![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55247386/rectangle_large_type_2_7eb0df431f9c485e4bbcdf8e95a704bb.png?width=800)
JW15 吉備への道
【神武東征編】エピソード15 吉備への道
宇津彦命(うつひこ・のみこと)を水先案内人に迎えた、狭野尊(さの・のみこと。以下、サノ)一行は、海の難所である芸予海峡(げいよかいきょう)を進んでいた。
目指すは、吉備国(きび・のくに:今の広島県東部と岡山県)である。
![現在地](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55237221/picture_pc_b74dc1196bcda3eca715a6b4c27f1fcd.png?width=800)
そんな時、狭野尊(さの・のみこと)一行は、ある島に辿り着いた。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55237716/picture_pc_18545f039e26d02a40ce45e2ee5a4dd1.png?width=800)
ここで、サノの息子、手研耳命(たぎしみみ・のみこと)(以下、タギシ)と、サノの妃、興世姫(おきよひめ)が解説を始めた。
タギシ「海の難所ということもあり、旅の安全を祈るため、この島に立ち寄ったんでしょうな。」
興世(おきよ)「その通りです。この地に、斎串(いぐし:玉串のこと)を立てて神を祀ったそうですよ。あとは、伊予二名島(いよのふたなしま)の小千命(おち・のみこと)に会いに行ったのかも・・・。」
タギシ「どういうことです?」
サノ「この島へ行く途中に大三島(おおみしま)があるのじゃ。ここには大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)がある。小千(おち)が治めている地であるゆえ、会いに行った可能性もあるということよ・・・。」
![大三島](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55238052/picture_pc_a8f68f1f8b3eb35fdceddc3e43aad1d5.png?width=800)
![大山祇神社](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55238285/picture_pc_017be5f9dc59171862dcf14e7925e90a.png?width=800)
タギシ「なるほど・・・。」
そこに、話題の人物、小千命(おち・のみこと)(以下、おちやん)がやって来た。
おちやん「呼んだか?」
サノ「おお、おちやん。ついにここまで来たぞ。」
おちやん「ついに来てしもうたか・・・。ちなみに、伊予二名島は四国のことじゃ。」
サノ「補足説明かたじけなし。では、その流れで・・・。」
おちやん「わしも解説に加われ・・ということじゃな?」
サノ「じゃが(そうだ)。とりあえず、我らが立ち寄りし島について、解説を頼む。」
おちやん「島にて斎串を祀ったということで、この地に社が誕生しとるぞ。広島県尾道市(おのみちし)瀬戸田町名荷(せとだちょうみょうが)に鎮座する、生石神社(いくしじんじゃ)じゃ。名荷神社(みょうがじんじゃ)とも呼ばれとるぞ。」
![画像5](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55239499/picture_pc_c27e1146fbe825fbfa07ddc88903fac2.png?width=800)
![画像6](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55239604/picture_pc_4c9d3ce00663ce5d8cecf0903ffad198.png?width=800)
![画像7](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55239707/picture_pc_ccafc4dd541f5dc1268e6f8e0995e067.png?width=800)
![画像8](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55239805/picture_pc_dd96ddfb9bd4b6de1a48dcc2bab51408.png?width=800)
![画像9](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55239905/picture_pc_dfb584a2f33d22939492e2251a0568f0.png?width=800)
![生石神社鳥居](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55239921/picture_pc_dd611158fe220ac7e2f4286f90dfc9da.png?width=800)
![生石神社社殿](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55239952/picture_pc_e9856864b9a00db90b5bc509940fadd5.png?width=800)
その時、小柄な剣根(つるぎね)と息子の夜麻都俾(やまとべ)(以下、ヤマト)が解説に参加してきた。
