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事故物件巡りの話【第4話 終の棲家③】

なかなか震えが止まらなかった。
もしかしたら、目の前にある電信柱に激突していたかもしれないという恐怖だけではなく、何かしら強烈な『悪意』を感じたからだ。
事故物件巡りをしていて、初めて感じた『悪意』。
最後の最後に残ったのは希望なんかでは全くなく、純粋な『悪意』だった。

さすがにこれから現場へと引き返す勇気はなかった。
一旦退くべきだと感じた。
戦略的撤退や、逃げるわけやない。
そうゴチて、ハンドルにうなだれた。
軽く考えすぎていた。
油断していた。
だいぶん長い間、路肩に車を止めて息を整えていたら、雨が小降りになってきた。
ようやく震えが収まってきた。
するとだんだんその「悪意」に対しての怒りが湧いてきた。
死んで人様に迷惑かけた上に、今度は生きてるやつも巻き込んでやろうってか?なめるなよ。
ふつふつと湧いてくる怒りを冷静に蓄積しながら、事務所へと戻った。

次の日も中野さんに鍵を一本だけ借りて、現場に向かった。
昨日と同じく、雨が降っていた。
直感的に今日もあかん!という気がして、車から降りずにそのまま帰った。

また次の日、中野さんに鍵を一本だけ借りて、再度現場に向かった。
今日は昨日と違って晴れている。
晴れていたら、こちらが有利だ。
理由はないが、気分の問題だ。
験担ぎで、昨日とは違う道を通って、現地についた。
車の中で呼吸を整える。
気合を入れて車のドアを開けて一歩踏み出した瞬間、またガツンと重いものが乗ってきた。
黒い何かだ。
振り向いてはいけない。
負けてしまう。
ただ、今日はこっちの心構えが違う。
来ることが分かっていれば、抗うことはできる。
来るなら来いよ。いくらでも乗ってこい。
俺は今日は絶対に家に入るからな!!
そう心の中で叫んで一歩踏み出した。
重い。何がこんなに重いのかわからないが、のしかかってくる。
女の子やったらちょっとはダイエットとかやった方がええんとちゃう??
今日は軽口が叩けるくらいには気持ちに余裕があった。
するとどうだろう、昨日と違って足が動く。
一歩一歩、玄関に近づく。
たった5mほどの距離をやっとの思いでたどり着いたとき、ふと、肩が軽くなった。
不意に昨日嗅いだ甘い匂いがした。

「あら、いらっしゃい。どうぞどうぞ、中へ。」

姿かたちは見えないものの、誰かが中から呼ぶ声がした。
もちろん聞こえてなどいない。
達成感から来る幻聴やろ。

「昨日とは大違いやないか。笑
 招かれたからには・・入るで。」

そうはっきりと口に出してから、中野さんから預かった鍵をシリンダーに挿れてみた。
長い間使用していないシリンダーにしては鍵はスムーズに奥まで入り、シリンダーのピストンをしっかりグリップしているのがわかった。
すこし鍵を揺さぶってから、手首を優しく捻ると、コトンっという心地よい嗚咽とともに錠が外れた。
10年ぶりの御開帳である。

ここまでは昨日と違って「悪意」が感じられなかったが、用心に越したことはない。
いつも通り、合掌してから家に入った。

まずは匂いを嗅ぐ。先ほど感じた甘い匂いはしない。
ただ10年閉め切った家の匂いとは思えないほど、さらりとしている。
普通、換気をしていない家の空気なんて、吸えたもんじゃない。
濁っていて、何かしらの悪臭を伴っている。
沈んでいて、ねっとりしていて、まとわりついてくる感じ。
そんなヘドロのような嫌な感じがこの家から全くしなかったのだ。
客人を迎えるべく、朝から玄関に水を撒いて、家じゅうの窓を開け放ち、新鮮な空気を満たしてくれていたかのような、澄んだ空気だった。

うちの主力商品が『黒炭の家』やから言うて、さすがに浄化されすぎやろ、と思ったくらい。笑

空気がきれいだったこと以上に奇妙だったのは、中がとても涼しかったことだ。
外はまだ夏の盛り。
車から玄関にたどり着く数歩の間にもどっと汗が吹き出すほどだったが、この家に入ってから汗がピタッと止まっている。
それどころか、汗で濡れている背中が寒いくらいだ。
やっぱりこの家、なんかおかしい・・。
玄関口で靴を履いたまま、二の足を踏んで突っ立っていたら、中からまた声がした、ように思えた。

