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わからなかったこと

我が家の話で恐縮ですが、下の子はなぜかダンスが得意で、
小さなころから「ターンして見せて」というとターンして見せてくれるのでした。
それが何だかきれいなターンなので、よそのママさんも褒めてくれるのでした。

今はアルバイト先で、大きな声を張り上げて「ぷりぷりのエビのチリソース、3割引となっております~」なんて呼び込みをしているらしいです。その姿を見に行きたいのですが、なんせ閉店間際のことなので行けていません。残念。

売れ残ったものが呼び込みで売れると嬉しいらしいのです。


ターンと呼び込みに共通点を感じてしまいます。
相手の要望通りに何かして見せると相手も喜ぶし自分にもリターンがある、ということをどうも彼女は小さかった頃に体得したのでは?

なんて思ってしまったのですが こじつけですかね。

ちょっと嫌でも言われたとおりにやってみせるとリターンがある、それを覚えるのがいいのか悪いのか、わからないところではありますが、いい方向に覚えることができているかも、なんて思います。願望や親ばか込みカモですけど。

というのも子供が小さかった頃、何を指針に子育てをしていいか全くわからず、絵本を読んでみたり、ほめそやしてみたり、今思えば右往左往していました。

否定語を使っちゃいけないんだってーとママ友と話したりもしました。

もっと大きな大元になることを知っていたらきっともっと子育てを楽しむことができたなあと思っています。

そういう思考力と言うか、思考の仕方を知らなかったなあと思っています。


「思考の仕方」はすごく頭のいい人だけが手に入れることができるもの、と思っていたところもありました。

子育てはきっと難しくてみんなこうしてわからないまま進むのだろうと思っていました。
子育てに正解はないとか、いろいろなことが言われていますが、
何を信じていいのかわからず、選択に安心できませんでした。

誰かに相談しても、何となく疑問が残ったままでいい結果が出たという記憶はありません。
子育て当時から、「コーチング」とやらの存在は知っていましたが、自分にはできないことだろうと思っていました。

でも、今はそう思っていません。
コーチングでは「思考の仕方」も上手になってくるからだと思っています。
選択は誰のためのどんな目的のものなのか。それが正解ではなかったときどうしたらいいのか。「思考の仕方」って変な言い方ですが、「思考力」とまでいかないもので賄えるのではないでしょうか。今の「思考力」でどう選択決断実行していくか。失敗した時にどうしたらいいのか、の考え方。多種多様で臨機応変な自分だけのフレームワークづくり。思考力が高まっていかなくても、今持っている思考力でどう対応していくか、それでいいよ、と言ってくれるから。そしてそれでいいよというより、そうでないからあとからこんがらがってくるのだし。


自分の気持ちや考えをクリアにしていくことで、だんだんと自分なりの「思考の仕方」が出来上がります。自分のものなので、等身大で使いやすい。自分のものなので、自分でバージョンアップできる。
「内省」2位としては嬉しくてなりません。

あきらめていたものがあることに気が付き、気が付くことをスタートにかなっていくのは嬉しいです。