見出し画像

日本生まれだけど日本人じゃない。在日コリアンである私が「何者かであること」をやめようと思った話

みなさん、こんにちは。
2020年3月からTwitterを始め、フォローしてくださる方も少しずつ増えている中で、自己紹介となるような文をnoteにまとめられたらなと思い、今これを書いています。
きっかけは同僚からの一言です。「キムさんのこと知りたいんだけど、聞きにくい雰囲気あるよ」と言われたこと。本名を名乗っていることで「私が何者であるのか、隠していないからどんどん聞いてほしい」と声のないアピールをしていたつもりだけど、周りの人は「聞いちゃいけないのかな?」と遠慮しているのかもしれない、と気付いたためです。
ただ、タイトルにも書いたように、私は今「何者かであること」をやめようとしています。何者かを伝えたいための文なのに、矛盾していますね(笑)。そんな矛盾もまるごと受け止めていただき、「この人今転換期にいるんだな」と見守っていただけると幸いです。

出生地は名古屋、本籍は朝鮮

私は名古屋生まれ名古屋育ち、生粋の名古屋っ子ですが、ルーツは朝鮮半島にあります。在日3世の父と、在日2世の母のもとで生まれました。曽祖父が今から100年ほど前(日本の植民地時代)、朝鮮半島の慶尚南道から長崎県の対馬に移ってきたことが、今の私につながっています。
私たちのように日本の終戦前に渡日してきた人・その子孫たち、いわゆる「オールドカマー」と呼ばれる人たちは、国籍の問題が複雑です。西成区のHPが比較的わかりやすくまとめてくれていますので、興味のある方は読んでみてください。
簡単に説明しますと…戦後日本政府は朝鮮半島出身者に「朝鮮」という符号を与えました。「朝鮮」という国は当時すでに存在しなかったので、「国籍」ではなく「符号」という扱い。要は「無国籍者」です。その後、日本で生きることを選択した在日コリアンは「朝鮮」から「韓国籍」に変えた人、「日本」に帰化した人、分断前の朝鮮半島を忘れないでいようとする「朝鮮」の人、大きくはこの3パターンにわかれます。
私はまさに「朝鮮」の人です。日本国政府が発行する「特別永住者証明書」を持っており、「無国籍」なのでパスポートがありません。

エスカレーター式民族教育を受けて育つ

TOPの写真は、1歳の誕生日に撮影したもの。民族衣装を着て、お祝いしてもらっています。生活はどうだったのかというと、日本とコリアが半々な感じ。日常会話は日本語だけど、食卓には韓国料理が並ぶ、そういったイメージです。ただ、近所の子と違ったのは、幼稚園から小学校、中学高校、そして大学まで、ストレートに朝鮮学校で民族教育を受けてきたということ。
朝鮮学校とは、在日コリアンの子どもたちのために、言葉や自国の歴史、文化などを教える学校。カリキュラムは日本の教育とほぼ同じですが、日本国では一条校として認められていないため、各種学校の扱いです。


本来教育とは、子どもたちが自分の可能性を広げるために、安心して学べる場でなければならないと、私は考えます。ところが朝鮮学校は、分断された南北朝鮮の状況、日本と朝鮮半島との関係などによって、決して穏やかな学び舎ではなかったように思います。(なぜかにつながる話を、ウーマンラッシュアワーの村本さんが朝鮮学校についてnoteに書いてくれています。子どもの権利条約第30条についても日本のみなさんに知っていただけると嬉しいです。)

しかしそのような中でも、同胞との出会いや、自分のルーツについて知ることができたこと、在日コリアンとしてのアイデンティティを確立できたことは、民族教育によって得られたものだと、改めて感謝しています。

