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継続できると嬉しくなっちゃう

小さい頃から絵を描くのが好きで、何を考えることもなく絵を描いていた。
絵を描くのが楽しかったからそこまで「上手さ」にはこだわっていなかったような気がする。そんなこんなで大学生になり、学校の授業やサークル活動をしていると、いつの間にか絵をあまり描かなくなっていた。

2020年に描いたもの。特定の角度からしか描けない

そんな時にやってきたのがコロナ渦。サークル活動もほとんどなくなり、圧倒的に自由な時間が増えた。自由になった時に何をするかは人によって違っていて、今までの日常が変わることに戸惑う人もいれば、新しいことをする時間が増えたことに喜ぶ人もいるだろう。そして私は絵をまた描き始めた。

「絵を描く」といっても、私は大学生だ。小学生の頃みたいに、ただ楽しいと思いながら絵を描くのは少しもったいない気がする。どうせだったら、上手くなれるように絵を描いてみよう、そんなことを考えながら絵を描き始めた。そしてこれが、”何かを上達することを意識”して始めた最初の活動だった。

上達するにはやっぱり継続だろう。だから継続的に活動できるようにするにはどうすればいいのかを調べた。何かを継続的に行うというのは、三日坊主の私にとっては(いや、きっと誰にとっても)かなり難易度の高い行動だ。といっても今の心理学?は凄い。WOOPの法則やIf thenプランニングを使えば「継続的」に絵を描くことはできた。だから最初にざっくりとした目標と立てて、段階的な達成目標みたいなものを考えて、目標を達成するための行動目標も考えて、継続的に絵を描いていた。

でもそこからが問題だ。上達しないのだ。継続的に練習してれば上達できるっしょ、と考えていた私が甘かった。しかも私の場合、『「継続的」に活動できていることが”誇らい”という感情』があったから、もっとたちが悪かったと今になって思う。結局、一年間ちょっとのあいだ継続的に絵を描いていたけれど、これを続けていくことは出来ない、と思ってやめた。

でも、継続的に絵を描いていて気付いたことがある。上達するために大切なことは”継続”ではなく”発見”なんじゃないか?、ということに。それでも継続的に活動することが上達に繋がると思ってしまうのは、継続することによって何かを発見する確率が高くなるからなんじゃないか、と。つまり、「継続」を意識するよりも「発見」を意識する方が上達できるんじゃない?ということに。

これは、「継続的」に活動していると自分を誇らしく感じてしまう私にとってはぴったりの考え方のように感じた。そこから私は「継続的」に絵を描くことはやめて、「自分に足りていないものは何か」をすごく細かいレベルで考えるようになった。背景が描けない、人物が上手く描けない、とかそういうざっくりとしたことではなくて、この角度から見た時の腰の描き方が分からない、首と肩のつながりが分からない、とかすごく細かいことを考えるようになった。すると不思議なもので、そうやって自分に足りていないものを細かいレベルで考えていると新たな発見が意外と見つかる。私はここのバランスが崩れやすいんだな、とか、ここはこういう風に繋がってるのか、とか。ポテチとショートケーキを同時に口に入れたらきっと何を食べているか分からなくなるだろうけど、ポテチはポテチ、ショートケーキはショートケーキで食べると何を食べているか分かるように、一つ一つのできないことを見ていくと、自分に何が足りていないのか分かる、そんな感じだ。

もちろん「どれくらい細かいレベルで考えればいいのか?」というのは今の課題でもあるけれど、とりあえず”出来ないこと”が見つかったらなるべくそれを細分化するように心がけてはいる。これからどれくらい上達できるかは分からないけれど、考えながらやっていくのは楽しい。意識を欠いたまま黙々と練習するよりも、どうすれば上手くなるか考えながら練習していた方が楽しい。たとえ上手くなれなかったとしても。
そんな風に思えるようになったのが自分にとっては一番の成長だと感じるなあ。

2022の絵。ポーズは割と自由に描けるようになった。
2022年の絵。背景とか色も練習したいな。でも、人物の練習ももう少ししたい。




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