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できない自分を認めるほど、楽になれた。

最近よく思う、

私はずっと勝ち負けの世界にいた。


「きいーーー悔しい!」
「やった勝った」

そんな気持ちでよく、
魂を震わせていた。


楽しかった、し
頑張る意欲になっていたのも事実。



自分が劣っていると思えば、
「絶対追いついてやる!」って気持ちで
コツコツすることもできた。


でも、もうそんなやり方に疲れた。


だってそれだといつまで経ったって
自分が描く理想には追いつかないし、
できないものが増幅されてゆく。


勝った負けたの世界で得られるものは
虚無感。


私、何やってたんだっけ。


この始まりは、いつも通り、
「お母さん」。


お母さんみたいになりたくない!
お母さんみたいになってたまるか!


その気持ち一筋で、
20代を生き抜いた。


逆に言うと、その気持ちがなければ
東京でアパレルしようなんて思わなかったし、
ちゃんとした人と結婚しようなんて
思わなかった。
もしかしたら起業も。



そんな生き方を、ついに
”辞めたい”
と望みが出たのは、


”今まで自分が頑張って生きてきた”
ことを心底認められたから。



どんなに具合が悪くても人にはほとんど
言えなかった。
1人で耐えるしかわからなかった。

1人でいれる状態じゃないのに、
誰かに近くにいてほしいの一言が
言えなかった。

ずっと自分がここに存在していいのか
人の顔色伺って生きてた。


そのぜーーーーんぶが、
「もういいか。」って
ふと肩の力が抜けたときに、
負けよう。って思った。


お母さんにも負けてる。
友達にも負けてる。
妹にも負けてる。

みんなに負けてる。





でも、私の価値は変わらない。


今はその場所にいる。


現実的に、あんまり何も
自分が納得できるような結果を
積み上げていないこと。
(社会出て働いたのも総計3年ぐらいだし)

自分が望んだような仕事が
できていない現状も、
(全部ベストとわかっていても)


それが今の私だなって静かに
認められたときに、
もう一度、コツコツ積み上げよう。
今度こそ、自分が願ってる未来のために
続けてみよう。

誰かに勝つためじゃなくて。
そう感じた。


きっと他にも、たくさんある。
まだまだそう思うことがある。


でもいつも始まりは、
”それを辞めたい”
と望むところから始まるのだ。








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