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三連休とクリスマスの過ごし方

今年のクリスマスは、カレンダー上では祝日と合わせて三連休だ。

前回クリスマスが三連休だったのは5年前、2011年のこと。学生時代だと5年前と言えば、大学生なら中学生、高校生なら小学生。すごく昔のことだったけど、社会に出てしまえば5年なんてあっという間。意外に最近のような、とはいえかなり月日が流れたような、不思議な感覚である。

2011年の今頃、何をしてたんだろうと振り返ってみた。当時私はまだ独身で、アパートで一人暮らしをしていた。そして、その年の春先に、彼氏に振られてしまっていた状況で、連休なのに何の予定も無かった。

私は、学生時代からずっとその振られた彼氏とつきあっており、イベント事はいつもその人と一緒だった。最後にクリスマスを一人で過ごしたのはいつだろう・・・?と振り返ってみたが、大学卒業まで実家住まいだったこともあり、その人と付き合う前はクリスマスは家族と過ごしていた。「クリスマスの過ごし方」を意識し始めた頃から、誰かしら一緒に過ごす人がいたわけで、その2011年の三連休は、生まれて初めて一人で過ごすクリスマスだったのだ。

実は正直それまで、今年のクリスマスどうする~?なんて話題を、バカにしていた。

クリスマスだからって関係なくね?クリスマスっぽいことしたけりゃ別にすればいいけど、ほとんどの人にとってはただのイベントなんだからさ、普通にすごしてりゃよくね?てなもんである。

もちろん、それはその通りではある。しかし、その年に私は、これはまさに自分が持っている時には気づかない「ご飯が無いならお菓子を食べれば」的な解釈だったのだな、と理解した。

クリスマスは、おしゃれなお店でディナーを食べたり、イルミネーションを見たり、ちょっと豪華なプレゼントを選んだりすることだけではない。クリスマス感は、田舎のスーパーマーケットにも押し寄せる。いつもの鶏のから揚げが、その日は骨付きで、何か赤白緑の派手な装飾がされている。プリンを買おうとデザート売り場に行けば、スポンジケーキの土台やホイップクリームが並ぶ。

国道沿いのケンタッキーには家族のためにチキンを求める若い夫婦が行列をつくり、近所の居酒屋までもが、普段はビールと合わせるスパイシーな骨付鳥※を、なぜかクリスマス用に予約販売していている始末なのである。

この時期は、どこにいても、何をしていても、クリスマスが意識に飛び込んでくる。ただの小さな飾りでも、おしゃれじゃなくても、その一つ一つに「誰かと過ごす幸せな時間」がリンクしていて、それぞれの物語を感じさせる。その中で、自分にはそれを一緒に楽しめる人がいないという寂しさ。クリスマスは、普段の生活では特に意識しないでいられる「小さな幸せを誰かと分かち合いたいのに、それができない」ということを、何度も何度も気づかされるイベントだったのである。

みんなが幸せを感じるイベントのある時、一人でいるって、けっこうダメージがあることなんだな。数えきれないくらいの人が言ってきて、何度も耳にしていたことだけど、自分がその立場に置かれてやっと理解できた。こんなに多くの人に言われていることでさえ理解できていなかったのだとしたら、もっと複雑な問題は、全く理解することなどできないのではないのか?人の気持ちを完全に理解するのは無理だとは思っていたけれど、もしかして想像以上にわからないんじゃないの?それなのに、世の人たちはみんな、誰か大切な人と一緒に、幸せな時間を作り上げている・・・自分には、そんなことは到底出来そうもない・・・

そしてそのクリスマスを含む三連休をどう過ごしたかというと、走り込みであった。

家でじっとしていると、湧き上がってくる堂々巡りの思いに耐えられず、夜の田舎の道路沿いを、ひたすらに走る。寒さで耳が痛くなっても、まだ走る。疲れたらトボトボ歩いて、家に着いたら熱いお風呂に浸かって寝る。昼前に起きたら外出しないで、寝たり起きたり。夜になったら、また走る。結局その年は、3日間これ。さすがにもっとやりようがあったんじゃないの、と自分でも思うけど、いままで過ごしたどの年のクリスマスより、思い出深い気もする。


時は流れて今年の連休はどう過ごしているかというと、夫は仕事今日まで2日間は留守。金曜の夜は、予定もないので、せっかくなら5年前と同じことをして当時の気持ちを思い出そうじゃないの、なんて思ったが、寒い上に小雨がぱらついていたのですぐあきらめた。代わりに、ジムで2時間ほど運動してきたが、空調のきいた快適な部屋では、当時感じた焦りや不安のような気持ちはうまく思い出せなかった。


(※ 地元の名物料理。鶏メインの居酒屋等にある。お皿にたまった油におにぎりを浸して食べるという「からだ健やか茶」も真っ青の食べ方がオススメ・・・)




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