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繋げる想い

ずっと変わらない…と思っていましたが同じ状況は何年も続きません。最近特に思う事ですが、うちも今秋で50歳を迎え人生の折り返し地点?を迎えます。
 ご贔屓さんらもほぼ亡くなり屋形関係者も皆亡くなりました。うちが奈良に修行に来た時は、皆さん何歳だったんだろう。今の私ぐらいかもう少し若かったはず。
 こんな事がありました。うちが屋形に帰るまでたとえ夜中でも帳場で待っていてくれた中村席のおかあちゃん。まあ屋形なんだから当たり前と言えばそうなのかもしれませんが、屋形の子らには怒った事はないんちゃうかなと思うぐらい優しいひとでした。
 あれは真冬で20歳を迎え夜遅くに帰り、酔っ払いの私。舞妓の衣装は脱ぎ肌着でヒーターの前で倒れるように寝ます。おねえさん方や妹達がそれぞれに自分の着物や長襦袢何かをかけてくれて目が覚めた頃は ずっしり。
「あー寝ちゃった…」一枚ずつ〇〇ねえさん すんまへん。〇〇ちゃんありがと〜。とぶつくさ言いながら、帳場に行くと
「起きたんか〜。お疲れ様」「今日はなあ〇〇になきつい事言うたなあと思うて」
「…えっ?」「こんな歳になってもなあ反省することばかりやで」となんとも言えない表情で照れ臭さそうな童子のような顔でにっこり。
 私は大人になったらそんなん思う事あるんかなあと呑気に思ってましたが50歳を迎える歳になってもまだまだ後悔することも「またしてしもうた」と思うこともあるんだなと。
 そしてこの今の私の年齢ぐらいの時に若かりし私を育ててくれた人達。
 いつも夜は長電話をそれぞれにしていたようで皆が私をこうせなあかんやら、こうしようやら話していてくれてたようです。
 そんな沢山の方らに感謝と生きていらしたら親孝行と言いますか…恩返しがしたかったなと。
 人の命は短いです。元気な間に想いを伝えれたらいいですね。あの人にもこの人にも あの時ああしてあげたらこんな言葉をかけてあげたら良かったのに。
 自分の思いやりのなさを悔やまれます。今頃みんな「やっとわかったんかいな」と話しをしているのかもしれません。その思いを誰につなげればいいんやろか?
 おかあちゃん達の様に、うちは舞子達に接することができてたのだろうか?
 今は無理でも、いつか、もう少し落ち着いたら舞子を奈良に育てて思いを繋がないといけないなと思う菊乃でした。おおきに~

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