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ナンセンス文学の話

調べ物をしていて、ふと私が好きな物語や詩節は所謂 #ナンセンス文学 と呼ばれていると知ったので、覚書です。いくつになっても新しいものに触れるなあ。脳みそが100個あればいいのに。

たとえば不思議の国のアリス、アリスが迷い込んだお茶会で帽子屋に問われる「カラスと机が似ているのはなぜ?」というなぞなぞには答えがない(スペルをもじった言葉遊びだと諸説あるが本当のところはわからない)。泣き喚いた赤ん坊がブタになる、それにもおよそ意味はない。唐突に消えて然るべき存在たちを、アリスも、うさぎも帽子屋も気に留めない。赤子がブタになったところで、誰も驚きはしない。

ナンセンス(non-sense)とは言葉上では意味のないことや馬鹿げたことを指す。

ーーーナンセンス文学が人に感銘を与えるのは、人間が常に何に対しても、場合によってはそれが存在しないところにまで意味を求める生き物だからである

誰が書いたかわからないウィキペディアからの引用を鵜呑みにしていいのかと思いつつも、たしかに答えのないなぞなぞに深〜い…?となにかしらを感じようとする人間の業とか浅はかさを指すんだろうなと感銘を受けた。感銘を受けたがる、こんなところにも。※風刺画も類に入るらしい。なるほどね〜

全ての事象や誰かしらの一挙手一投足に恐れて、意味や価値のないものを毛嫌いしてきた自分が寒くなってきた。知識がないのは罪だ、稚拙で馬鹿であることは至極悪いことだ、とずっと思っていた。勉強してきたのは強迫観念からだと思う。わからないから、と逃げたくなかった。わからないことの方が多いから、わかった気になると安心した。得体の知れないものにこそ心を揺さぶられるのを知っていたからかもしれないな〜

知らなくてもいいのよ、と言ってほしかった。

マザーグースや大好きな作家エドワードゴーリーもその類だと知った。これらを確立した画家・詩人であるエドワードリアの「ナンセンスの絵本」はなにがなんだかまるで意味が分からない。薮より大きな鳥のヒナが一体なんなんだ。知識や倫理観も身につかない不条理で奇天烈な言葉たち。

脳みそが柔らかくなりそうで嬉しい。
これでいいのよ、と言われている気がした。

…でもこれも矛盾しているんだよな。
意味を成そうとしてしまう!ナンセンスだ!
ただの私の自己満足なのにな。

かなりの余談だけど、私が某SNSのプロフィールに書いてある"誰が殺したクックロビン"のフレーズはパタリロのそれからではなく、萩尾望都のポーの一族のある一遍からとってある。元々はマザーグースの詩からだけど、ポーの一族で狂気的に繰り返されるこのシリアスなセリフを魔夜峰央がギャグ漫画に引用したセンスに脱帽。音頭にまでなっちゃったよ。

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「輝く鼻のどんぐ」1800年代に生きた画家兼詩人であるエドワード・リアの残したリメリック(短い詩)に、エドワード・ゴーリーが挿絵を描いた絵本。

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