07.11

 言葉の真意というのは、どのくらい人と関われば分かることなのだろうか。
 苦しんでいる友人や恋人を見る度に思う。今彼らが発している言葉は「着の身着のままの言葉」なのか、それとも「裏返って出てきた言葉」なのか。そんなのが全然分からないから、対応が難しいと思う。
 心配になるし、何か吐き出せるものを吐き出すことが出来たら……と思い声をかけるけれど、それがかえって苦しめることになることもある。けれど、それを見抜くには高等な技術と知識がいるんじゃないか、なんて。
 友人たちと私はTwitterで繋がっている。ので、病んで苦しんでいる時はツイートで彼らの言葉を聞く。Twitterに投稿される内容は、“私”ではなく“みんな”に見られることを前提としている言葉だ。それを過信する訳には行かない、が……私が得られる言葉の大半は“みんな向けの言葉”なのだ。一旦はそれを信じてみるしかないのかもしれない。
 例えば、「死にたい」だとか、「誰も関わってこないで」だとか、そんな真意は分からない言葉たち。信じてもいけないし、否定してもいけない。そんな言葉たちだけしか、彼らからの情報がない。話を聞ければもっと情報を得られるかもしれないが…………

 ここまで考えて、他人の気持ちというのに振り回されていることに気付いた。そうだ、彼らの気持ちは彼らの気持ちであって、私の気持ちでは無い。ケアは必要かもしれないが、私は気にかける程度で良いと言うこと……忘れてはならないかもしれない。
 そんなことを思った、今日でした

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