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継続を手放す

昨日に引き続き「継続」の話を。

さも継続が得意かのような書き方をしてしまいましたが、
私は「継続してもできるようにならないこと」がたくさんあります。

その一つは料理。短時間にてきぱきと作ることが一向にできません。かなりまじめにごはんを毎日作っているというのに。。。

3位資質の適応性のせいか、〇時までにご飯を作るというのが本当に苦手。
アレンジが下位のせいか、何かを煮込んでいる間に何かをするというのも苦手。
とりあえず食いっぱぐれないようにメイン料理から手を付けます。(壊滅的)
毎日努力しているつもりなのにできるようになりません。いざとなると、いつもそう。

なのでかなり諦めて続けています。ある意味継続してはいるのですが。

しかし、ここは「継続していたらてきぱきとできるようになる」気がしているかというとしていません。できたらいいなぐらいの気持ちです。
そういえば「運動」もできるだけ続けるようにしていますが、かといって「結果」(痩せる)が出ているとは言えません。これも「結果」が出る気があんまりしていません。

そもそも、求めている「結果」がはっきりしていません。

さらに英語もなんとなく英語の番組を見る程度に続けていますが、全く「結果」は出ません。

英語についてはそれこそ「求めている結果」はあいまいです。

ここまで考えてきたら、もう、この際、「求めている結果」がはっきりしていなくて、「すごく好き」なわけではないことは「続けなくてはという圧力」を手放そうと思ってしまいました。

そう、もう私は「料理はてきぱきとは作れない」でいいんじゃないか。てきぱきと作れない前提で他を調整するしかないんじゃないか。
いつかできるかも、とゆるく考えているだけではだんだんと「できない自分」を無意識のうちに責めるようになってしまうんじゃないか。いや、実際責めているじゃないか。それって、エネルギーの無駄遣いなのではないか。

なーんてことを今日は考えていました。

「継続」してできるようになるには、「目的」と「やり方」がすごく大事。そしてそれをサイクルにしてPDCAを回していかなくてはなりません。

ならば「目的」がはっきりしていないことは、ストレスが無駄に膨らまないように、今後は手放そうじゃないか。

手放せないことがあるとしたら、それは何らかの目的があるはずなので、その目的をよくよく自分の心に確認してみようじゃないか。

でも確認したら今度は「目的」と「やり方」がはっきりしちゃったりして。

そうなってくると堂々巡りな気がしますが、これがまさに「もやもやを解消する」というやつですね。