その影響力を行使するかもしれません。
そうなると「政教分離の原則」が危うくなってきます。
「宗教法人に課税しない」というのは保護であると同時に「宗教と政治を近づけない」知恵の一つでもあるわけですね。
4)歴史的経緯から見てみる
そもそも歴史を振り返ると、宗教は権力と結びついて大きく発展した側面もあります。
仏教、キリスト教、イスラム教などは、時の権力と結びつきその庇護の下でメジャーな宗教になったとも言えます。
逆に権力と結びつかなかった場合はどうなるか?
その例を日本の「儒教」にみることができます。
儒教の日本伝来は仏教より古く、4世紀始め(飛鳥時代)には伝来していたと言われています。
しかし奈良時代に入ると仏教が最新の科学・政治学として政府(朝廷)に重用され、儒教はそれに押されて衰退していきます。
鎌倉時代には新しい儒教として「朱子学」が伝来しますが、貴族や僧侶など一部知識人の教養として扱われ、独立した一つの宗教・思想ではありませんでした。
そんな日本の儒教を復興させたのが、「近世儒学の祖」とされる「藤原惺窩(ふじわらせいか)」でした。
惺窩は戦国時代の人で秀吉や家康と同世代。
名門貴族出身の彼は幼少の頃に出家し、京都相国寺で禅僧として修行を積みます。
その時に朱子学と出会い、儒学者として生きることを決意します。
惺窩は秀吉の「朝鮮出兵」で日本に捕虜として連行されていた儒学者「姜沆(カンハン)」に学び学識を深めます。
その後、戦国大名「赤松広通」のブレーンとなり名を知られ、ついには家康に儒教の講義をするまでになります。
家康に気に入られた惺窩は、天下人となった家康のブレーンに乞われましたが、固辞して弟子の「林羅山(はやしらざん)」を推挙します。
羅山をブレーンに迎えた家康は、朱子学を江戸幕府公式のイデオロギー(官学)として様々な制度を整備していきます。
そして幕末、江戸幕府を倒した「維新の志士」たちのイデオロギーも儒教だったため、儒教の思想は明治政府にも引き継がれました。
その影響は「教育勅語」にも見ることができます。
こうして一時は衰退した儒教でしたが、江戸時代そして明治時代から戦前まで権力の庇護の下にその思想を伝えることに成功しました。
戦後になり再び権力の庇護を失いましたが、その思想は「道徳」として現在まで受け継がれています。
因みに朝鮮半島では歴史的に儒教が権力の庇護を受け、仏教は弾圧され衰退していました。
しかし近代化と共に盛り返し、今では韓国第二の宗教となっています。
5)「必要は発明の母」
ここまで見てきた通り、宗教とは国家権力が保護しないと「維持発展」が難しいのかもしれませんね。
もちろん国の保護がなくてもかつての儒教のように細々と続いていくと思いますが、大きく発展するのは難しいと感じます。
宗教とはもともと「目に見えないものを信じる」という要素もあるのですが、どうも人間は目に見えないものを信じることが苦手なようです。
仏教もはじまった当初は「お経」も「仏像」も「僧侶」も「お寺」も様々な「儀式」もありませんでした。
でも、それではやっぱり立ち行かなかったようです・・・。
なので「お経」を作り、「お寺」も「仏像」も作り、「儀式」も作り、儀式を行う専門職の「僧侶」も作りました。
ここまでしないと人はなかなか信じてくれないのです。
そしてこれらを作り、維持発展させるには「権力の庇護」が必要だったというわけですね。
『必要は発明の母』とはよく言ったものです。
そしてここに「政教分離の原則」を掲げる現代民主主義国の難しさがあると思います。
「政教分離の原則」をめぐって争われた裁判の判例でも『国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近いものである』と謳われています。
なので「何を」「どこまで」の線引きが重要になってきます。
宗教法人法にある通り『法令に違反して著しく「公共の福祉」を害すると明らかに認められる行為をした』宗教団体は保護する必要はないと思いますが、かといって弾圧していいわけでもありません。
また『著しく』『明らかに認められる』などの留意があるので、やはり「宗教は必要なものなのであり手厚く保護すべき」というのが法の趣旨だと思います。
【3.宗教家は黙らない】
先ほどは『宗教は権力に保護されている』と語りましたが、同時に宗教(宗教家)はよく権力から「弾圧」もされます。
保護されることもあれば、弾圧されることもある。
それはなぜなのか?
簡単に言えば「権力に都合のよい宗教」は保護され、「権力に都合の悪い宗教(宗教家)」は弾圧されます。
では、なぜ権力に都合の悪い宗教家が存在するのか?
