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私、先生に嫌われてたんだな

年末年始は非常に暇に過ごした。夫がずっと仕事だったため、自分だけ帰省したり出かけたりするのに気が引けて、掃除をした後、年越しそばと少しだけお正月っぽい食事をそろえた他は、ほぼ自宅で何をするということもなく過ごしていた。

地元の友人から届いた年賀状をゆっくり眺めていると、普段は忘れていたようなことを思いだす。

高校生の時、みんなで教室でお弁当を食べたこと。
テストが終わった日、午後から街に遊びに行ったこと。
受験前、授業が無いので生物準備室に集まって勉強したこと。
教室のストーブの上で沸かしたお湯で「日清焼そばUFO」を作ったら、廊下までソースのにおいが充満して焦ったこと。

それらの思い出は、旅先の宿で買った小さな工芸品のように、普段はひっそりとしまわれており、時折ふと取り出してはほほえましい気持ちになる。

一方、同じ高校時代だけど、部活動に対しては全く思い入れが無い。むしろ、15年以上経った現在も、意識的に封じ込めているところがある。部活がものすごくつらかったのと、そのつらい気持ちが全く報われなかった、という思いが残ってしまっているからだと思う。

高校時代、私が所属していた剣道部は、私を含めて女子3人のみという弱小部だった。一方で、顧問の先生は、私達の入学と同時に新卒で赴任した体育大学出身の女性で、強豪校出身の猛者であった。

かたや弱小校、かたや強豪校出身である。私たちが一生懸命取り組んでいるつもりでも、先生から見ればなんて生ぬるい練習をしているんだ、と思えたことだろう。当然、厳しい指導をされることになる。

特に、キャプテンだった私は、稽古中はもちろんのこと、それ以外の場面でも、私が何か行動を起こせば、そのあまりのレベルの低さに必ず叱責されるのである。その一つ一つは、あまりの辛さに思い出したくもないが、怒鳴られた言葉や、冷たい態度は、今でも忘れられない。

毎日毎日、部活に行くのが憂鬱で仕方がなかった。退部したいと毎日思っていたが、自分の至らなさを棚に上げて、指導がつらいなんて自分勝手。私は、自分が至らないのは自分では気づかないから、したがって怒られるのも無理はないのだろうと考えていた。

顔を合わせるたびに怒鳴られるのは、自分がキャプテンであり、一番しっかりしないといけないからだ。先生は、私に成長してほしいからこそ、厳しく接しているのだと勝手に解釈していた。

当時のことをいま振り返ってみると、そこまで罵倒されるほどのミスを繰り返していたとは思えない。社会人になって、当時の先生の年齢を追い越した頃、ふと思った。きっと先生は、私のことが嫌いだったんだなと。

当時、先生方の生徒に対する好き嫌いが全くないとは思っていなかったけど、そこは平凡な高校生。そうはいっても先生だから、学校にいる限りは好き嫌いは関係なく接してくれると思っていた。自分がつらくても、私のために指導してくれてるんだから、感謝することさえあれ、悪く思うなんてとんでもない、と、もやもやした気持ちを抱えながらも、卒業の時にお礼の言葉を贈ることさえした。

今ならわかる。大人には、気に入らない部下のミスや至らない点を目ざとく見つけて、いちいち詰めることでストレス発散する人や、自分より立場が下の人間を罵倒することでプライドを保とうとする人がいること。

一見厳しい態度の裏にやさしさが隠れているなんて話もあるけれど、相手のことを思いやる気持ちや、尊重する気持ちがあれば、無意味に傷つくことは言わないし、どうしても言わなければならないことを伝えたことで、相手が傷ついていればフォローもする。それが全く無く、ただただ否定されていたということは、つまりはそういうことなんだなと。

高校生のころ、私は地味で目立たなかったが成績だけはよく、学級委員みたいな顔をしているからか(やってそうとよく言われる)「生意気」「周りをバカだと思ってそう」などと言われることがあった。年齢もそう離れていない新卒の先生も私に同じようなイメージをもったかもしれないし、そんな生徒を指導することは面白くなかったのかもしれない。

大人になると、過去に経験したできごとの中に、その時は気づかなかった誰かの愛情を見つけることが時々あるけれど、同じように、気づいていなかった誰かの悪意に気づいてしまうことがある。時間を経たぶん、その時気づいていなかった分、そのショックというか情けなさはしんしんと心のそこから湧き出してくるようだ。

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