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JW579〜611 第三部 第三章 垂仁経綸編

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章ごとに分けてみました。
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2024年5月の記事一覧

JW582 稲を咥えて

【垂仁経綸編】エピソード4 稲を咥えて 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 紀元前3年、皇紀65…

kikuzirou
1か月前
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JW583 神になった真鶴

【垂仁経綸編】エピソード5 神になった真鶴 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 紀元前3年、皇…

kikuzirou
1か月前
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JW584 創建と遷座と

【垂仁経綸編】エピソード6 創建と遷座と 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 紀元前3年、皇紀…

kikuzirou
1か月前
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JW585 ふたたびの真鶴

【垂仁経綸編】エピソード7 ふたたびの真鶴 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 年が明け、紀…

kikuzirou
1か月前
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JW586 倭彦薨去

【垂仁経綸編】エピソード8 倭彦薨去 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 紀元前2年、皇紀659…

kikuzirou
1か月前
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JW587 殉葬の習わし

【垂仁経綸編】エピソード9 殉葬の習わし 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 紀元前2年、皇紀…

kikuzirou
1か月前
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JW588 殉死禁止の詔

【垂仁経綸編】エピソード10 殉死禁止の詔 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 紀元前2年、皇紀659年(垂仁天皇28)11月2日。 垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(以下、イク)の弟、倭彦の墓が完成した。 奈良県橿原市鳥屋町の身狭の桃花鳥坂墓である。 そして、大王の兄弟たち、大后、大連、大夫たちが居並ぶ中、殉葬がおこなわれた。 倭彦に仕えていた、舎人や采女といった者たちが、古墳の周囲に、生きたまま埋められたのである。 当然、そこには、遺族たちの姿があったはずである

JW589 日葉酢媛、逝く

【垂仁経綸編】エピソード11 日葉酢媛、逝く 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 垂仁天皇こと…

kikuzirou
1か月前
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JW590 埴輪誕生

【垂仁経綸編】エピソード12 埴輪誕生 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 西暦3年、皇紀663年…

kikuzirou
1か月前
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JW591 母親が分からない

【垂仁経綸編】エピソード13 母親が分からない 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 西暦3年、…

kikuzirou
1か月前
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JW592 大きな亀

【垂仁経綸編】エピソード14 大きな亀 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 西暦5年、皇紀665年…

kikuzirou
1か月前
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JW593 八百近い池

【垂仁経綸編】エピソード15 八百近い池 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 西暦6年、皇紀666…

kikuzirou
1か月前
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JW594 神になった皇子

【垂仁経綸編】エピソード16 神になった皇子 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 西暦6年、皇…

kikuzirou
1か月前
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JW595 高志で暴れる者

【垂仁経綸編】エピソード17 高志で暴れる者 第十一代天皇、垂仁天皇の御世。 そんなある日のこと・・・。 ここは、纏向珠城宮。 垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(以下、イク)の元に、高志国(現在の北陸地方)から、ある人物が参内していた。 その人物とは、能登国造(現在の石川県北部)となっている、大入杵(以下、リキ)である。 大連や大夫たちが見守る中、「リキ」は、語り始めるのであった。  リキ「大王・・・。久しぶりやなぁ。」  イク「義兄上・・・。お久しぶりです。