剣根(つるぎね)「そして時は流れ、いつしか人々は島のことを生口島(いぐちじま)と呼ぶようになったのじゃ。」
ヤマト「生石(いくし)が転訛(てんか)し、生口(いぐち)になったと神社は伝えておりまする。」
![生口島](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55240255/picture_pc_65055e782a8098cf7eb7d47b7003550d.png?width=800)
興世(おきよ)「ちなみに、斎串(いぐし)の『斎』とは『斎む(いむ)』、すなわち『身を清め、穢(けが)れを祓(はら)う』という意味になりまする。」
おちやん「補足説明、痛み入るぞな。」
更に、長兄の彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと)(以下、イツセ)も解説に加わった。
イツセ「生石神社の周辺には、近くに船を泊めたという場所や、サノが使った井戸の跡などの伝承が残っておるので、しばらくの間、滞在したのかもしれぬな。」
タギシ「その後、我々は再び海路に就いた。されど、風波のため航海ができず、近くの島に船を留めることにしたのじゃ。」
![因島へ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55240857/picture_pc_b6aad4bb8b09cae63cb214dc8a635a55.png?width=800)
おちやん「山にて数日、嵐の静まることを天神に祈られたんじゃな?」
タギシ「左様。よってこの島を、斎む(いむ)島と名付けもうした。現在の因島(いんのしま)にござる。」
![因島だ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55241002/picture_pc_56a77f70fdb11b9ab24635e3b85d9c01.png?width=800)
剣根(つるぎね)「停泊した場所は、大浜(おおはま)と言われておる。」
ヤマト「祈った山は、塞崎山(さいさきやま)と伝わっておりまする。」
おちやん「当然のことながら、この地にも社が建てられとるぞ。同市因島大浜町四区に鎮座する斎島神社(いむしまじんじゃ)のことじゃ。」
![斎島神社1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55242350/picture_pc_f9328d6df20ed3ced9c26421e1cc6fd8.png?width=800)
![斎島神社2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55242542/picture_pc_84452d3badf8f18d0476ab429a143c09.png?width=800)
![斎島神社3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55242690/picture_pc_eef67b40d8ef00f2bf51a5d6a5d12455.png?width=800)
![斎島神社4](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55242842/picture_pc_1bd48fab45d7b7f1699c63a425dcd352.png?width=800)
![斎島神社鳥居?](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55243011/picture_pc_8c7308344f7021a7952707c017e0b430.png?width=800)
![斎島神社鳥居](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55243022/picture_pc_293eee0b61f5ea704f3840eee403c613.png?width=800)
![斎島神社拝殿](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55243037/picture_pc_5c93adf26959e707d32264cf73149122.png?width=800)
興世(おきよ)「因島は、吉備国(きび・のくに)の入り口であり、瀬戸内海の潮目の境でもあります。ここから東は、引き潮なら追い潮、満ち潮なら向かい潮となるのです。」
おちやん「補足説明かたじけないぞな。」
剣根(つるぎね)「神社のある大浜も、古くから潮待ちの港で、昭和初期まで、二十から三十艘の船が停泊しては、一斉に出港する光景が見られたそうですぞ。」
ここで、筋肉隆々の日臣命(ひのおみ・のみこと)と剣根の弟、五十手美(いそてみ)(以下、イソ)も解説に入ってきた。
日臣(ひのおみ)「我々はその後、因島から向島(むかいしま)へと北上し、尾道水道(おのみちすいどう)に入ったんやじ。」
イソ「尾道水道とは、向島と本州に挟まれた海域のことじゃ。瀬戸と呼ぶには長すぎるのか、水道と呼ばれておる。」
![向島から尾道水道](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55243530/picture_pc_fe7afdeb4e9595d216eb03f49b80d65c.png?width=800)
タギシ「そこを経由し、我々は、奥の入り江に船を進めた。その入り江が、松永湾(まつながわん)じゃ。」