「いつまでそこに立っていらっしゃるんですか。
 さぁ、どうぞ。外、暑かったですよね。
 麦茶でいいですか?」

いや、声などするわけがない。
さっき鍵を開けたのは俺で、それは10年ぶりのことだったはずだ。

聞こえるはずのない声に促されたかのように靴を脱ぎ、ダイニングだった部屋へと入った。
もちろん用意された麦茶などなく、椅子やテーブル等の家具が何もない部屋が広がっていた。

あかん、ビビり過ぎやろ、と苦笑して、部屋の様子を確認した。
刃傷沙汰が起こったわけでもなく、練炭自殺して、比較的早期に発見されているので汚損もない現場だ。
そうだと言われなければ施設としては問題なく使える。
他の事故物件と同じく、なんの異常もない。
ただ逆に、異常がなさすぎだなと感じた。
違和感があった。いったい何がおかしいのか。。
足元を見て、気づいた。
この家、羽虫が一匹も落ちていない。
いくら弊社が選りをかけて作った高気密の家と言っても、通常、家には穴の一つや二つあって、ほんの2カ月くらいほったらかしにしている物件には絶対に小さな虫が湧く。
それらが全くいなかったのだ。
ただ、これまで事故物件を回りすぎて、多少のことには慣れてしまっていたので、そんなこともあるか、と何枚か写真を撮る。
すぐにデータを確認したが、何も変なのは映ってない。

二階、ちょっとお邪魔しますよーと声をかけた。
当然、返事などない。
二階へとあがった。
リビングと寝室があった部屋に入る。
これまた異常は全く見られない。
写真を何枚か撮る。データ確認。
問題ない。
ほんと何も異常がない。

何も感じないし、何も視えない。
俺に事故させようとしたほどの『悪意』は一体なんだったのか。。
俺の思い込みか。それは失礼しました、やな。苦笑
拍子抜けしながら、二階から一階のダイニングに戻ったその時、

「こちらへどうぞ。立ったままだとお話ししにくいでしょう?ソファへお掛けくださいな。微笑」

また声がした。
いや、するはずがない。

第一、今回は一切「視えない」のだ。
部屋にも異常はないし、異常な存在も視えない。
気配すらしない。
存在しないのだから声など聞こえるはずがない。

俺はダイニングから庭を見渡せる窓へと向かった。
窓には濃いラベンダーの色をしたカーテンが残されていた。
これも変だった。
弊社では通常、空き物件はカーテンなど外す。必ず外す。
残しているとどうしても虫が湧くのもあるし、防犯のためでもある。
空き家だと万が一、中に誰か侵入して居座る可能性があるから、弊社では備え付けのカーテンは付けない決まりだったはずなのにである。
どうもこのカーテンが気になる。
なぜだろう。


「それには触らないで、くださいね。
 ・・そのままにしておいてくださいね。」

また声が聞こえた。
ただ、さっきとは違って、声に苛立ちが視えた。
いや、気のせい気のせい。
このカーテン、いつからあるんだろう。
そう思った瞬間、また甘い匂いがした。
さっき玄関で感じた匂いだ。
妙に鼻腔に残る、甘い匂い。
気づけばさっきから少しずつ濃くなっている。
これはまた、のしかかってくるやつかと警戒した。

あぁ、そうやった、この物件は遺族の要望でカーテンが付けられたままだったんやっけ。中を覗かれたないとか、そんな理由やったな。
田澤の親分が言っていたことを思い出した俺はその時何気なく、

「まぁ、奥さんもそう言うことやし、
 そのままにしておきますね」

と口に出して言ってしまった。
誰もいない空間に向かって。

すると、ようやく視えた。
ダイニングに続く、キッチンがあったであろう部屋の片隅に女性が立っている。
髪が長く、優しい奥さん。

「下手の横好きなんですけど、
 最近ハマってて。。
 味見してくれます?微笑」

また声がした。
手に持つお盆の上には焼き立てのお菓子がいっぱい載っている。
あぁ、さっきから漂っている甘い匂いは、焼き菓子の匂いだったのか。

「焼き菓子まで焼いていてくれたんですか、
 どうもすみません。。」

さっきから俺の口は勝手に思ったことを口に出している。

ここまではっきりと視えることは今までなかった。
それも視え方がいつもと違う。
俺が視えているだけではない。
彼女も俺を見つめている。
今まで視えていた人たちは、俺を見ることはなかった。
彼女は明らかに俺を見つめている。
にこにこと笑みを欠かさず。
逆にこちらが彼女を凝視しようとすると恥ずかしそうに消え、また違う場所に現れては消え、現れては消えを繰り返しているが、ずっと俺のことを気にかけてくれている。
あぁ、これは今の出来事ではないなと気づく。
彼女が昔ここで住んでいたときのことを俺は視ているのか。
俺は客人のようだ。

