見出し画像

24年前のネタで解任?小林賢太郎氏の記事を読んで

小林賢太郎をイスラエルのメディア「Haaretz(ハアレツ)」が擁護したという記事を読んで。
内容は「昔の冗談でディレクターを解任する必要はない」というもの。
おっしゃる通りだと思う。
24年前のネタを今さら蒸し返して糾弾するなんてどうかしてる
小林氏は真摯に謝罪しているし、反省もしている。若いころの行き過ぎた発言なんて誰にでもあるし、それを悔いたりしながら大人になっていくもんじゃないか。やんちゃやってたヤンキー先生なんてのは面白がって見るくせに、五輪ディレクターとなるとムキになって弾劾する。冷静に考えたらおかしいはずなんだけど。

それもSWCにリークしたのは中山防衛副大臣とかいう人なんだそうで。
五輪開催直前に自国民をユダヤに売るような人間が一体何を防衛してくれるのかと思う。

そう言うなら、外国人が原爆をネタにしたら不快じゃないのか?と問う人がいるが、「24年前に」と付け足さなければいけない。昔のことだ。大して不快には思わない。

今や世界的ポップシンガーと認められたフレディ・マーキュリーも、ちょっと前までゲイのシンガーとしてイジり倒されていたし、ハリウッドのコメディ映画では必ずと言っていいほど、ゲイネタで笑わそうとする場面があった。「エクスペンダブルズ2」では東洋人の背の低さをイジる場面があって不快に思ったものだ。

昔のことを蒸し返すなら、ロヒンギャや香港の騒ぎはイギリス人の責任だ。謝罪せい。
もっと遡ってイエスを殺したユダヤ人はキリスト教の敵か。断罪だ。
きりがない。
結局のところ、それを言ったところで何になるんだという話になる。

つまり、今から何をするかが問題なのではないか
より良い世界を作っていこうという意思が大切なのではないかと思うのだ。それは過去の失敗をみんなが責め立ててイジメるような世界ではない。
誰だって間違うし、弱い。だから、失敗を許し、ときにかばい合って改善を目指すような社会がいい。そんな世の中に向かって貢献できればうれしい。

最後に、1947年のエリア・カザンの映画「紳士協定」のご紹介。
アメリカのユダヤ人差別に真っ向からぶつかった力作だ。複雑な差別の構造を多角的に見せつつ、差別と闘う気骨のあるライターを描いている。
自分もちょっとくらいは見習いたいと思いつつ。


楽しくいろいろやってます。ちょっと古めのゲームとか音楽とか映画とか好きです。最近は瞑想が趣味。よろしくお願いします。