![松永湾](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55243728/picture_pc_b8d3fabdace3e821d8672a33573e371a.png?width=800)
イツセ「広島県の福山市(ふくやまし)柳津町(やないづちょう)は、我々が柳の木に艫綱(ともづな:船をつなぎ留める綱)をつないだ伝承より生まれた地名っちゃ。」
興世(おきよ)「ちなみに、上陸地点は、現在の貴船荒神社(きふねこうじんじゃ)と伝わっておりまする。」
![画像24](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55244436/picture_pc_8738d7eb8b0a6ecc440a3e80e784648c.png?width=800)
![画像25](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55244637/picture_pc_66644bad3b638b5b452e2ce96e9c7896.png?width=800)
![画像26](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55244885/picture_pc_4b52897ebe32dcf8565e894308269765.png?width=800)
![画像27](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55245058/picture_pc_d0f6a47d5a469c9c74ca88ba84df6ccc.png?width=800)
![画像28](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55245390/picture_pc_ddc1a5f8b4fda5d9f550eecd6a330ee7.png?width=800)
![画像31](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55245955/picture_pc_2175a05f556f7f930d3f657a2fc20855.png?width=800)
![貴船荒神社拝殿](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55245647/picture_pc_5206d69784be58f35d1163c7bb3a90a2.png?width=800)
![画像30](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55245659/picture_pc_ac0a6b1f07cc532eb0b0f3b294c1c6ad.png?width=800)
![吉備への道](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55246858/picture_pc_502887328d22dacb57e50690fef5c0ab.png?width=800)
ヤマト「では、久しぶりに『記紀』の話題を致しましょうぞ。」
タギシ「ヤマト、それはどういうことじゃ?」
ヤマト「実は『日本書紀』も『古事記』も、安芸国(あき・のくに:広島県西部)や吉備国については、ほぼ一行(いちぎょう)の説明で終えているのです。」
おちやん「されど、これだけの伝承があるんは、どういうわけじゃ?」
ヤマト「断言はできませぬが、伝承が多すぎて『記紀』の編者も割愛したのでしょう。」
イツセ「そう考えると、紹介できていない伝承が、まだまだあるのかもしれぬな。」
興世(おきよ)「作者も、新しく分かったら、書き足したいと思っているそうですよ。」
タギシ「ところで、ヤマトよ。なにゆえ、唐突に『記紀』の話を持ち出したのじゃ?」
ヤマト「なぜかと申しますと、そろそろ吉備国の行宮(あんぐう:仮の御所)について、説明をしなければならぬからです。」
タギシ「行宮?」
サノ「じゃが(そうだ)。我々は、紀元前666年3月6日、吉備国に入り、行宮を設けたのじゃ。」
日臣(ひのおみ)「その名も高島宮(たかしま・のみや)っちゃ。」
サノ「じゃが(そうだ)。最後に設けられた行宮であるぞ。」
イソ「あの・・・。少し気になることがあるのですが・・・。」
サノ「なんじゃ?」
イソ「書物に記された滞在期間が違うのは、如何なることにござりまするか?」
サノ「滞在期間か・・・。」
イソ「はい。『日本書紀』では三年とありまするが、『古事記』では八年滞在したと書かれておりまする。今回も滞在期間が異なるのですが、これは、どういうことにござりまするか?」
ここで、博学の家来、天種子命(あまのたね・のみこと)が参加してきた。
天種子(あまのたね)「答えは分からん・・・や。ホンマでっせ。」
イソ「分からぬと?!」
サノ「まあ良いではないか。それよりも、ここに来たという事が大事ぞ。」
ここで三兄の三毛入野命(みけいりの・のみこと)(以下、ミケ)と三代目案内人の宇津彦(うつひこ)が説明を始めた。
ミケ「高島宮については諸説あるっちゃ。」
宇津彦「作者が調べただけでも八つあったそうですね。」
タギシ「えっ?! 八つも!」
ミケ「これは我(われ)の想像やが・・・。我らが立ち寄った、ほとんどの土地が、行宮として語り継がれてるんやないかと思っちょる。」
タギシ「真相は闇の中というわけか・・・。」
サノ「では、次回は、八つの候補地について、語って参ろうぞ。」
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?