これも簡単に言えば、宗教家は「黙らない」からです。
例え権力に目をつけられようと、多くの人に嫌われようと、経済的に困窮しようと、そして身体に危害を加えられようと、自らの「宗教的信念」において「正しいこと」を語り続けます。
それが神仏が彼らに与えた「使命」だからです。
もちろん全員がそうではありませんが、宗教的信念をもたない人よりは「黙らない」ことが多いと感じます。
逆に権力者はなぜ宗教家を黙らせたいのか?
それは「黙らない宗教家」が民衆の「希望」となり、勇気を持った民衆が自分たちに立ち向かってくることを恐れるからです。
1)「黙らない宗教家」の例
この「黙らない(黙らせられない)宗教家」の典型を第264ローマ教皇「ヨハネ・パウロ2世」に見ることができます。
東欧「ポーランド」出身のヨハネ・パウロ2世は、ポーランドをはじめとする「東欧民主化運動」の象徴的存在でした。
ヨハネ・パウロ2世は1978年にローマ教皇に選出され、翌1979年に故国ポーランドを訪問します。
ポーランドは国民の98%がカトリック信者というキリスト教国、地元出身の教皇の訪問は熱狂的に迎えられます。
そこで教皇はポーランドの民衆に『冷戦は永遠に続く訳ではない、やがて聖霊がやってきて事態を解放するだろう』そして『恐れるな』と語り掛けます。
この教皇の言葉にポーランドの民衆は奮い立ちます。
そのなかの一人が「レフ・ワレサ」、造船所に務める労働者であり労働組合の一員でした。
当時のポーランドは社会主義国で「信教の自由」や「労働者の権利」は一応守られていましたが、政府への不満を公に示すことはできませんでした。
特に労働組合は政府主導の「官営組合」しかなく、労働者の権利の一つである「ストライキ」などは考えられませんでした。
しかしワレサは生活に困窮する労働者をまとめてストライキを実施。
そして政府主導でない独立自主管理労働組合「連帯」を結成して議長に就任し、政府に立ち向かいます。
政府は「賃上げ」で懐柔しようとしますが連帯は「民主化」を掲げて譲らす、ストは長期化します。
またポーランドを実質的に支配していた「ソ連」は、ポーランド国境で大規模な軍事演習を行いポーランド政府を威圧します。
困ったポーランド政府は「戒厳令」を発令して連帯を非合法化、ワレサ議長などの連帯指導者を逮捕してストを強制的に解散させます。
しかしワレサ議長は黙りません、バチカンや西側諸国に支持を訴えかけます。
教皇もこれに応えて「労働者達の権利」を擁護する宣言を行います。
そしてポーランド国内のカトリック教会のネットワークを利用して物心両面から連帯を支援します。
堅い宗教的信念を持ち、カトリック教徒に対する絶対的な権威を持ち、世界的な知名度とネットワークを持ち、バチカンという巨大な「要塞」に守られた教皇ヨハネ・パウロ2世は、ソ連や東欧の権力者にとっては「黙らない、黙らせられない」最悪の存在でした。
彼らは教皇を「黙らせる」ための最終手段をとります。
そう「暗殺」です。
教皇ヨハネ・パウロ2世は1981年5月に銃撃されます、犯人はソ連や東欧諸国から支援を受けた「共産主義者」だったと言われています。
しかし奇跡的に内臓の損傷を免れ、教皇は一命を取り留めました。
教皇はこの事件をも「利用」して権威を高めます。
教皇は1983年に再度ポーランドを訪問、政府に対して基本的人権の回復を強く迫り、民衆には「希望」と「連帯」を語ります。
そしてヤスナ・グラ修道院にある「黒い聖母像」に銃撃された際に穴の開いた帯を捧げます。
ここまで行くと完全に「政治的パフォーマンス」ですね。
このことでポーランド民衆はますます奮い立ち、政府の弾圧にも屈せず連帯を支持します。
そしてソ連の国力が衰えた1988年、ポーランド政府はワレサ議長と会談し「ポーランド民主化」について話し合う「円卓会議」の開催を決定。
翌1989年2月に円卓会議が開催され、「連帯の合法化」「大統領制の導入」「自由選挙の実施」などが決定されました。
この「波」は東欧全体に広がります。
そして1991年12月「ソビエト社会主義共和国連邦」に所属する全ての国が独立し、70余年続いた超大国「ソ連」が崩壊します。
「黙らなかった」宗教家が世界を大きく変えた瞬間でした。
2)「黙ってしまった宗教家」の例
もちろん「黙ってしまった」宗教家も数多く存在します。
有名な人としては、「ニーメラーの警句」を残したキリスト教ルター派の牧師「マルティン・ニーメラー」がいます。
彼はナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)が台頭してきた当初は支持していましたが、その人種政策に疑問を持ち、後に反ナチスに転向します。
