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”森のようちえん”をされてる方がジャパンアウトドアリーダーズアワード2022のファイナリストになっていた!


ジャパンアウトドアリーダーズアワード(略して、JOLA)は、アウトドアフィールドで人材育成に尽力する方々に光を当てて支援するものである。2015年から毎年行われており、ファイナリストが選出されている。


2022年のJOLAでファイナリストに選ばれた中の一人に、森のようちえんウィズ・ナチュラ 代表の岡本麻友子さんがいらっしゃる。YouTubeにて、岡本さんともう一人のファイナリストである森さんのプレゼンと対談が聞ける動画があがっていた☟



岡本さんのプレゼン内容はコチラ☟



個人的にはもう一人のファイナリストである森さんのプレゼンも面白く感じた。アクセンチュアというコンサルティング株式会社で働いておられたということもあって、話が上手いなという印象を受けた。説明する際には、論文から学んだ科学的知見であったり、人を引き付ける個人的な体験談を駆使されていて、説得力があった。事業の展開の仕方やアイデアが豊富で、”やり手”な印象を持った。

やっぱり、自分達の有用性を説明する際に科学的知見を混ぜることは大切だと思う。ドイツの森の幼稚園のホームページを見ていると、ペーターヘフナーの研究(古い感じはあるけど…)だったり、「神経学、発達心理学、森林医学、教育学、精神科学」などの知見を掲載していて、森の幼稚園は効果があるんだなと納得できる。そういうのが、ドイツで森の幼稚園がちゃんとした幼児教育施設と認められて、しっかりと補助金が出るという制度に繋がっていると思われる。役所の人も科学的知見があれば納得してくれるだろう。


一方、日本の森のようちえんのホームページにはそういう研究結果を掲載しているところは殆ど無い。その代わりに、思いとかを載せているだけなので、なんかイマイチだなと思う。それに加えて、日本では森のようちえんは設置基準などの観点から認可外に分類されており、補助金がもらえない。もちろん、国の「施設が揃ってないと学校と認めない」という古い価値観が時代遅れ過ぎるということが諸悪の根源ではあるけども、森のようちえん側も、役所が納得するような森のようちえんの効果を示して、有無を言わさずに認めさすことも大事なのではないかと思う。


ちなみに、ドイツの森の幼稚園の設置基準☟

コチラが日本の幼稚園の設置基準☟

第九条の制約によって、森のようちえんが認可されるのは難しくなる…


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面白かったのは、1:10:40から始まる質問への回答である。質問者の方がご自身で「意地悪な質問」とおっしゃられていたが、

『目の前にいる子ども達の何年後をゴールと見て、今、声をかけるのか?どのあたりをイメージして声をかけたら良いか?何歳の子ども達をゴールと見たら良いのか?』


という質問に対して、自分も一緒に考えながら見ていた。

1:12:30から岡本さんが答えられていて、自分なりに要約すると、

幼稚園や保育園だと「小学校に入れるのがゴール」みたいな感じになってくる。私たちとしては「小学校入学」がゴールではない。その子自身が人生に悩んだり、転換期にあたったりした時に、幼少期の経験が活かされると良いなと思う。

みたいな感じで答えられていた。

1:15:00からは森さんが答えられていて、

一切イメージしていない!いつでも良いかなと。30歳の時に経験が蘇ることがあると思うし。

とのことだった…笑


個人的にこの質問に答えるとするならば、

教育を”今日”を”育”てる、つまり、”今日育”と考えているので、先の長いスパンで子ども達を見るのではなくて、今日の子ども達がどのように育っていったかという視点を持つようにしています。」

って感じですかね。

未来なんてどうなるかは誰も分からないですし、「~をすれば、必ず・・・になれる」みたいな”必殺技”なんて無いですからね。未来は今日を積み重ねた先にあるので、「今日をいかに育てていくのか」を重視して子ども達と向き合っていきたいなと思います。

ましてや幼稚園の年の子どもなんて、72時間時計でいったら、深夜1時~2時(3歳~6歳)の段階なんだから、将来の予測を立てたところで当たるわけないじゃんって思います…笑