狭い世界で「守る」ことばかり考えてきた

大学卒業後は民族学校で教員をし、同じ在日コリアンの男性と結婚。20代までは在日のコミュニティーの中だけで生きてきたと言っても過言ではありません。びっくりするかもしれませんが、日本人(だけでなく他の国も同様)のお友達もほとんどいなかったんです(笑)。
現在日本に住む朝鮮・韓国人は約47万人。日本社会のマイノリティではありますが、コミュニティのネットワークは狭いがゆえに強いんです。子どもの頃から「マイノリティだからこそ、権利を守るために主張をしなければならない」と教えられてきた影響もあり、無条件に「守る」ことが私の使命かのように考えて生きてきました。
「私のアイデンティティを守る」
「在日コリアンのコミュニティーを守る」
「民族教育を守る」などなど。

これまで培ってきたアイデンティティをしっかり守らなければ、少数派である私たちはマジョリティの中において「何者であるのか」の証明が難しくなる、そう思っていました。
見た目も話す言葉も日本人だけど「日本人」じゃない。かといって本国に行ったらネイティブではないからと線引きをされる。宙ぶらりん。そんな中途半端な状態であることを知られたくないために、私が何者かであることを常に証明し続けなければならないと、肩ひじを張って生きてきたように思います。(芯が強そうに見える、しっかりしてそうに見えるは、このあたりの意識で形成されたのではないかと分析)

レッテル好きな迷子のレンジャー

子どもを幼稚園に送るようになり、今勤めている株式会社はたらクリエイトで仕事をするようになってから、一気に日本の人たちとの関わりを持つようになります。「あの人、私たちと違うんだ」と、冷ややかな目で見られるのではないかという不安を抱えながらも、「私、在日コリアンですけど何か?」と先手を打てば負けることはないだろうと(笑)、変な闘争心を燃やしながら飛び込んでいきました。

飛び込んでみて感じたのですが、意外とみんな気にしていないんです。私が「何者であるか」なんてことは。何をそんなにこだわって、守ろうとしてきたのだろうと、肩透かしを食らった気分でした。

むしろ「在日コリアンだからみんなと違う」というレッテルを積極的に貼ろうとしていたのは、周りではなく自分自身だったのかもしれません。おそらくそれは自信のなさを隠すためで、自分でレッテルを貼ることで言い訳を作りたかったのでしょう。「在日コリアンだから仕方ない」「民族学校通ってきたから仕方ない」などなど。

思えば私はいろんなレッテル(ラベル)を貼りたがっていた傾向にありました。「コリアンだから」に飽き足らず、「長女だから」「女性だから」「母親だから」などなど。「〇〇だから」の後には「~べき」がセットになりやすく、私はいつのまにか「べき論」で武装した目的迷子のレンジャーになっていました。

そして「何者かであること」をやめた

自分の思考のクセに気付けたのは、「自分と向き合う時間」を多くとるようになったためです。上司との1on1や、社内コーチ、同僚とのディスカッションを通して、私の思考のクセが原体験に紐づいているなと認識できました。
また、弊社では「どうありたいのか」「ありたい姿は何か」をベースに自分を語る機会が多いのですが、「べき論」で武装していた私はなかなか答えを見つけられずにいたんです。「なぜ自分のありたい姿がわからないのだろう」と何度も何度も問いかけ、思考のクセをはがしたところに、ようやく見えてきました。

だから私は今、あんなにこだわっていた「何者かであること」をやめようとしています。私が自分に貼ろうとしていたラベルは全部「事実情報」でしかなく、それだけが私を表すものではないと宣言するためです。私自身が「何者か」にこだわる限り、きっと私も周りの人をバイアスのかかった状態で見てしまうことでしょう。「私」は「私」でしかないし、「あなた」は「あなた」でしかない。

割と特殊な生い立ち、経験をしてきたことは間違いがなく、だからこそ言えること、伝えられることもあるかと思っています。「それぞれの違いを認め合い、自分らしく生きられる社会をつくる」を人生のミッションに掲げているのですが、これに基づき、今後も私らしい発信をしていけるとよいなと考えています。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?