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まだキャラクターが定まってない

結婚してあと数か月で2年がたつが、既婚者としての自分のキャラクターがまだ定まっていない。

独身時代、人生設計のようなものは全く立てていなかった。気が小さく心配性なので、やみくもな不安はあったのだが、目の前にある仕事やプライベートをこなすのみの毎日で、自分が一人の人間としてどのように生きていたいのかといったことは、後回しにしていた。

そんな私にとって、家庭を持っている友人は、とんでもなくしっかりした大人のように思えた。実際彼らは私の知らない世界(家同士のつきあいや子供の世話、そもそも自分以外の人とともに生活することなど)を知っていたし、その正解の無い課題を次々と乗り越えていっているように見えた。

家族ができれば、住むならこのエリアがいいとか、子供が欲しいとか欲しくないとか、保育所に入れるかどうかとか。家族の状況に合わせて悩み事は変化する。しかし、当時独身の自分は、もうクリスマス!?今年もあとちょっとで終わりって早すぎない!?とか、毎年同じようなことを言っているわけである。友人たちは次々とライフステージを次に進めているのに、自分にはなんと成長の無いことか・・・と落ち込むこともあった。

そしてどうしていたのかというと、「アラサ―独身女」というキャラクターをかぶっていたのである。

「田舎とはいえ、自分の入りたい保育所にすんなり入れるとは限らないし、大変だよね~、って、私、その大変さの前に乗り越えないといけない事が山盛りなんですけど!」

「子育てのしやすさで選ぶなら○○市っていうけど、その利点私には関係ないっつーの!」

みたいなことを言っているわけである。

キャラクターをかぶって話をするというのは便利なもので、どういうことを話せばいいかわからない人と会っている時にも、ステレオタイプなキャラクターをかぶっていれば、それなりに言うべきことが定まってくるから不思議である。それは、会社のお局キャラであったり、アラサ―独身女キャラだったりする。多くは少し自虐を交えて、おもしろおかしく話すのだけど、私は決して、みんなに、「アラサ―独身女」だと思ってほしかったわけではないのだ。

むしろ逆である。「『アラサ―独身女である』ということに引け目を感じている」ということに、絶対に気づかれたくなかったのだ。その一心で、むしろそれを全面に出したようなキャラクターをかぶっていた。私そんなの全然気にしてない。将来に悲観なんて全然してない。だからこんな調子でいられるんですと。

そうおもわれたくない自分の姿を、キャラクターとして率先してかぶってしまう自分ってなんなんだろう。私がなりたい自分って、なんなんだろう。

そんな私も結婚し、転職し、今勤めている会社には私の独身時代を知る人はいない。当然、「アラサ―独身女」のキャラクターをかぶった私の姿も、誰も知らない。

かつて見た、家庭を持った友人たちは、正解の無い課題を乗り越えていく、頼もしい姿を見せていた。家庭を持った私は、どのような姿になりたいのか。次にかぶるキャラクターは、コンプレックスを隠すためのおどけた隠れ蓑ではなく、自分がなりたい姿に近づくための背伸びのようなものでありたい。



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