しかし1937年7月にナチス政権よって逮捕され、終戦直前の1945年4月まで拘束されました。
その際の苦い経験を纏めたのが「ニーメラーの警句」だと言われています。
第2次世界大戦前の日本では、プロテスタント33教派が合同し「日本基督教団」を結成します。
合同したほうが政府が宗教団体を「管理統制」する上で都合がよかったからです。
日本基督教団は日本の「国体」を支持し、戦時体制に協力します。
そして教団の一部(ホーリネス系教会)が政府に弾圧された際も、政府を支持しホーリネス系教会を切り捨てました。
ここまで「権力」に都合が良ければ保護されますよね。
戦後もGHQ(連合国軍総司令部)による占領政策に有益と判断され、戦争責任を免除されて資金提供まで受けています。
3)大本弾圧事件
戦前の日本における有名な宗教弾圧事件といえば、1935年(昭和10年)の「大本弾圧事件」ですね。
神道系の新宗教「大本教(皇道大本)」は、国家による統制(教派神道)に加わらず国家神道とは別の教理を持ち終末論的な思想を唱える、国家神道よりも「右翼的」な新宗教でした。
政治や軍部とも結びついた大本教は、愛国的な主張を行い政府を批判します。
1932年(昭和7年)に「5.15事件」が発生しているため、政府は宗教(思想)と政治・軍部の結びつきを強く警戒していました。
政府は「治安維持法」を適用して大本教本部を強制捜査、教祖など1,000人近くの信者が逮捕され、教団施設は破壊されます。
そして新聞等のマスコミは大本教を「邪教」「国賊」と書き立て多くの信者が離れます。
こうして大本教はその影響力を失い、政府は宗教の「全面的統制」を進め他の宗教団体も政府に従うようになります。
ここで気を付けなくてはいけないのは『「邪教」なら「弾圧」しても良いのか?』という問題ですね。
戦後日本の宗教行政は、国家による宗教の全面統制をやめ「邪教だから解散させる」という方針をとりませんでした。
現在の宗教法人法81条に基づく解散命令は『法令に違反して「著しく」公共の福祉を害すると「明らかに認められる」行為をした』ときに行われます。
決して「教義が悪いから(邪教だから)」ではありません。
また宗教法人法81条は「会社法824条(会社の解散命令)」と同様の趣旨であるという判例もあります。
会社の解散命令では『法人格を剥奪する以外の方法により公益が確保できる場合、例えば、業務執行取締役等の解任、損害賠償、刑罰、営業停止、
免許の取消し等の代替措置で足りる場合には解散命令は発し得ない』という方針があります。
つまり「公共の福祉を害するからいきなり解散」とはならなくて、「改善できる手段が確保できいれば解散しなくてもいい」わけですね。
これは戦前の大本弾圧事件の反省からきていると思います。
因みに大本弾圧事件の顛末を記した「大本襲撃」は弁護士会の「オススメの本」として取り上げられています。
今この時期にこそ読み返していただきたいですね。
【4.上からのファシズム、下からのファシズム】
戦後日本の「政治と宗教の問題(政教分離問題)」の大半は「靖国神社問題」であったと感じます。
なぜ靖国神社問題がこれだけ大きな問題となったのか?
これはやはり「国家神道の復活」を連想させるからでしょうね。
戦後日本を代表する「進歩的知識人」で政治思想史家の「丸山眞男(まるやままさお)」氏は、戦前の日本の体制を「天皇制ファシズム」であったと指摘しています。
そしてイタリアやドイツは大衆運動から出発した「下からのファシズム」であるのに対して、日本は「上からのファシズム」であると指摘します。
戦前の日本では政治家、官僚(軍人)、財閥らが天皇を「神輿」として担いで国民を纏め上げ、無責任な「なあなあ」体質のままで場当たり的な戦争に突き進んだと批判しました。
国家神道は国民の「拠り所」として天皇制ファシズムに寄与しました。
そして国家による宗教の統制(弾圧)は国家神道を確立するため、そして「宗教家を黙らせる」ために欠かせない手段でした。
その効果は戦前の日本基督教団を見れば明らかだと思います。
【5.結論 日本に民主主義は根付いた!(のかな?)】
1)「戦後民主主義」の勝利
第二次世界大戦後の日本は天皇制ファシズムの復活に神経を尖らせ、「日本国憲法」をはじめとする何重もの「プロテクト」を張り巡らせてきたと感じます。
記事の冒頭で紹介した『各宗教団体の「自主性」を極力尊重し、行政の裁量を除く』という宗教行政の方針も、そのプロテクトの一つだと思います。
宗教団体を「国家が管理」すれば、それはやがて「国家による統制」につながると考えたのでしょう。
戦後日本の宗教行政において、最大の「リスク」は「国家神道の復活」だったと思います。
このリスクは「非常に大きい」と評価されたため、とにかく「回避」することを考えたのでしょう。
