世界史人物伝 No.22
クィントゥス・サルウィディエヌス・ルフス
?~紀元前40 秋
姓:ルフス
名:クィントゥス
氏族名:サルウィディエヌス
性別:男
出身地:不明
古代ローマの軍人、政治家。
ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの腹心。
オクタウィアヌス(アウグストゥス)の友人として、カエサル暗殺後のローマ内戦で活躍した。
紀元前45年、ガイウス・ユリウス・カエサルが、ローマで次々と政策を挙げて行く中、ルフスは、オクタウィアヌスやマルクス・ウィプサニウス・アグリッパとともに、ギリシアのアポッロニアに遊学した。
彼らがギリシアに旅立って、4ヶ月が過ぎた紀元前44年3月15日、カエサルが暗殺される。
ルフスは、アグリッパと同様、マケドニア属州の軍団を率いてローマへと進軍するように促したが、オクタウィアヌスは小部隊のみ率いてローマへと赴く。
そこで、オクタウィアヌスがカエサルの後継者となったことを知らされる。
こうしてルフスは、友人オクタウィアヌスの腹心として、政治の表舞台に立つことになった。
紀元前42年、元老院派のセクストゥス・ポンペイウスとレギウムの海戦で戦うが、兵士たちの操船経験が浅かったため、敗北している。
その後、6個軍団を率い、スペインに派遣されたが、紀元前41年、ローマでルキウス・アントニウスによる武装蜂起が起こったため、急遽、イタリアに戻った。
ルキウスの武装蜂起は、兄であるマルクス・アントニウスをエジプトから呼び戻すための行動で、兄マルクスの妻、フルウィアも参加していた。
ルフスたちの進軍を聞き、ルキウスがローマからペルージャに向かうと、これを追撃した。
ルキウスに協力したセンティヌムの街を占領、破壊したのち、ルキウスの立て籠もるペルージャを包囲した。
このとき、マルクス・アントニウス派の将軍たちは、マルクスから明確な指示が出ていなかったため、救援に赴くなどの動きが取れなかったようである。
紀元前40年初頭、ルキウス・アントニウスは、数ヶ月の包囲後、降伏した。
鎮圧後、ガリア総督としてフランスに赴く。
また、騎士階級でありながら、翌年(紀元前39年)の執政官(しっせいかん:コンスル)に指名されるなど、アウグストゥスの腹心として、数々の栄誉を受けた。
ところが、マルクス・アントニウスが、エジプトより進撃してくるに及んで、これに内通してしまう。
この内通は、アウグストゥスとアントニウスが和平条約を結んだあとだったため、アントニウスの手によって、明るみにされてしまった。
ルフスは、元老院で反逆罪として告発され、紀元前40年秋、死刑を宣告された。
歴史学者は、処刑されたか、自殺したと見ている。