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人間に必要なのは、自由か拘束か:ミニマ・モラリア

 いまだ日本の政府は1980年代の新自由主義を信奉しているのだろうか。規制を緩和して、自由化し、民営化すると、競争が激化して、イノベーションが起こり、社会は発展するという。本当か。

  なんでもしてもいいという自由。そのような自由は、逆に人間を苦しめることになる。これが、サルトルのいう自由の刑だ。受験勉強をして大学に入った学生が経験することだ。大学に入れば何でもできると思って、受験勉強に励み、禁欲的な生活を送る。そして、大学に入り、自由に遊びまくる。そうして、何をしていいのかわからない。こうして、再び、この自由を捨てて、拘束を求めて、厳しいゼミに入ろうするものだ。

 私自身は、拘束や規制を悪いものとは思わない。むしろ、それがイノベーションを起こすことが多いとさえ言いたい。明治や大正時代はまだまだ自由な表現は許されていなかった。それゆえ、文学において様々な巧妙な表現が出現したように思える。キリスト教が禁止されたために、巧妙な宗教作品が発明されたように思える。さらに、第1次大戦に敗れ多くの制限を受けたドイツはUボートを開発する。そして、いまSDGsによって企業はもう使いきったと思われた技術が再び利用可能であることを発見しているのである。

 人間とは不思議なもので、神のような自由は人間には合わないのである。むしろ人間にはある程度制限が必要なのであり、それを超えようとする点に人間の本領が発揮されるように思える。

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