理論上、靖国神社も含めて「全ての宗教団体を国家が適切に管理する」方法もあり得ますが、戦前の「神社非宗教論」のように別の神社(宗教団体)を「宗教とは別枠」として扱われると宗教行政では手も足も出なくなります。
そして他の宗教団体への「管理」が「統制」に変化して、多くの宗教家が「黙らさられる」リスクが顕在化します。
それならばいっそのこと「管理は最小限」に留める方が安全という考えがあったのかもしれません。
・宗教団体の管理は最小限に留め、各団体の自主性に任せる。
・靖国神社に対しては、わずかでも「優遇」する動きがあれば「社会問題化」して優遇を防ぐ。
・その他の宗教団体が起こす問題はリスクは小さいため、問題が発生する都度、刑法や民法等で個別に対処する。
これが戦後の日本社会が取った「国家神道の復活」そして「天皇制ファシズムの復活」への対応策だったと感じます。
しかし「オウム真理教事件」以降、他の宗教団体が起こす問題も大きなリスクになり得ると認識されはじめました。
それに対して国家神道復活の可能性は小さくなり、もはや多くの人がリアリティを感じない「お話し」になってしまいました。
そのため「国家神道の復活」より「他の宗教団体が起こす問題」の方が相対的に「リスクが大きい」と社会全体で認識されていると感じます。
そして今回の「旧統一教会問題」で、日本の宗教行政は「宗教団体を国家が適切に管理する」方向に舵を切ったと感じます。
これはある意味「戦後民主主義」の勝利かもしれませんね。
戦前の体制「天皇制ファシズム」を否定すべく生まれた戦後民主主義は、その目的を果たして天皇制ファシズムの復活はもはや考えられなくなった。
なので『国家に宗教団体の管理を任せても大丈夫、我々が民主主義で代表を選んだ政府は、適切に「権力」を行使して管理してくれる』という信頼が多くの人にあるのだと思います。
私は「現在の日本は民主主義が機能している」と考えていますし、政府も「わりと」信頼しています。
それでも一抹の不安は残ります。
それがこの記事を書いた理由です。
2)宗教団体の「適切な管理」とは?
例えば「宗教団体の適切な管理」とはなんでしょうか?
「旧統一教会とその関連団体」をオウム真理教のように「新法」を作って別枠で管理するのでなく、現行の宗教法人法の枠内で管理するのなら、他の宗教団体も旧統一教会と同じ扱いをする必要があります。
それはつまり「毎年全ての宗教法人について民事訴訟を含めて何件訴訟を抱えているか調査し、多くの訴訟を抱えていれば質問権を行使し、問題があれば解散命令を請求する」ことを意味します。
日本国憲法14条に基づき、行政には「平等原則」が適用されるからです。
因みに2020年末現在の日本の宗教法人の数は「約18万法人」です。
最低でも文部科学省所轄の「約1,100法人」については行う必要があるでしょうね。
また質問権行使の基準となる訴訟件数はどのぐらいでしょうか?
それは単年度のみの件数でしょうか?
過去に遡って適用するなら何年前まで遡るのでしょうか?
それとも旧統一教会のように「大きな社会問題」として認識されたら管理するのでしょうか?
これなら管理は比較的容易になりますが、大きな社会問題と認識されるまでは管理しないことになります。
それは「適切な管理」と呼べるのでしょうか?
この辺りの議論を具体的に詰めないと適切な管理は難しいと感じます。
そして適切な管理の具体像を固めた上で、「管理に必要な体制」を構築する必要があります。
おそらく現在のように「文化庁」の一部署が管理を担当とするのではなく、管理を専門とする「宗教庁」設立の必要性を感じます。
名前は日本の伝統に則って「寺社奉行」の方ががいいかもしれませんね。
【6.おまけ】
今回の記事を書くにあたって、以前勉強したキリスト教の知識が役に立ちました。
私は自分の聖書も持っていますし、キリスト教会に出入りして牧師さんや信徒の方々と話したこともあります。
また「聖歌隊」に入って歌ったこともありました。
キリスト教は西洋の「思想」「文化」の源となり、キリスト教がモチーフの小説や映画なども多々あります。
また「人権思想」もキリスト教由来ですね。
キリスト教の知識があれば「天賦人権説」なども理解が早いと思います。
『なぜ人間は生まれながらに自由・平等で、幸せを求める権利があるのか?』
『なせその権利は侵すことのできない永久の権利なのか?』
これらの問いにはキリスト教なら比較的容易に答えられます。
『神が人間をそのように作ったから』
『神が与えたものを人間が奪うことはできないから』
このように宗教は信者だけのものではなく、多くの人の「思想・信条」に影響を与えるものです。
それ故、私は多くの宗教および宗教家・信者をリスペクトしています。