森のようちえんの岡本さんのプレゼンは31分間ですので、興味のある方はぜひ2:34からご覧ください☟


~~~個人的意見~~~

なんか日本の”森のようちえん”って、やたらと生活と絡めたがるよなと感じてしまう。

個人的にはまず、「子ども達の成長」ってのが第一にある。で、幼児期というのは子どもの身体的な発達が盛んに行われる時期なので、うんと体を動かせる環境が子ども達にとって大切だと思う。

とすると、室内の幼稚園だったら、「ボール遊びは危ないからしちゃダメ」と言われることで子ども達の遊びが制限されてしまったりとか、「みんなで一緒に~しましょうね」とか言われて主体的な活動が出来なかったりとかする。その一方で、森の幼稚園は空間的広さを子ども達に提供できるし、子ども達は自由遊びに没頭できる。だから、自分は森の幼稚園は子ども達の成長にとって一番良いと思うから、森の幼稚園をやっていきたいなと思っているのである。

なので、「生活と絡める」ってのは、もちろんやっても良いとは思うけど、個人的にはあんまし乗り気ではない部分が大きい。極端に言えば、それぞれの家庭でやれば良いじゃんって感じがする。他の家族と合同でやったりしても良いし。わざわざ子ども達の遊びを潰してまでやることなのかという思いがある。子ども達がやりたいと言ってるならやっても良いとは思うけど…

個人的に1つエピソードがあって、日本のある森のようちえんを訪問した際の出来事である。その森のようちえんは月に2,3回行われる”イベント型”だった。訪問した日は「タケノコを掘って、茹でて食べる」というプログラムが10時頃から予定されていた。子ども達に加えて、保護者の方も大勢参加されていた。

自分は最初から子ども達と楽しく遊んでいた。で、10時頃から子ども達がタケノコ堀りを開始するのだが、なかなか上手くいかずに、子ども達の集中力が切れて、遊び始めてしまった。で、自分の所に来て「キーくん、一緒に遊ぼう!」と言うので対応していた。

子ども達と遊びながらタケノコの方を見ていると、結局、大人達が自分で堀りだしていた。で、自分達で茹でていた。子ども達はタケノコのことなんか忘れて、自分達の遊びに夢中である。

で、11時頃になってタケノコが食べれる状態になったので、遊んでる子ども達の所に大人達が来て、「出来立てが美味しんだから、今すぐ食べなさい!」って言って、無理矢理子ども達の遊びを終わらせて、準備が出来たテーブルに行かせようとしたのである。もちろん子ども達は「嫌だ!まだ遊びたい!お腹空いてない!」と反論していたが、親の「出来立てが美味しんだから!」という謎の1点張りで連れていかれてしまった…

なんかね、「子ども達の姿は見ずに、大人たちがやらせたいだけじゃん」という感じに思った。大人達でタケノコ掘って、自分達で茹でて、出来立てを子ども達に無理やり食わせて、それがあんたらの望む”自然体験”か?って話。

別に岡本さんの森のようちえんがそんな風だということは思わないけど、森の幼稚園ってまずは「幼稚園」だからなと思う。

幼児教育施設なわけで、子ども達の成長の為に最善を尽くす場所であり、森という「開放的な空間」や「想像力溢れる遊びの可能性」を与えてくれる場所が子ども達の成長に良いと思った人が森の幼稚園をやるもんだと思っている。

特に、自分が体験したドイツの森の幼稚園ではそういう生活に絡めたことなんてほとんどやらないし、食育とかも、ドイツの子ども達が持ってくる「きゅうり、リンゴ、パン」という工夫も無くどさっと入れているお弁当箱を見る度に、色々と無理しなくていいんだなと思ってしまう。

なんか個人的には、「自分が小さい頃に自然体験をして良い経験をしたから、それを子ども達にもさせてあげたい」みたいな動機で森のようちえんをやる人が日本に多いような気がする(森のようちえんの設立に関する思いとか読むと、そういう文章がよく出てくるなと思う)。ただそれって、自分の思いが先行してしまってる状態なわけで、ともすれば、子ども達の姿を置き去りにしている感もある。森の幼稚園を自分勝手な理想を実現させるための道具に使うなって話である。そんなに自然体験させたいなら、家で自分の子どもに対してやってろって話である。

その最悪の例が、上記で述べたタケノコ掘りの件であったり、「サッカーボールは自然物じゃないから、この森のようちえんでサッカーをすることは禁止です!」とサッカーをしたいと言った子どもに言い放った日本のある森のようちえんだと思う。


別に日本の森のようちえんの全てがそんな感じだとは思ってないけど、考えの出発点が違う、つまり、自分は「子ども達の成長にとって良いものは何か?」という問いに対して、「森の幼稚園」という回答を導き出したのに対して、「自分が自然体験をした良い思い出がある!是非ともそれを子ども達にさせることが出来る場所を見つけたい!」という己の欲求に対して、「森のようちえん」を引っ張り出した人達とは本質が違うので、そこと自分を森の幼稚園という括りで一緒にしてもらうのは、御免被るって話なのである。


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