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山科四ノ宮の諸羽神社

京都山科の毘沙門堂を参拝の後、諸羽もろは神社を参拝。
諸羽神社はJR山科駅の東方、京阪線では山科駅と四ノ宮駅のほぼ中間の北方、山科区四ノ宮にある。
主祭神は天児屋根命あめのこやねのみこと天太玉命あめのふとだまのみこと

清和天皇の貞観四年(862)に社殿が造営され|両羽大明神と称したのが神社としての始まり。
天孫降臨で瓊瓊杵尊の左右に従った二柱の神なので、両羽と称した。

それから後柏原天皇の永正年間(1504〜1521)に、八幡宮、伊弉諾命、素戔嗚命、若宮八幡宮を合祀し合計6柱の神様を祀るようになったので、両羽を諸羽と改称。
後柏原天皇の時代は応仁の乱のあとなので、合祀も乱後の情勢が反映されているのかもしれない。

神社のある地名、四ノ宮は、この諸羽神社が山科郷の四番目の宮だからという説がある。
また、このあたりは仁明天皇の第四皇子である人康さねやす親王の山荘があったところから四ノ宮と呼ばれるようになったともいう。

人康親王は『伊勢物語』第七十八段に出てくる「山科の禅師の親王」だと言われる。親王は貞観元年に病気を理由に出家、この山科に隠棲したという。
ならば、貞観四年の社殿造営には人康親王も関係があったかもしれない。

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