「すみませんね、お忙しいところお邪魔
 しちゃって。」

「いえいえ、かまいませんよ。
 お客さんが来るの、好きなので。微笑」

するともう一人、背格好の小さなシルエットが浮かび上がってきた。
彼女の子どもだろうか。うちの子と同じくらい。まだ幼稚園くらいだろうか。奥さんの周りにぐるぐる回っている。

「僕、いくつなの?」

そう話しかけると、まだ人見知りする性格なのか、すぐに奥さんの後ろに隠れた。
ママが好きなんだなぁ。

「おっちゃんの娘も同じくらいの女の子
 なんやよー。」

そう話しかけながら、二人を視ていた。
とても幸せそうな、ファンタジーのような光景を、俺は視ていた。
その時不意にチャイムの音が鳴る。
誰か来たようだ。
客人が好きだと言っていたはずの奥さんの顔が不意にゆがんだ。

記憶の残滓のような、そんな光景を目の当たりにしていた俺は不意に、口唇に生暖かいものを感じた。
手で触れると、赤かった。
そして口の中に広がる鉄のような臭い。
気づいたら、けっこうな量の鼻血が出ている。
フローリングの床にもぽとぽとこぼれ落ちていた。

「あ、すいません、奥さん。
 ちょっと鼻血が。。家を汚してすみま」

そこまで口に出して、ふと我に気づく。

俺はさっきからこの空き家の中で誰に話しかけてるんだ?!

ようやく冷静に状況を把握し始めてきた。
この家、やはり・・おかしい!!
そのとき急に頭に殴られたような痛みが走る。
鼻血も止まらない。
目の前の奥さんは・・まだこちらを見ている。
笑みを欠かさず。
笑み?いや、あれは笑みなんてもんじゃない。
こっちを見て、嘲笑っているのだ。

「鼻血を出して苦しんでる客おったら、
 普通ティッシュぐらい出すよなあ!!!
 こっち見んな!!」

怒りを感じた瞬間、またガツンと重い一撃を頭に喰らう。
やばいやばい、これはやばい。

これは視えてるんじゃない、視させられてる。
だから向こうが俺を見つめてるんだ。
頭の痛みは奥底の方からきている。
頭の奥の何かを猛烈に動かされている。
オーバーヒートさせられてる。
呼吸も荒くなってきている。
必死に呼吸しているのに酸素が摂り入れられていないようだ。
さっきまで心地よかった家の空気が急激にそっぽを向いている。
息が吸えない。いや、吸うべき空気がない。
海中で息ができず、必死に浮上して浮上して、浮き上がろうとした瞬間に引き戻されるような絶望感。

目の前が白くなってきた。
これは本当にやばい。
白目を剥くというのはこういうことかと思えるぐらい、痛みが激しく背中が反り返る。
次第に痺れが足から背中、そして身体全身へと襲ってくる。
立っていられなくなって、血で濡れているフローリングに膝をついた。
目の前にラベンダー色のカーテンが見える。
とりあえず、外の空気を吸いたい。息が苦しい。
血でカッターシャツが濡れているが、そんなこと知ったこっちゃない。
俺は這って窓までたどり着いて、カーテンを押し開き、窓を全開にしようとした。頑として開かない。足で押した。開かない。蹴って蹴って蹴りまくった。踵がサッシで潰れる寸前で、派手な音が鳴って、窓が開いた。

外からむわっとした、暑い空気が流れ込んでくる。
当然だ。外は真夏。
暑いんだよ。
暑くていいんだよ。むしろその暑さが心地よかった。
生きている実感が湧いてくる。
息が楽になってくる。流れ続けていた血も止まって、ってあれ。

・・・鼻血など出ていない。

もちろんフローリングも血で汚れてなんかない。
ただ俺の身体が埃まみれになっていただけだ。
ダイニングの中央から窓へと俺が這った跡だけ綺麗に埃がなくなっていた。ここまで這ってきたことは幻ではないらしい。
急に安堵感が身体じゅうに広がっていくと同時に、急激な疲労感が襲ってきた。
もう埃まみれだから、気にせんとこと思って、埃だらけのフローリングの床に目を閉じて寝転がった。
また、窓から熱風に近い風が入ってきたが、逆に心地よかった。

とりあえず、俺は生きている、と。

終の棲家、最終話へと続く

この物語は一部フィクションです。
実在の人物や団体などとは関係ありません。

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