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そうか、明日はセンター試験か。天気予報を見て、ようやく気付いた。それと同時に、いろいろなことを思い出した。2次試験に向けて、配分の大きい古文(特に和歌)の勉強をしながら「こんな知識、人生に必要?」と思ったこと、現代文の「『○○について、何文字以上何文字以下で回答せよ』って設問って何なの?何がしたいの?」と思っていたこと、高校生のころは国家公務員になりたいと思っていたこと…。あのころはこんなことを思っていたのに、今では正反対のことを思っていたり、別の道を進んでいたりするから人生は分からないものである。

今となっては国家公務員になろうと思っていたことの方が衝撃だが、高校生のころは、国家公務員になって女性が長く活躍できる環境を整えたいと法学部を志望していた。公務員志望のはずだったのに、外資系ITコンサルに新卒入社しているなんて、そのころの私はまさか想像もしていなかった(入社理由は、「ITを活用して、女性がその人の能力を発揮し続けられる仕組みを作りたいと思ったから」というものだから根幹は変わらないはずだが、それでも想定外だ)。

それに、社会人になってから、文章を書くにあたり、枕草子の原文と現代語訳を読んだり、日本語の助詞や時制を調べたりするとも思っていなかった。

小学生のころから活字を読むのは好きだったが、国語は特に好きでもなかった(嫌いでもなかったが)。読書感想文は嫌々書いていたし、この文章を要約せよとか、この設問に何文字以内で答えよとか面倒くさいな、と思っていた。読めば分かるじゃん、わざわざそんなの答える必要ある?みたいな。でも、今思うのは「自分の考えを表現する力大事!要約力大事!的確な回答大事!国語めちゃくちゃ大事!」であるから、手のひら返しもはなはだしいものである。

私が思うに、目標に適った大学への進学はキャリアの定石(まさに王道)ではあるが、あくまでサンプルのようなものだ。将来目指すところのために理想的な道があったとしても、それはただのメジャーなサンプルだから、その道が塞がれて、他の細い道を通らざるを得なくなったって、コンパスさえ見失わなければ、目的地には辿り着けると思うのだ。想定外の道を歩くときでも、それまでに得た知識や経験はきっと支えになってくれるだろう。

大学受験は、確かに人生の中で大きなイベントではあるが、希望通りの大学に入ったって、思わぬ道に進んでしまったりする。運よく高校、大学と想定通りの道を歩いてきた私でさえ、大学入学時には存在すら知らなかった、思わぬキャリアを描いているのだから。結局のところ、未来のことなんて分からないのだ。だったら逆にもう安心して、自分のコンパスと知識と経験だけしっかりと持ったら、固くならずにどーんとぶつかってほしい。センター試験を前に、(誰に対してか分からないが)そんなことを思ったりしている。

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