見出し画像

暇になることを想定していなかった

出産予定日をあとひと月ほどに控え、1週間ほど前から産休に入った。

最初の数日こそ、ベビー用品の準備や部屋の掃除など、出産に向けたあれこれの準備に時間を費やしたものの、1週間もたつと主だった用事は片付き、急に暇になってしまった。体調は悪くないが、あまり体に負担のかかるような活動や遠出はできない。出産が近づくとなるべく車の運転は控えるべきと言われているが、そうなると外出先の選択肢がほとんどなくなり、スーパーくらいしか行けるところは無い。

もちろん、家じゅうピカピカ、毎食一汁三菜の食事を作っているわけではないので、家事ひとつとってもその気になればいくらでもすることはあるわけだが、普段の私達夫婦の暮らしぶりに照らせば、そこまで手をかけるモチベーションも無く。

家でパンを焼くのに憧れてたんだよね、と、初心者向けのパン作りの本を購入してみた。一番簡単なちぎりぱんのレシピを見ながら、作ってみる。まあ、初めてにしては食べられるじゃないの、という、可もなく不可もない出来栄え。

寂しいときには手先を使うといい、と、何かの映画で誰かが言ってたな。手芸をやってみようと、手芸店でビーズを購入し、もらった作り方の図を手がかりにチャームを編んでみる。いかにも素人が出来心で作りましたといった感じが伝わってくる。

読みたい本もたくさんあった。Kindleにはダウンロードしただけで読んでいない本が何冊も入っているし、書店でも図書館でもいつでも行けるのに。

今まで、やりたいことはたくさんあるのに、時間がないからできないんだと思っていた。私は、こんなことじゃなくて、もっと別のことがしたいのに、忙しいからできないんだと思っていた。

でも、いくらでも好きなことができる時間を(一時的に)得た今、さあ何でも好きなことをやっていいという状況になってみると、どういうわけか全然やりたくない。

これまで、暇になることなんてなかった。子供の頃は、学校が終わったら習い事や宿題、もう少し大きくなれば部活や課題、研究にアルバイト。就職したら仕事、社会人サークル。結婚すれば引っ越し、転職活動。時間はいつでも足りず、しなければならないことも全部終わっていないのに、1日が終わる。

時間があったらやりたいと思っていたことは、本当にやりたいことだったのだろうか。ただ、目の前のことが「やりたいこと」ではなかっただけではないだろうか。

子供が生まれたら、こんなことを考える余裕はなくなって、「子どもが大きくなって手がかからなくなったらこんなことしたいのに」とか思い始めるんだろう。

目の前で取り組んでいることこそが、今自分がやりたいことである、と、言える日は来るのだろうか。出産すれば、私の人生は子どもが中心に変わっていくだろう。出産までの時間は、「自分のこと」を考える最後の機会かもしれない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?